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ブランドは、終わらせることで生き残る――行動経済学から考える「続けること」の罠と、過去から自由になるブランド戦略

不真面目を真面目に。完全変態法務です。


最近、ふと思う。

鉄腕DASHって、いつまで続けるんだろう?

番組を否定したいわけではない。

むしろ逆だ。
長年続いてきたからこそ、そろそろ一度、きちんと「終わらせる」という選択肢があってもいいのではないか。

DASH村、DASH海岸、DASH島、0円食堂。TOKIOが築いてきたのは、もはやテレビ番組ではなく、一つの文化だ。
だからこそ、TOKIOという「人」に紐づいたまま、その人たちがいなくなっても同じ看板を掲げ続けることが、本当にブランドを守ることなのか。

私は少し疑問に思う。

「鉄腕DASH」はTOKIOとともに一度、完結させる。
その上で、DASHの精神を受け継ぐ若い世代がいるなら、「新しいDASH」としてまったく別の番組を始める。
その方が、ブランドとしては健全ではないか。


そう考え始めると、FF、ドラクエ、ロックマン、戦国BASARA、バイオハザードと、次々に頭に浮かんできた。
これは単なるコンテンツ論ではない。

「ブランドを続けるべきか、終わらせるべきか、刷新すべきか」を、行動経済学の視点から診断できるのではないか。
今回はそれをやってみたい。

1.「続けること」自体が目的化する瞬間

成功したブランドは宝物だ。

売れる、知名度がある、ファンがいる、社内にも愛着がある。
だから「続けよう」となる。ある程度まではそれで正しい。

問題はその先だ。

売れたから続ける。
続いているから、さらに続ける。
…そうしているうちに「続けること」そのものが目的化する

本来、ブランドを続ける目的は「将来にわたって価値を生み続けること」のはずだ。

ところがいつの間にか「長年続いているから続ける」にすり替わる。
似ているようで、まったく違う。

ブランドの「継続」と、ブランドの「延命」は同じではない。

むしろブランドを守るためには、一度終わらせること、休ませること、壊すことが必要になる場合すらある。

個人的に、ブランド戦略で一番怖い言葉は「とりあえず続けましょう」だと思っている。

これは一見積極的な判断に見えて、実際は「終わらせる決断が怖いから、現状維持を選んだ」だけかもしれないからだ。

2.終わらせられない理由は、一つではない

行動経済学に照らすと、ブランドを終わらせられない理由には、いくつもの心理的な罠が重なっている。

サンクコスト効果。

「30年続けてきた」「莫大な制作費を投入した」―
―過去に使ったお金も時間も、もう戻ってこない。
本来は「これから続けることで、将来どれだけ価値を生むか」だけを考えるべきなのに、「ここまでやったんだから」に引っ張られる。

現状維持バイアス。

「変える」という意思決定には、失敗の責任が伴う。
一方「今まで通り続ける」なら、少なくとも過去の実績がある。
しかも組織では、これがさらに強力になる。
何もしなかった結果10年かけてブランドが衰退しても、「時代が悪かった」で済んでしまうことがあるからだ。
改革して失敗すれば「なぜ変えたんだ」と責められる。
だから組織は、変えるより続ける方を選びやすい。

損失回避。

新しいブランドを作れば新しい顧客を得られるかもしれない。
それでも意思決定者の頭には「今のファンが離れたら」「売上が落ちたら」が先に浮かぶ。
得られる利益より、今あるものを失う恐怖の方を重く評価してしまう。
だから「一度完結させて、新しいブランドを作ろう」という合理的な戦略が、「今のブランドを捨てる」という損失に見えてしまう。

保有効果。

「先輩たちが作った」「俺たちが育ててきた」――こうなると、そのブランドを客観的に評価するのが難しくなる。
DASHで言えば、「TOKIOが30年やってきた番組」という事実が「絶対に失ってはいけないブランド」に変わってしまう。
だが本当に守るべきは、番組名か、ロゴか、出演者か。
それとも、DASHが視聴者に提供してきた価値そのものか。ここを分解しなければならない。

3.「昔のFF」がFFの代表になってしまう理由

ここでファイナルファンタジーが面白い。

個人的には「ファイナルファンタジーは坂口博信さんの伝説」という感覚がある。
もちろん現在のFFを否定する話ではない。
ただ、昔からのファンにとって「FFらしさ」の代表例は、やはり初期からVIIあたりまでの作品だったりする。

クリスタル、ジョブ、飛空艇、チョコボ。
ファンタジーとSFの融合。
仲間との物語。

VII以降も大きな変化を遂げてきたが、作品ごとにシステムも世界観も変わっていくと、「では、FFとは何なのか」という問いが浮かぶ。

人間はカテゴリーに「典型的なイメージ」を持ちやすい。
これが代表性ヒューリスティックだろう。

「FFらしいFF」の代表例が過去作に固定されると、新作がどれだけ優れたゲームであっても「これはFFなんだろうか」という違和感が生じる。

ただし誤解してはいけない。
ここは「坂口カラーを残せ」という話ではない。

坂口博信氏のコピーを作り続けても、クリエイター依存から抜け出せないだけだ。
問題は、「坂口博信という人間」を残すことではなく、「坂口博信がFFに何を与えていたのか」を抽象化できたかどうか。

