RADWIMPS「筆舌」──“永遠”を卒業したバンドが、それでもまだ生きている話
先日発売されたRADWIMPSのニューアルバム『あにゅー』を聴いた。
4年ぶりの新譜であり、ギターの桑原彰さんが脱退後初のフルアルバムとなる。次のRADWIMPSを占う一枚なんて言ったら大層な話になってしまうが、今だから聞きたくなってしまった。
※MVよりもAudio派だ
心を撃ち抜かれたのが、9曲目の「筆舌」。
6分を超える長尺、語りのようなAメロ、溢れる言葉。どこか「オーダーメイド」や「祈跡」の延長線上にあるようで、しかし明らかに“今の野田洋次郎”の声でしか歌えない歌だと感じた。
ちなみに、祈跡はアルバム版よりもシングル派だ。今も。
「永遠」を信じたバンドが、「有限」を歌う日
RADWIMPSといえば、"一生一緒にいよう""絶対に離さない"といった永遠の信仰を真正面から歌ってきたバンドだと私の中では位置づけている。
ところが「筆舌」では、その言葉をあっさりと手放してきた。
「ずっと」とか「絶対」とか「一生」とかないのはもうわかったから
せめてもう少しだけこのままで ねぇこのままでいさせて
この一節を聴いた瞬間、思わず息をのんだ。
10代の頃、永遠を信じて世界と殴り合っていたRADWIMPSが、40代になった今、ようやく「このままでいさせて」と言う。
それは諦めではなく、成熟した現実への肯定だ。
歌詞には、亡くなった友人、離婚した元恋人、病気、孤独。
そして音楽をめぐる時代の変化──電子音楽やヒップホップが主流になった今の音楽シーンへの目配せまでもが並ぶ。
「かつて音楽は人間の手によって作られた時代があったんだよ」
なんてさ、そんな時代を前に
まだ見ぬとんでもねぇ音楽を作りてぇなんざほざいたり
ここで野田は、音楽の未来を見つめながらも老いを自覚している。
それでも、"きっとこれからだって想像をゆうに超えてこいや"と歌う。
人生の先に絶望ではなく、まだ希望を見ている。
この肯定の強さが、今作最大の衝撃だ。
RADWIMPSはなぜ、再び「バンド」に戻れたのか
『あにゅー』全体を通して感じるのは、バンドサウンドへの回帰だ。
ギターの桑原が抜け、いよいよ他のキャリアが長いバンドと同様に打ち込み中心のサウンドへ進むのかと思いきや、むしろ逆。
1曲目「命題」からラスト「大団円 feat. ZORN」まで、ギター・ベース・ドラムの有機的なグルーヴが息づいている。
「筆舌」でも、語りからサビへと膨れ上がる構成に、往年のラッドらしいドラマがある。
音数は控えめだが、野田の声とストリングスの絡みが圧倒的にエモーショナルで、人間野田洋次郎がそこに立っているような生々しさを感じる。
たとえば、初期の代表曲「ふたりごと」の頃は"世界で一番君が好きだ"と叫んでいた。「心臓」では"百年たっても千年たっても"を愛を伝えた。
そして「筆舌」では、"生きてりゃ色々あるよな"と笑っている。
あなたのような人にいつかなると僕は心に決めたけれど
どうやらなれそうにもないよ
百年たっても千年たっても ずっと ずっと ずっとその先も
あなたを見てることでしょう
最大公約数も良い。
――さて、この距離感の変化は、20年というキャリアの中でしか書けないものだ。
無敵だった15歳の頃の無鉄砲さを経て、痛みを受け入れ、それでもステージに立ち続けること。
それが今のRADWIMPSのロックなのだと思う。
「老い」とどう向き合うか
この曲を聴きながら思い出したのは、近年の邦ロックシーンの変化だ。
BUMP OF CHICKEN、ASIAN KUNG-FU GENERATION、ELLEGARDEN──00年代の青春を支えたバンドたちが次々に20周年を迎え、TikTokではY2Kファッションとともに“懐かしさの再消費”が起きている。
RADWIMPSもまた、時代の変化を痛感しているバンドだ。映画『君の名は。』で一躍国民的な存在となり、メンバーが去ってもなお、「それでも俺たちは音楽を作る」と言い続けている。
「筆舌」は、そんな老いゆくバンドが、それでもなお若さを取り戻そうとする曲でもある。
懐かしさに沈まず、未来をもう一度信じるための歌だ。
「生きてりゃ色々あるよな」──それでもステージに立つ
生きてりゃ 色々あるよな
生きてりゃ 色々あるよなぁ
このリフレインは、野田の人生だけでなく、自分自身(かよちゃん)の人生にも重なる。SNSで生き方が可視化され、他人の成功や破滅が毎日のように流れてくる今。
私もまた、誰かを失い、場所を失い、それでも画面の向こうで何かを続けようとしている。
愛する家族が亡くなり、愛するペットが亡くなり、病気で入院をした。生きてるのではなく、死んでいないだけの身体だった。
自暴自棄自己中心的(思春期)自己依存症の私自身が、RADWIMPSについて、「筆舌」についての思いを記しておかねばならないと思った。
そもそも楽曲レビューなんて、社会を経験した大人は書きたがらないだろう。本人に届いて嫌われるかもしれない。もしかしたらレーベルや事務所から出禁になるかもしれない。そんなリスクを犯して大人が自由に楽曲についての思いを垂れ流すのは現代において悪手である。
それでも、私も、いい大人になったけども、どうしても書きたくなった。名盤であるからこそ、歴史に残しておかねばならないと思った。
「筆舌」は、こんな時代の中で「それでも生きていこうぜ」と寄り添うように鳴っている。“言葉にできない”痛みを、まるごと受け止めるような優しさがある。もしかしたらそれこそが、タイトルである「筆舌」の意味なのかもしれない。
終わりに──“筆舌”が照らす、これからのRADWIMPS
野田洋次郎は「永遠を疑う」ようになった。
それでも彼は音楽を作り続ける。
その姿勢そのものが、いまのRADWIMPSにとっての“愛”なのだと思う。
20周年を迎えたバンドが、“終わり”ではなく“これから”を歌う。
そのことが、何よりも希望だ。
『筆舌』は、そんな希望の歌だ。
生きてりゃ色々ある。
でも、まだ終わりじゃない。
きっとこれからだって、想像をゆうに超えてこいや。
