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京都の街の本屋さん、井上文鴻堂

その日、京都に着いたのは夜遅かった。

ホテルに向かって暗い通りを歩いていると、通りに面して大きな赤い「本」のサインがかかっているのが目に入った。シャッターが閉まっていたが、「街の本屋がある!」と、思わずテンションが上がった。

サンフランシスコには日本語の本屋がほぼない。ふらっと立ち寄って棚を眺めて、気になった一冊をレジに持っていく。それが日本にいたときは当たり前だった。海外に住んでいるとその「当たり前」ができなくなるので、一時帰国のたびに本屋への嗅覚が鋭くなる。夜道で「本」の一文字が光っているだけでこんなに嬉しいのだから、だいぶ飢えている。

ホテルにチェックインしたあと、夜遅くまであいている近くのスーパー、フレスコに行って翌日から数日分の朝ごはんを買う。納豆が安い。ホテルのキッチンは大したものはないが、冷蔵庫と湯沸かし器とシンクがトイレと分かれている独立式で、ちょっとした朝ごはんなら自分で用意できそうだった。えいっとカゴに入れる。深夜といっていい時間帯なのに、レジには列ができるくらいの買い物客がいる。ちょっと不機嫌そうなレジの人が、でもテキパキと客を捌いている。

日本の一時帰国でスーパーに行くと必ず買いすぎる。今回ももれなくそうなったが、後悔はない。

旅先にしては贅沢な朝食

翌朝は、時差ボケのせいで早朝にはすっかり目が覚める。まだパン屋もあいてない時間帯、昨日買ったもので朝ごはんを済ませて、朝の京都の通りを冷やかしに出る。冬の京都は、ハイシーズンの人混みが嘘のように静かだった。

ホテルは四条と五条のあいだ、鴨川の近く。毎日そこを拠点にあちこち歩き回っていると、学生時代に自転車とバスでうろうろしていた頃の感覚が戻ってくる。京都の街は基本的に平らだ。坂と丘だらけのサンフランシスコに慣れた足には、平らな道がありがたくてしかたない。

京都の街は古いだけあって、奥行きがある。ホテル周辺は住宅街なのだが、人気のレストランやパン屋が新しくできていたり、老舗が頑張っていたりして、散歩のついでに気軽に立ち寄れる。

そんなふうに街を歩いているうちに、あの夜に見つけた本屋、井上文鴻堂の前を再び通りかかった。

井上文鴻堂 外観

外観はザ・街の本屋さん。レジから店内が一望できるようになっていて、こういうとき、挨拶をしたものか、いつも一瞬緊張する。

「…っちわー」と、恥ずかしがり屋の高校生のような声の大きさでできるだけ目立たないように入店。レジから「いらっしゃいませー」と力の適度に抜けた挨拶がかえってきて、ちょっとホッとする。店内は参考書、雑誌、文庫本が一通り揃っていて、地元でしっかり売れるものを置いているのがわかる。華やかな選書で攻めるタイプの本屋ではないけれど、この街の生活に根ざしている感じがして一瞬で好感を持った。チャート式とか懐かしい。

棚を流し見していたら、川端康成の文庫本がずらっと並んでいるのが目に入った。

川端康成は、正直なところ『伊豆の踊子』と『雪国』を国語の授業で読んだくらいで、他の作品をほとんど知らない。犬をめちゃくちゃ飼っていたことくらいしか知らない(犬好きとしてはそこだけ妙に覚えている)。こんなにたくさん文庫本が出ているのかと棚の前で眺めて、あまり長すぎず読みやすそうな一冊を探して『山の音』を手に取った。

レジに持っていくと、カバーを丁寧にかけてくれた。カバーをかけてもらいながら少し話をして、ああ、こういう時間だったなと思った。本を買うという行為に、もうひとつ小さなやりとりがくっついてくる。最近はセルフレジや通販ばかりで忘れかけていたけれど、街の本屋さんにはまだこの距離感がある。あ、しおりもうひとつもらえますか、というと快くくれた。日本の文庫本に適したサイズのしおりが、アメリカの書店ではなかなか手に入らないのだ。

購入した文庫本にカバーをかけてもらう
書店オリジナルのカバーも嬉しい

一時帰国中、もう一軒気になる独立系書店にも足を運んだのだが、それもまた別の話。同じ京都の本屋でも、大型書店と独立系書店と街の本屋さんでは、出会う本がまったく違う。大型書店では「探していた本」が見つかり、街の本屋さんでは「ふつうなら通り過ぎていた本」を手に取る。

井上文鴻堂がなかったら、わたしは川端康成の『山の音』を読むことはたぶんなかった。まだ本棚に積んであるだけだが、読むのが楽しみだ。


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