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会社員で粉骨砕身で働く意味はあるのか?「空気で動く職場」に疲れた人へ

「自営業や個人で仕事をしているのならいざ知らず、会社員で粉骨砕身で働く意味ってありますかね?」

そんな問いが、ふと胸に浮かぶことがあります。

それは怠けたいからでも、仕事を甘く見ているからでもなく、むしろ、真面目に働いてきた人ほど一度はぶつかる問いなのかもしれません。

会社員として働く。
生活のために働く。
責任を果たす。
周りと協力する。

そこまではわかる。けれど、その先にある「自分を削ってまで働くこと」に、ほんとうに意味があるのか。
その問いに対して、はっきり「あります」とは、私はなかなか言えません。

なぜなら、現実には、会社員の仕事というのは本来、そこまで人生を差し出さなくても成立するはずのものだからです。

毎月の給料があり、社会保険があり、ある程度の役割分担がある。
本来それは、「生活を支えるための仕事」であって、「人生そのものを差し出す場」ではないはずです。

それなのに、実際の職場では、しばしばそこを越えることが求められます。
しかも、明確な言葉で命じられるわけではなく、「空気」として。

今日は、そのことについて書いてみたいと思います。


頑張りすぎることが美徳にされる場所

前にいた職場で、私はずっと「ここまでは仕事、ここから先はやりすぎだ」という線を引きにくく感じていました。

理屈ではわかるんです。
無理をしすぎないこと。
自分の限界を越えないこと。
仕事と人生を分けること。

でも、実際の現場では、そのラインを越えることを、周りの空気の圧で求められているように感じていました。

誰かが残っていれば帰りづらい。
忙しそうな人がいれば、自分だけ断りづらい。
しんどそうな顔をされれば、手伝わない自分が冷たい人間に思えてくる。
「そこまでやるのが当たり前」という空気が、言葉にならないまま職場に漂っている。

特に日本の中小企業や零細企業では、こういうことが珍しくないように思います。

人が少ない。
一人あたりの負担が大きい。
制度より人間関係が優先される。
“みんなで頑張る”が半ば道徳のようになっている。

だから、頭では「線引きが必要」と分かっていても、実際にその意識で働くのはかなり難しい。
これは個人の意思の弱さではなく、職場の構造の問題です。


問題は「仕事内容」ではなく「働き方の構造」にある

働くことがしんどくなったとき、多くの人はまず「自分が弱いのではないか」と考えます。
あるいは、「この仕事が向いていないのかもしれない」と思う。

けれど、本当に見たほうがいいのは、仕事内容そのものより、その職場が何によって人を動かしているかです。

私はこれを、仮に二つに分けて考えるとわかりやすいと思っています。

ひとつは、空気で動く職場
もうひとつは、ルールで動く職場です。


空気で動く職場とは何か

空気で動く職場というのは、明文化されていないルールが強い職場です。

何が仕事の範囲なのかが曖昧で、
何が評価されるのかもはっきりしない。
でも、「なんとなくこうするべき」がたくさんある。

たとえば、

・みんながやっているから自分もやる
・先輩が帰らないから帰れない
・忙しい人がいるのに断るのは感じが悪い
・仕事を選ぶと協調性がないと思われる
・頑張っている姿勢そのものが評価される

こういう職場では、正しさよりも「どう見られるか」が優先されます。

仕事の量も責任の範囲も、明確な線引きがないまま広がっていく。
そして、真面目な人、気がつく人、断れない人ほど、その広がった分を引き受けてしまう。

すると何が起きるか。

頑張れる人に負担が集中します。
気づける人ほど消耗します。
そして、限界を越えてもなお、「自分の努力が足りないのでは」と思わされる。

空気で動く職場の怖さはここにあります。
人を壊しても、その原因が見えにくいんです。

誰か一人が露骨に悪いわけではない。
明確な命令があるわけでもない。
ただ、全体の空気として「そうするしかない」が出来上がっている。

だから、苦しいのに、どこに苦しさの原因があるのか言葉にしづらい。
自分が弱いだけのように感じてしまう。

でも、そうではないと思います。


ルールで動く職場とは何か

一方で、ルールで動く職場というのは、役割や基準がある程度言語化されている職場です。

業務範囲が比較的明確で、
評価の基準も見えやすい。
残業や対応範囲についても、少なくとも「どう扱われるか」が決まっている。

もちろん、どんな職場にも多少の人間関係はあります。
完全に無機質な世界なんてほとんどないでしょう。
けれど、それでも「感情や空気」より「仕組みや基準」が優先されている場所はあります。

そういう職場では、

・どこまでが自分の役割かが見えやすい
・断るときに個人の感情ではなく基準を使える
・頑張りすぎなくても、一定の評価がされやすい
・人の顔色より、仕事そのものに集中しやすい

つまり、自分を守りながら働く余地があるんです。

これは、冷たい働き方という意味ではありません。
むしろ、長く働くためにはこちらのほうが健全です。

空気で人を動かす職場では、優しさが搾取されやすい。
でも、ルールで動く職場では、その優しさや気配りが、ようやく“美徳”ではなく“能力”として扱われやすくなる。

ここはかなり大きな違いです。


「適応できること」と「健全であること」は別です

しんどい職場にいた人ほど、「自分は社会に適応できないのではないか」と悩みがちです。

でも、本当は逆のこともあります。

その職場にうまく適応できることが、必ずしも健全とは限らない。

むしろ、無理な空気に違和感を持てることのほうが、よほどまともな感覚なのではないかと思うことがあります。

空気で動く職場は、我慢できる人、飲み込める人、鈍感でいられる人のほうが一見うまくやれることがあります。
でも、それはその構造に適応しているだけで、その人が健康であるということとは別です。

