イチゴが新幹線に乗ってやってくる!
仕事帰り、灰色の新宿駅。
東京では乗り換えの早さこそ美しさとされているので、例に漏れず私も東京の一部として、目的のホームまでずんずん進む。
こうした、人が集まり調和が求められる場所では、迷いこそが不調和を生み、他人に迷惑をかけてしまう。
ただ目的の場所へ、その場のルールに順応しながら流れを止めないように動く。そこにはポジティブな感情も、ネガティブな感情もない。いらない。
そんな場所から一刻も早く抜け出すことこそが、美しさの正体なのかもしれない。
そうして今日もいつも通り感情のない地下道を歩いていたそのとき、その場に不釣り合いなほどに威勢のいい男の人の声が響いた。
「甘さたっぷり!大振りのイチゴたち!本日、新幹線に乗ってやって来ました!」
ええっ、イチゴたちが新幹線に乗って!?
私がつい調和を乱してしまったのは、構内でイチゴを使ったスイーツを販売している店の呼び込みの声が、雑踏を突き抜け脳に届いたからだ。
その瞬間、私の頭の中には、いやきっと、私と同じように仕事の疲れを引きずり帰路につくあの人も、楽しい夜へと向かう綺麗な格好をしたあの人も、キャリーケース片手に右往左往している東京ビギナーだって、イチゴが新幹線のシートに座ってゴトゴト揺られている図を想像したはずだ。
こういうイメージの中ではきまって、イチゴのような果物もキャラクター化されていて、手足が生えている。
2列のシートにイチゴたちが1粒ずつ。お行儀よくちょこんと座っていて、はるばる東京へと向かう高揚感をその小さな体に込めて顔を赤くしている。
加えて言うと、私の想像ではグリーン車だった。大事な商品だし。
ふらふらと想像の世界に迷い込み、目的のホームへ続く道を一瞬見失った。
私は東京生まれ、東京育ち。
まだまだ短い人生のうち、長い時間を東京とインターネット上で過ごしている。
インドア気質もあって、新幹線や飛行機を使って遠出するようになったのは、成人して就職してからだった。
金銭的にも精神的にもちょっと余裕ができたのもあるが、きっと東京には思い出が多すぎるように感じ始めたからだ。
23歳の夏には京都へ行った。
好きな映画のひとつに『逆光の頃』という作品があって、夏の京都で繰り広げられる高校生の物語を描いた作品だ。
京都の街並みと、そこで青臭く生きる高校生たち。
映画の中の風景は、東京の端っこでせせこましい高校生活を送っていた私にはきらきらと輝いて見えた。
その羨望が大人になっても残っていたので、もはや学生生活も終わってしまった社会人1年目のタイミングで、映画の中の風景を実際に見てみようと、いわゆる聖地巡礼をしに行ったのだ。
東京から新幹線で京都駅へ。
京都駅から、東寺、建仁寺、四条大橋…
自分のことを棚に上げて言わせていただくと、とにかく観光客が多くて、映画の風景とはちょっと違っていた。
今を学生として生きている子たちも、おそらくフィクションの映画の中のようには過ごしていない。
それはそれで、楽しい学生生活ではあるのだろうけど。
思い返せば、東京の端っこで過ごした大して甘酸っぱくない私の高校時代も、それはそれで悪いものではなくて。
そしてもし世界が捻じ曲がって、今から京都で学生時代を過ごせるとなったとしても、きっと今過ごしている生活のほうが楽しいのだろう、ということになんとなく気づいてしまった。大人になったってこういう瞬間に思うんだ。
帰りの新幹線の中、ぎゅんぎゅん流れていく風景をぼーっと見る。
映画の世界に比べたら、今日撮った写真の中に比べたら、今向かっているところは、どうにも美しいとは胸を張って言えないけれど、私にとっては帰る場所に違いない。
窓の向こうの風景が少しずつゆっくりになっていく。
ギラギラ光る街の騒めき、足早に歩く人の影。あんなに疲れる街なのに、どこか安心してしまう。
イチゴが新幹線に乗ってやってくる。
このフレーズを、新幹線に乗るたびに思い出す。
私の隣の席にはイチゴが座っていて、何も言わずにそこにいる。
東京に着く頃には最高の食べ頃になって、私はまた生活に戻る。
勝手に隣に座らせといて、グリーン車じゃなくてごめんだけど。
