青い龍のお茶碗
#創作大賞2026 #エッセイ部門
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#エピペン #食物アレルギー #命を守る #広い世界へ
うちには、
龍が描かれた
厚手の
大きめのお茶碗がある。
龍は青い筆で描かれ、
長いひげと長い手足が外周に伸びる。
ぽってりと大きくて
抜群の安定感、
20歳過ぎた息子の食欲に見合う大きさだ。
いつ、うちに来たんだっけ…
選べるギフトの写真でこれを見た時、
ああこれを次男に。と思った。
これまで思ったこともなかったが、
「ああもう、今は、
命以上のことをあの子に望んでもいいのかもしれない。」
初めて、そう思った。
あの子は幼児期、
家の前を50メートル歩いただけで、
何かを吸って
アナフィラキシーを起こした。
その後も、
長男の小学校の
空調工事現場に揮発したと思われる化学物質で
人生最大のアナフィラキシーを起こした。
医師からは
「化学物質でしょう。でも何を吸ったのか分からない。
分かったところで避けようがないし。」
と言われた。
おとなしく座って遊んでいる丸いおしりの後ろ姿。
どんな顔で遊んでいるんだろうと思って
顔を見たら・・・
顔つきはこわばり、
チアノーゼを起こして、
肩で息をしていたこともあった。
おそるおそる、子どもの顔色を見る毎日が始まった。
診断がつくまで1年近くかかった。
「乳1滴で心臓が止まる子だから、気を付けてください。」と言われた。
幼稚園に上がる時は、
「園バスの窓を閉めてください」からお願いした。
わたしの携帯は、
子どもの急変の連絡専用になった。
電話が鳴るたび心臓は止まりそうだった。
電話が来ないことを祈る日々だった。
だからわたしはいまも、電話の音が苦手だ。
幼稚園からずっと
お弁当を持たせる毎日で、
一度も給食を食べることなく成人した。
小学校では、
すべての行事に親の付き添いを求められたが、
修学旅行だけは、
「何かあった時、いろは坂は救急車がすれ違えない」と分かり
参加をやめた。
どこに居ても、
緊急時に備えなくてはいけない日々だった。
制限は生活のすべてに及んだ。
次男は、
成長期に多用される乳製品、卵、大豆がダメだった。
市販のお惣菜もお弁当も加工品も使えない。
作らなければ、
食べられるものは何もない。
我が家には
あの子が生まれて10年以上、
牛乳もバターもヨーグルトもチーズも無かった。
次男は、反応性が異様に高い身体だった。
小学校では、
全校児童が毎日、牛乳を飲む。
アレルゲンの巣窟だ。
朝、
小学校に送り出すときには
「生きて帰って来ますように」と、
角を曲がるまで
ランドセルを見送った。
アレルゲンは
成長期の子どもの暮らしの中に
絶えず入り込んでくる。
どこに地雷が埋まっているか分からない。
家の外では
レッドカーペットをひいて、その上を歩かせるようにするしかなかった。
甘やかしかなあ…と、
何度、
自問自答してきたか分からない。
でも。
実際、
アレルゲンに遭遇したら、避けようがない。
身体は反応してしまう。
空気にも、だ。
エピペンは、20年以上持たせてきた。
けれど、打てば必ず命が助かるわけでもない。
だから。
とにかく。
発症させないことに、すべての注意を注ぐしかない。
そう思って、あの子を育ててきた。
とにかく。
命が無事でありますように。
生きて帰ってきますように。
ずっとずっと、祈ってきた。
だから。
それ以上のことを願うなんて、贅沢だった。
それ以上のことを願ったら、
神様は「欲張りだ」と言って
あの子が連れて行かれるかもしれない。
ずっと、そう思ってきた。
このお茶碗に出会ったのは、
次男が
20歳を過ぎてからのことだった。
あれ?…もしかしたら。
もう。
生きる以上のことを
願ってもいいのかもしれない。
この龍のように
強く、たくましく、生きてほしいと
願っても
いいのかもしれない。
初めて、そう思った。
わたしにとっては、
毎年出す五月人形も、
「たくましく」なんて、無理。
到底、そこまで行かない。行かれない。
とにかく。
生きていますように。
そのための武者人形。
…それだけだった。
あの子は、
アレルゲンに対してとても神経質だが、
本来のあの子は
ゴン太で、バンカラな、男子校気質の子だ。
乳1滴で
命が脅かされる身体をもって生まれたために
用心深く繊細な表現型ではあるが
中身は違う。
もう。
本来のあの子として生きていってほしいと
願ってもいいのかもしれない。
初めてそう思ったことに
自分で驚き、
その作り手さんに
その思いを付けて、
龍のお茶碗を申し込んだ。
作り手さんからは
「そういう思いで選んでくださったことに驚きました。
ありがとうございます。」
というメッセージと共に
お茶碗が届いた。
そうだった、今思い出した!
一度目に来たお茶碗は、
見事に(笑)
割れて届いたんだった。
それで窯元に連絡して
再送してもらったのだった。
今思うと、
一度目の割れていたお茶碗は
これまでの
あの子の歴史の代わり、だったのかもしれない。
神経質に生きざるを得なかった年月。
そうして。
二度目に来たお茶碗は、
手荒な扱いにも全く動じずに
我が家で当たり前の顔をして
食器棚に収まっている。
今は大学生になり
下宿生活をしている次男が週末帰ってくる時、
そいつの出番はやってくる。
小さいお茶碗では間に合わず、
龍のお茶碗を取りだして
ご飯をたっぷりよそっている。
170センチ近い次男に見合った、抜群の安定感。
ぽってりと厚くて
少々のことでは動じない、
青い龍のお茶碗。
いまのわたしはもう、下宿へ息子を送り出す時、
「生きて帰ってきますように」とは願っていないと気づいたばかり。
元気で大学生活を送り、
あの子本来の大きさで、
悠々と
広い世界へ出て行ってほしい。
この龍のように。
そんなことが、ありました。
風音暁璃(かざねあかり)