逆に、そこに強い違和感を覚える人は、自分の感覚が壊れていないとも言える。

息苦しさを息苦しいと感じること。
おかしいことをおかしいと感じること。
それは、意外と大事な感覚です。


日本の中小企業では、なぜそれが起きやすいのか

ここで少し現実的な話をすると、日本の中小や零細企業では、どうしても空気で動く比率が高くなりやすいように思います。

人数が少ない職場では、一人の負担が重くなりやすい。
制度を整える余裕もない。
結局、「その場その場で、誰かが何とかする」に頼りやすくなる。

すると、仕事の境界線よりも、「誰がどれだけ気を回せるか」が大きくなっていく。
役割よりも人間関係。
仕組みよりも善意。
ルールよりも空気。

それで回っているうちはまだいいのですが、問題は、その“善意”がしだいに常態化し、暗黙の義務になっていくことです。

本来なら「助け合い」だったはずのものが、いつのまにか「やって当然」になっていく。
そして、それができない人や、やりすぎない人が、どこか冷たい人のように見られてしまう。

こうなると、働くことが仕事ではなく、空気の調整作業になっていきます。
しんどいのは当たり前です。


では、どうやって職場を選べばいいのか

大事なのは、「どんな仕事か」だけでなく、どんな構造の中でその仕事をするのかを見ることだと思います。

同じ事務でも、
同じ制作でも、
同じ営業でも、
会社が違えば、しんどさはまるで違います。

仕事内容だけを見ていると、「また同じ空気の職場」に入ってしまうことがある。
だから次に働く場所を考えるなら、仕事内容と同じくらい、いやそれ以上に、「空気か、ルールか」を見る必要があります。

たとえば、求人を見るときも、

「アットホームな職場です」
「チームワークを大切にしています」
「みんなで助け合いながら成長できます」

こういう言葉が悪いわけではありません。
でも、それしか書かれていないなら少し注意したほうがいい。

逆に、

・業務内容が具体的に書かれている
・評価基準がある程度説明されている
・役割分担が見えやすい
・残業や働き方について言語化されている
・面接でこちらの質問に具体的に答えられる

こういう会社のほうが、比較的ルール寄りである可能性があります。

もちろん、入ってみないと分からないこともあります。
けれど、「空気で回している会社かどうか」を気にして見るだけでも、選び方はかなり変わります。


優しい人ほど、職場は選ばないといけない

これは少し痛い言い方かもしれませんが、優しい人、気づく人、空気を読める人ほど、職場を選ばないといけません。

なぜなら、その性質は素晴らしい長所である一方で、空気で動く職場では一番搾り取られやすいからです。

困っている人に気づいてしまう。
嫌な顔をされると自分のせいにしてしまう。
誰かの不機嫌を自分が埋めなければと思ってしまう。
場が悪くならないように、自分が折れてしまう。

そういう人は、放っておくとどこまでも背負ってしまう。
そして、最後には「自分が勝手にやっただけ」と処理されてしまうことすらあります。

だから、必要なのは根性ではありません。
もっと鈍感になることでもない。
本当に必要なのは、削られにくい構造を選ぶことです。

強くなることより、壊れにくい場所を選ぶこと。
それは逃げではなく、自分の人生を守るための判断です。


粉骨砕身で働く意味があるとしたら

では、会社員として粉骨砕身で働くことに、まったく意味はないのか。

そこは少し丁寧に言いたいところです。

たとえば、自分の中に明確な目的がある場合。
ここで経験を積みたい。
この数年だけはスキルを取りにいく。
将来の独立や転職のための通過点として、意図的に負荷をかけている。

そういう場合には、頑張る意味はあります。

ただ、それは「空気に押されて粉骨砕身している」のとは違うと思うんです。

前者は、自分の意思で負荷を選んでいる。
後者は、場の圧力の中で、自分を差し出させられている。

同じように見えて、中身はまるで違います。

だから、会社員として働くこと自体に意味がないのではなく、
何のためかが曖昧なまま、自分を削ることに意味が見出しにくいのだと思います。


最後に

「あなたが弱い」のではなく、「その構造がしんどい」のかもしれない

働いていて苦しかった記憶がある人ほど、自分を責めやすいです。

もっと上手くやれたのではないか。
もっと強ければよかったのではないか。
もっと要領よく立ち回れたのではないか。

でも、そうやって自分だけに原因を引き受けなくていいことも、世の中にはあります。

あなたがしんどかったのは、
あなたが弱かったからではなく、
その職場が、優しさや真面目さを際限なく要求する構造だったからかもしれません。

そして、その違和感をきちんと違和感として感じられたのなら、その感覚は捨てないほうがいい。

会社は、人生のすべてではありません。
仕事は、あなたという人間を使い切るための装置ではありません。

だからこそ、次に働く場所を選ぶときには、仕事内容や条件だけでなく、
その職場が空気で人を動かしているのか、ルールで支えているのかを見てほしいと思います。

無理に強くならなくてもいい。
全部を背負える人にならなくてもいい。

ただ、自分が壊れにくい場所を選ぶこと。
それだけで、働くことの苦しさはかなり変わるはずです。

そしてそれは、甘えではなく、
自分の人生を他人の空気に明け渡さないための、静かでまっとうな選択だと思います。


Kashimono / Karimono

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