見出し画像

はじめて丸亀製麺を食べにいくおばあちゃん


毎年、おばあちゃんの誕生日には欠かさず電話をかけている。
この習慣がはじまったのは、私が転勤で東京へ移り住んだことがきっかけだった。

実家に住んでいた頃は、定期的に顔を見せにおばあちゃん家へ行っていた。年に2回は必ず子どもと孫が一堂に集い、おばあちゃん特製の春巻きやコロッケ、すき焼きをしてみんなで食べた。ワイワイと、ただ食べものをおいしく食べるだけの宴会。成人した後は、私も酒盛りに参加していた。

でも、その宴会の場におばあちゃんが座っているシーンが思い出せない。
おばあちゃんはいつもその場には居ない。

おばあちゃんはいつもキッチンに居た。記憶の中の、最初のシーンからおばあちゃんはいつもキッチンに居る。みんなが宴会をしている最中も常に追加の料理を作り続け、出来上がった料理を宴会場に運んでくる。一緒に食べようと誘っても、その足で空いたグラスやお皿を引き取ってキッチンへ戻っていく。そして永遠に洗い物をしている。
宴会の空気が煮詰まり席を離れて、遠いキッチンへおばあちゃんに会いに行き、洗い物を手伝おうとすると「これ向こうに持っていってくれる?」と、〆のあっさりとした食べものや口直しのデザート、追加のお酒や急須で淹れた温かいお茶を持たされて、キッチンから追い出される。

一時期、おばあちゃん家には凶暴な柴犬がいた。子どもが嫌いで、おばあちゃんの言うことしか聞かない。撫でることを許してくれない憎たらしい犬だったが、こういった宴会の盛り上がりとは対照的な寂しいキッチンでは、その犬はおばあちゃんにより寄って、寂しさを埋めてくれているようだった。約10年くらい、おばあちゃんが甘えられる存在になってくれてありがとう、憎たらしくて可愛い犬よ。


犬がこの世を去った後、この家では他界ラッシュがはじまった。

まずはひいおじい様。103歳の誕生日を2日前に控えて、自宅で息を引き取った。老衰で102歳の大往生。もう103歳ってことでいいだろ。2日なんて誤差だ。
このひいおじい様は最後までしっかりしていた。愛用していたテレビが壊れた時「新しいテレビはどんなものがいい?」と聞かれると、「あと2年使えれば十分だから中古でいい。」と言った。この時ひいおじい様は98歳だったので、100歳までは確実に生きるつもりなんだなと親族全員が圧倒された。その後100歳を超えても元気に生きていたわけだが、この長寿はおばあちゃんの献身的なサポートがないと成立しなかったと思う。最後まで自力でトイレに行きたがる本人の気持ちを最優先に動き、同居して何十年も支えてきたおばあちゃんが居たから、102歳。ひいおじい様あっぱれはもちろんそうだけど、おばあちゃんもあっぱれ。


そしてその2年後に、おばあちゃんの旦那様(おじいちゃん)が亡くなった。早すぎる死に、お坊様が「つい先日ひいおじい様の一回忌を終えたばかりなのに…さすがに息子が後を追うのは早すぎますよ…」とつぶやいていた。親族全員が同じ気持ちの中、誰かのケアを最優先に生きるのではなく、やっと夫婦でケアされる側となり、のんびりと暮らしていけるはずだったのに。残されたおばあちゃんの気持ちは。その重みを、おばあちゃん以上に感じることは叶わないのだった。

そんなおじいちゃんの葬儀・告別式は大層立派で素晴らしいものだった。

私にとってのおじいちゃんは寡黙で厳格なイメージの人で、家に遊びに行っても常に自室に居たし、わざわざ会話することはなかった。そんなおじいちゃんは、私が知らなかっただけで、会長やらスポーツ団を率いてあらゆる地域の責任を兼任していた。だからか、まるでニュースでみる有名人の告別式のように、たくさんの人々が別れを惜しみにやってきた。病気による突然の死に、地域中が悲しみに暮れたのだった。
すごい夫婦だったな。おばあちゃんは家を守り、おじいちゃんは地域を守っていた。

そんな立派な一家の大黒柱がこの世を去ると、おばあちゃんの家には物理的にひびが入った。地震によって玄関の土壁がひび割れたのだ。古く狭い木造平屋建ての一軒家は、いつ崩れてもおかしくなく、おばあちゃんは娘(母の姉)とともに安全なマンションへ移り住んだ。80歳前後のおばあちゃんにとって、旦那に先立たれ、嫁いで何十年も暮らした家から、マンションへ移り住むという暮らしの変化とは、どのような大きさのストレスだろうか。私でさえ自分の意志で引っ越して、環境に適応できず蕁麻疹が出たというのに。


