見出し画像

内省する時間と外交的な自分の話(2025.8.8)

この投稿からはtumblrからの移動文ではなくリアルタイムで考えた文章になります。なのである意味初note

今回tumblrからの移設で感じたこと。
2021年はまさにコロナ禍真っ只中でステイホーム期間、つまり内省することが多い時間だったんだなあと改めて思った。その頃から自分時間に費やしていたことには気づいていたけど、終わってから見返すと本当に不思議な期間だったなと思う。もうこんなに自分のことを深掘りすることもないのだろうと。

なんだかもったいなく思った。
コロナはもちろん良いものをもたらさず(社会的には必ずしもではなくとも、死者数などの事実を見ると)、たくさんの命を奪ったものだけれど、生きた者が新しく何かを生み出せることもたくさんあった時期ではあった。

私はその頃に進路のことに悩み、決断をした。
同世代は苦しい社会で必死に就職活動を、
ある友人は休学を始めた。

みんな何かしらを深く考え行動した期間だった。
それが今特に結果として出ている頃なのかなと思う。

結果、私は明るくなった。少し外交的になった。
休学した友人も明らかに心も体も健康になっていた。
私も当時に比べたらトラウマとはうまく共存し、良い記憶で塗り替えられている。パニックも減った。

外交的になるということは人からの刺激を直で多く受けるということで、肌に触れ、突発的な言葉に触れ、ある時は作品をその場で見るリアルタイム性のあるコンテンツを多く目にする。"生"や"リアル"を感じることだと思う。

それは刺激的だった。
特にコロナ禍を経てからはかなり刺激になった。

あちこち行こうと思って二日間でいくつもの美術館を巡り、一週間でいろんな海外の人と出会った。そんな日々を過ごした時期もあった。

一番大きなイベントは1ヶ月ヨーロッパを1人旅行したことだった。とにかく英語を発すことが楽しくて、多言語を耳にすることも心地よかった。

帰国してから少し、内省の時間をとった。
海外と私との距離を考えた。
どれぐらい滞在することがメンタル的にベストか、
1人旅行はどうメリット/デメリットがあるか、
英語以外の言語へのモチベーション、など。

今文章を書いていて感じることは、内省の時間が減ったために深く考えることが減ってしまったショックである。自己分析がうまくできなくなっている気がする。「わからない」が発生すると思考を止める癖がついている。

今日友人と話したAIもきっとそう。
最近はかなり思考をそれに委ねて生きている。

昔の自分のほうが幼いはずなのに不思議に感じる。未熟な方が悩むことも多く考えることも自然と増えていたのだろうか。大人になったということなのか、考えるのをやめたことが?少し恥ずかしくも思う。

考えることをやめてはいけないと思った。
社会について、世界について、人について、政治について、人権について、思いについて、わたしについて。

たくさん考えるべきことはある。
ゴールはなくとも考える努力は怠らないようにしたい。
大人として。

いいなと思ったら応援しよう!