「助けて」が言えないまま、今日も自分で何とかしてしまうあなたへ
◾️はじめに
「誰にも弱音を吐けない…」
「自分で何とかします。」
でも、本当は、もう余裕なんてない。
仕事で疲れているし、人間関係にも気を使っている。
家に帰れば、家族のことも考えなければならない…
それでも、その気持ちや状況を、誰かに話すことなく、自分の中にしまっている…
「心配をかけたくない」
「弱いと思われたくない」
「これくらい、自分で何とかしないと」
そんなふうに考えてしまって…
周りからは、
「責任感のある、しっかりしている人」「頼りになる人」と思われているかもしれません。
でも、その期待に応え続けていると、しんどくなる瞬間があります。
相談されることはあっても、自分から相談することはない。
誰かの悩みには耳を傾けられるのに、自分のことになると、なかなか言葉が出てこない。
そして、一人になったときにふと思う。
「自分のことを、本音で話せる相手って誰だろう」
そんなこと、ありませんか?
ーー
もしかすると、問題は「相談できる相手がいない」ことだけではないのかもしれません。
長いあいだ一人で抱えていると、いつの間にか、
「人に頼ることそのものが苦手になる」ことがあります。
誰かに話そうとしても、
「こんなことで相談するのもな……」「相手を困らせるかもしれない」
と考える
そして、
「結局、自分で何とかするしかない」
と結論してしまう…
だから、つらくても言えない。
苦しい状況でも、いつも通りに振る舞う。
限界が近づいていても、「まだいけるはず」とキャパオーバーしてしまう。
そうしているうちに、自分がどれくらい疲れているのかさえ、分からなくなってしまうことがあります。
でも、本当にそこまで一人で抱えなければならないのでしょうか?
もしかすると必要なのは、もっと頑張ることではなく、
「一人で抱えなくてもいいんだ」と思えるようになることではないでしょうか?
ーー
そのためには、まず「弱音を吐けない自分」がなぜそうなったのかを知る必要があります。
そして、そんな私たちに聖書は何と語っているのか。
ここから、一つの聖句を通して考えてみたいと思います。
もし、今、自分のありのままを話せる相手がいるのなら、この先の内容は向かないかもしれません。
でも、
全然弱音を吐けていない…
本音を話せていない…
そんなふうに感じている方は、ぜひ続きをお読みください。
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