これはブランド承継において極めて重要だと思う。
人を承継する必要はない。
人が生み出していた価値の構造を承継する必要がある。

4.DASH、FF、DQ、カプコン――紐づき方の違いを見る

ここまでの視点で並べてみると、それぞれ紐づき方が違うのがわかる。

鉄腕DASH。

TOKIOという「人」の物語がとにかく強い。
だから、TOKIOのDASHを一度完結させ、若手が新しいDASHを作る。
城島さんはレジェンドとして精神を伝える立場に回る。

ドラゴンクエスト。

ここは事情が違う。
「堀井雄二さんがガチでやっている間は、続けていいんじゃないですかね」というのが個人的な立場だ。
冗談半分だが、理屈としては重要で、ブランドの顔となるクリエイター自身が、現在進行形で価値を創造しているからだ。
人に紐づいたブランドだから終わらせるべき、なのではない。
正確には、ブランド価値が特定の人物に依存しているのに、その人物が価値創造から離れた後も過去の名前だけで延命しようとすることが危険なのである。

DQは「人に紐づいたブランドの悪い例」ではなく、本人が現役である間は正しく活用している例と考えられる。

ロックマン、戦国BASARA。

特定のクリエイターのカラーが強かったシリーズと感じていた。

中心人物が離れた後に無理に延命するより、一旦止める選択肢にも合理性がある。
「なんか違うもの」を量産すると、ブランドそのものが摩耗するからだ。

バイオハザード。

FFやDASHほど「○○さんの作品」という印象が強くない。
むしろゲーム体験そのものがブランドになっている。
『バイオハザード4』は大きな転換点だった。
従来のホラーゲームという枠を大胆に壊したのに、「変わったけど、バイオだ」と言える。
ブランドを守るために、ブランドの形式を変えた好例だ。

これらの違いを整理すると、「変化」と「断絶」は別物だとわかる。
ブランドは変化していい。
しかしブランドDNAまで消してはいけない。
バイオなら、生存・恐怖・探索・リソース管理・生物災害・緊張感といった核が残るから、システムが変わっても「これはバイオだ」と認識できる。

5.「終了」と「完結」は違う

言葉の使い方も重要だ。
「終了」というと、人気がなくなった、失敗した、打ち切ったという印象を持ちやすい。
しかし「完結」なら違う。
「ここまでが第一章だった」と言える。
物語を歴史にできる。

例えば、TOKIOの鉄腕DASHを完結させる。
それは「DASHが失敗した」ということではない。
「30年間のDASHという物語が完成した」ということだ。
その上で「次の世代のDASH」が始まる。
ブランドを失うのではない。
ブランドを歴史という資産に変えるのだ。

6.食品ブランドの「復刻」も、同じ構造

これはコンテンツ以外にも広げられる。

チョコレートやスイーツの「期間限定」も同じだ。
売れたからといってレギュラー化するとは限らない。

むしろ人気絶頂のところで一度終わらせ、時間を置いてから復刻する。
ただし単なる再現ではなく、「あの時の人気商品を、今の技術・味覚・市場に合わせて進化させて再登場させる」形にする。

ここには複数の心理が絡んでいる。

「今しか買えない」という希少性。
時間を置いた後に「ああ、昔あれ流行ったよね」と記憶が呼び戻される想起容易性。
「昔の人気商品」という物語自体が価値になるノスタルジア。
そして、毎日見ているものは新鮮味を失うという単純接触効果の飽和
――だから一度市場から姿を消す。

過去ブランドの想起価値と、現在の新規価値の組み合わせ。
これが「復刻」の強さの正体だ。

だから「休眠」はブランドの敗北ではない。
むしろ「今ここで終わらせることで、ブランド価値を保存する」という積極的な戦略になり得る。
いつでも買えるもの、いつでも新作が出るシリーズは、その「いつでもある」こと自体がブランド価値を下げる場合がある。
ブランドには、適度な「空白」が必要なことがある。

7.ブランドを診断する10の問い

あるブランドについて「まだ売れているから続けよう」という話が出たら、私は少なくとも次を問いたい。

1. 現状維持バイアスに陥っていないか。
 変えるのが怖いから続けているだけではないか
2. 損失回避が判断を支配していないか。
 失うものばかり見て、新しく得られるものを見ていないのではないか
3. 保有効果が働いていないか。
 「自分たちが育てたから」という理由で価値を過大評価していないか
4. 過去の成功例を「ブランドそのもの」と勘違いしていないか
5. ブランドDNAは今も有効か。
 過去の成功要因が現在の市場でも価値を持つのか
6. そのDNAを担う人材はいるのか。
 名前だけで延命しようとしていないか
7. 新規顧客にも価値があるのか。
 既存ファンのノスタルジーだけで売れていないか
8. ブランドを変えないことで失うものはないか
9. 一旦休眠した方が価値が高まらないか。
 露出過多になっていないか
10. 復活させるなら何を進化させるのか。
 単なる復刻か、それとも過去の価値の現代的再解釈か