だがそんな心配はご無用だったらしい。
おばあちゃんは今、自分のためだけに使える時間を謳歌している。

環境変化への適応能力が高いのか、私がこの世に飛び出るずっと昔に、もっと過酷な状況があったのか。おそらくそのどちらでもあるんだろう。おばあちゃんは他人のケアから役割を降りると、好きな時間まで寝て起きて、自分の食べたいものをスーパーへ買いに行き、料理をする。料理は何十年もずっと続けてきたことだから、生活のルーティンに刻み込まれている。でも、介護の手が必要な老人や食べ盛りの子ども、そしてその孫や定期的に訪ねてくる親戚など、多種多様なニーズに順応に応えていく料理ではなく、その日の自分の気分で食べたいものを選べる自由さを今、謳歌している。80歳を超えて、やっと。


年2回の定期的な宴会も姿を変えた。おばあちゃんにとって、私の父などはお客様として扱う対象で、宴会に父が居ると、おばあちゃんはまたキッチンから出てこなくなってしまう。父には悪いが、おじいちゃんという大黒柱もこの世を去ったので、おばあちゃんが気兼ねなく食事をするために、女子会と銘打って開催することにした。そうすればおばあちゃんが会の主賓だ。おばあちゃんはただ座って食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、ダラダラしていればいいのだ。


今年の女子会には、私はタイミングが合わず参加できなかった。後日電話した時に感想を聞くと、本当に楽しかったらしい。声色でテンションが上がっているのが読み取れた。次の会には参加できるように都合をつけたいと思う。

「ところで今年の誕生日ディナーは何を食べるの?」と私は毎回聞く。健康なおばあちゃんを確かめたくて、この質問を繰り返す。歳のわりに食欲旺盛で食べ過ぎるから、ダイエットしなきゃと言いつつ食べ続けているらしい。食べないよりはよっぽど健康的でいい。
すると「丸亀製麺に行くねん〜!ずっとCMでおいしそうやなあと思って眺めてたから楽しみやわ〜!」とおばあちゃんはワクワクした気持ちを教えてくれた。

でも、私は返事につまってしまった。

丸亀製麺がつるつるの麺をみずみずしく湯切りしたり、熱々のお出汁をうどんにぶっかけたり、おいしそうなCMを放映しはじめて何年も経っている。おばあちゃんの言う「ずっと行きたかった」っていつからのこと?
丸亀製麺は、できたてのうどんを生活の中で気軽に食べに行ける素敵なお店だと思う。安くておいしいよ。だから平日の昼間にはサラリーマンが行列をなしている。そこへおばあちゃんは、誕生日ディナーとして、満を持して…?

今にも泣き出してしまいそうだった。
おばあちゃんの人生って?と思ってしまった。

人の目を気にせず、ただ自分の振る舞いたいように過ごせる場所が、80歳を超えて、夫を失い、家を失わないと手に入れられなかったの?毎日の食事を1日も放棄せず作り続けなくても「たまには外食しよ!私が食べたいから丸亀行こ。」って言い出せる場所はなかったの?どれほど周囲に合わせて、自分の「食べたい」という気持ちを後回しにしてきたのだろうか。


おばあちゃんの好物だって、電話のたびに初耳しているのだ。私の知らないおばあちゃんが、好物に限らずまだまだたくさんあることを、誕生日おめでとうの電話で毎年一つ一つ知っていく。
それじゃあ間に合わない。私の大好きなおばあちゃんは、あと何年生きてくれるんだろう。あと何年で終わってしまうんだろう。

咄嗟に「丸亀製麺なんていつでも行ったらいいんだよ!」と言いそうになった自分を恥じて、飲み込んだ。そして「わかるー!あのCM観たら否が応でもうどんの口になるよな!丸亀おいしいし私もよく食べるよー!誕生日やし山ほどトッピング追加したら?天ぷらもおいしいから!」と、めいっぱいの明るい声で返事をして、おばあちゃんを丸亀製麺へ送り出し、通話を終えた。

怒りと悲しみと自らの愚かさに目が眩んだ。丸亀製麺に行きたいおばあちゃんに「今度一緒に行こ!」と誘いかけた。でも遠方に住む私が、そんな無責任な約束はできない。今度っていつ?という話であり、おばあちゃんにとってその今度は果てしなく遠く、今すぐに失われる希望になってしまうかもしれない。

残された時間の中で、私に何ができるだろう。



後日。私は一人、丸亀製麺へ期間限定のうどんを食べに行った。今しか味わえない青唐おろしぶっかけうどんは、チェーン店でお目にかかるにはあまりにも暴力的な辛さで、初夏の暑さを爽やかにむかえられる。このおいしさをめいっぱい味わって、今度おばあちゃんに話そうと思う。

辛いものが苦手なおばあちゃんは「何がおいしいのかわからんけど。」と少し引いて、私の好きなうどんをおすすめしても食べないだろうけど、そのかわりにおばあちゃんが一番好きなうどんを、きっと私に教えてくれる。




いいなと思ったら応援しよう!

北牧加代乃 / (present) day books 応援よろしくお願いします!