仕事に優劣はある。だからこそ、人は尊い|風人(かぜびと)
綺麗事への静かな違和感
「世の中に、仕事の優劣なんてない」という言葉をよく耳にする。
それは確かに美しく、正しい響きを持っている。
けれど、その言葉を聞くたびに、僕は自分の心の中に冷たい石が置かれたような違和感を覚える。
なぜなら、僕は知っているからだ。
この世界には厳然とした「優」と「劣」があり、その境界線の上で、必死に足を踏ん張って生きている人たちがいることを。
現実の「色」を見つめる
例えば、かつて僕の友人に風俗嬢がいた。彼女は誰よりも優しく、聡明だったが、自分の仕事を「立派だ」と言うことは決してなかった。
また、僕の母は清掃をなりわいにしていた。
早朝から腰をかがめ、他人の汚れを拭き取るその背中を見て育った。
そこには「彩り」なんていう鮮やかな言葉では語りきれない、灰色で、湿っていて、重い現実があった。
彼女たちが「これは日陰の仕事だ」と悟り、その立場を深く理解して働く姿には、言葉にできない哀愁が漂っていた。
それを「優劣はない」と一括りにするのは、彼女たちの抱えてきた痛みを、透明なものにしてしまうことではないだろうか。
経済を回す「覚悟」の正体
この世界は、誰かが「劣」とされる役割を、痛みを伴いながら引き受けることで成り立っている。
「これしかできない」という諦めを抱えながら、それでも生活のために、愛する誰かのために、泥を啜るようにして働く。
そこには、華やかな成功者が語る「自己実現」や「やりがい」とは全く別の、静かなる覚悟がある。
「誰も悪くない」。
ただ、社会という巨大な歯車が回るために、誰かがその摩擦を一身に受けている。その摩擦熱こそが、僕たちの日常を温めているのだ。
それでも、明日は来る
それでも朝は来るし、地球は回る。
僕たちは毎日、それぞれの立場で「覚悟の朝」を迎える。
「仕事に優劣はある」と認めるところから、本当の敬意が始まるのではないだろうか。
立派な仕事ではないと自覚しながらも、今日も誇りを捨てずに現場へ向かう。
そんな人たちの「諦め」と「矜持」が混ざり合った背中に、僕はただ黙って頭を下げたい。
僕は掃除をなりわいにしていた母を今も尊敬している。
お母さん、ありがとう。これからもお元気で。
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