8.「続ける」以外の5つの選択肢

整理すると、ブランドには大きく5つの道がある。

継続する
――DNAが今も有効で、価値創造を担う人材もいる。
 堀井雄二さんが現役でDQを作り続けている限り、これでいい

刷新する
――DNAは生きているが形式が古い。
 バイオ4のように、中身を変えて核を守る

一旦休眠する
――DNAを担う人材がいない、あるいは露出過多で疲弊している。
 無理に出さず、寝かせる

一旦完結する
――人に強く紐づいたブランドなら、その人の時代を一つの物語として完結させ、歴史として残す

進化版として再起動する
――過去のブランド価値を利用しながら、単なる復刻ではなく新しい価値を加えて再登場させる

「続ける」だけが選択肢ではない。
企業は「ブランドを守らなければ」と思うから続ける。
しかし、ブランドを守ることと、ブランドを続けることは同義ではない。
守るために、一旦終わらせる、休眠させる、形式を壊す、別の人に渡す――そんな選択肢もある。

9.過去への依存が、新しい挑戦を殺す

さらに怖いのはここだ。
「FFです」「DASHです」と言えば、ゼロから説明しなくていい。
だから企業はつい過去ブランドに頼る。

しかし、ブランド名が強ければ強いほど、新しいことをする自由が失われるという逆説がある。

「FFらしくしなければ」「DASHらしくしなければ」――そう考えているうちに、「新しいことをする」というブランド本来の役割が死んでいく。

過去の成功 → 成功パターンへの依存 → 新しい挑戦の減少 → 新鮮味の低下 → 陳腐化 → 売上低下 → 「もっと昔のブランドを大切にしよう」 → さらに過去依存。

これが、ジリ貧まっしぐらの正体ではないか。

10.結局、ブランドの価値は「名前」ではない

ブランドとは、ロゴでも、名前でも、シリーズ番号でもない。
「昔から続いている」という事実そのものでもない。
ブランドとは、消費者の頭の中に形成された「このブランドなら、こういう価値を提供してくれる」という期待の集合だ。

名前を残しても、その期待を裏切ればブランドは死ぬ。
逆に、名前を変えても、その価値を超えるものを提供できれば、新しいブランドが生まれる。

11.最後に――「あとは、お前らのDASHや」

鉄腕DASHがもし本当にそういうタイミングを迎えたら、私はこういう終わり方を見てみたい。

30年間の映像。
DASH村、DASH海岸、DASH島。笑ったこと、失敗したこと、本気でやったこと。
そして最後に城島さんが振り返って、「ここまでが、俺たちのDASHや。」と言う。
そして若い世代に向けて、「あとは、お前らのDASHを作ってくれ。」と。

そこで番組が終わる。
少し時間を置いて、新しい番組が始まる。
名前も、ロゴも、出演者も違う。

そして、私が本当に見たいのはここからだ。

若手が何かに挑戦している。
畑を耕すのか、島を開拓するのか、内容はなんでもいい。
うまくいかない。
予定通りに進まない。
誰も正解を持っていない。
台本にもない。

その時、ふらっと城島さんが現れる。

別にレギュラー出演ではない。
呼ばれてもいない。
ただ、なぜかそこにいる。

「お、なんや、困っとるんか」

そう言って、道具も持たず、経験だけで現場に入っていく。
長年の勘で、若手が3時間かけても分からなかったことを、5分で言い当てる。

そして、また去っていく。
「頑張れよ」も言わない。
ただ、いなくなる。

――これ、控えめに言って、めちゃくちゃカッコよくないか??

正直、今の「毎週決まった枠でDASHをやり続けるTOKIO」より、この「たまに気配だけ現れるレジェンド城島」の方が、よっぽど見たい。
むしろこっちを本編にしてほしいきがしている。

そして多分、これをやられたら泣く。
不真面目を真面目にとか言っている場合ではなく、素で泣く自信がある。

なぜなら、これはもう「番組の演出」ではなく、「ブランドの承継」そのものが画面に映っているからだ。
師匠が弟子の背中を、言葉ではなく気配で支える。
名前も看板も譲り渡しながら、価値だけは静かに手渡していく。
それが一番、感情を動かす瞬間なのだと思う。

それでいい。
それこそが、ブランドの承継なのだと思う。

過去をそのまま保存することでも、コピーすることでも、縛られることでもない。
過去を伝説にして、次の世代を自由にする。
それができたとき、ブランドは「続いた」のではなく、「生き延びた」のだと思う。

私はブランド戦略を考えるとき、「どうやって続けるか」よりも、「今、終わらせるべきなのか」を最初に問うくらいで、ちょうどいいと思っている。

「とりあえず続けなきゃ」。
これだけは、たぶん一番よろしくない。

大切なのは「続けること」ではなく、「価値を生み続けること」。
ブランドとは過去の勲章ではなく、未来に価値を生み出すための資産である。

……たぶん。

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