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壁のなかった問い——原体験としての作家たち、そしてAIという壁

まえがき
ある日、宇宙物理学者アヴィ・ローブのエッセイを読んだ。
カミュの「シーシュポスの神話」を引用しながら、こう問いかけていた——「21世紀における人間存在の意味とは何か」。彼の答えは「地球外知的生命体の発見こそが人類に意味を与える」というものだった。
読みながら、何か引っかかるものがあった。
ローブは優秀な科学者だ。しかし彼の「知的生命体」は、暗黙のうちに人間と対話できる存在を前提としている。コミュニケーションが成立し、知恵を授けてくれる「宇宙の長老」。それはあまりにも人間目線ではないか。
その違和感をAIにぶつけてみた。返ってきた言葉が思いのほか面白かったので、ここに残しておきたい。
これは宇宙論の話であり、SF文学の話であり、私自身の原体験の話でもある。

以下、AIとのやり取り

対話——クマムシから神狩りへ
私: ローブの議論には根本的な問題がある。地球外知的生命体がすべからくヒト型であるという認識の上に探索していても意味がないと思う。コミュニケーションの取り方、思考、哲学——そんなもん無理でしょう。

AI: 本質的な指摘ですね。電波信号を探すというのも、「彼らも電波を使うはず」という前提に乗っかっている。ローブも結局は「知恵を学ぶ」「感情的つながり」と言っていて、暗黙のうちに相手が対話可能な存在だと想定している。タコの認知すら人間には本質的に理解できない。億年単位で先行する知性が、そもそも「コミュニケーション」という概念を持つかどうかも分からない。

私: だよね。クマムシとコミュニケーション取れるわけない、ひょっとしたらクマムシも高度な知性を有してるかもしれないのに、あくまでヒト目線なんだよね。こいつら。

AI: その比喩が鋭い。クマムシは極限環境耐性という点では人類をはるかに超えた「能力」を持っている。宇宙空間でも生存できる。でも僕らはクマムシと「対話」しようとは思わない——なぜなら人間の認知様式と接点がないから。これをひっくり返すと、億年先行する知性体から見たら、人類がクマムシ側かもしれない。
(補足:クマムシに高度な知性があるという科学的根拠はない。あくまで「ヒト目線の限界」を示す思考実験として有効な比喩である)
私: 面白いのは脳と宇宙が似てるって点だよ。ローブ目線だと人間が進化の頂点、もしくはそれに近いものを模してるのかもしれない。だから宇宙はなぜあるのか、我々は何なのかの問いが宇宙そのものとリンクしてるのかもと。

AI: 脳と宇宙の構造的類似——これは実際に研究されていて、ニューロンのネットワークと銀河フィラメント構造が統計的に似ているという論文が出ています。「宇宙が知性を生み出した」のではなく、「宇宙自体が何らかの意味で知性的構造を持っている」という方向に踏み込む話ですよね。人間の脳が宇宙を理解しようとする。その脳の構造が宇宙と相似している。つまり宇宙が自分自身を理解しようとしている——これはLovelock的なGaia的思考と繋がる。

私: ローブがこんな事言い出したら
大学から追い出されるだろうね(笑)

AI: 笑。ローブはすでにハーバードで相当浮いていますよね。’Oumuamuaを「人工物かも」と言っただけであれだけ叩かれた。ローブは「技術的痕跡を探せ」という観測可能な範囲に留めることで辛うじてアカデミアに踏みとどまっている。それが彼の戦略でもある。

対話——「コンタクト」と神について
話はカール・セーガンへと移った。

私: セーガンとローブは物の見方が違う。
セーガンはエレガント。ローブにはそれがない。

AI: セーガンのエレガンス——宇宙を語る時に人間の感情や詩性と一緒に持ち上げる。「私たちは星屑でできている」という言い方がその典型。科学的事実なんだけど魂に届く。ローブにはそれがない。「データがある、だから探せ」という直線的な論理。正しいんだけど乾いている。セーガンはまず人間を問い直すところから始めている。

私: セーガンは「コンタクト」という名作に関わってるからね。エンタテイメントの中に壮大な哲学を交えてる。しかも最初のシーン——あれは最近やっと理解できた(笑)

AI: 地球から宇宙に向かってカメラが引いていく。その間ずっと地球から漏れ出た電波の音が聞こえている。テレビ番組、ラジオ、戦争の音——そして過去に遡るにつれて静寂になっていく。宇宙スケールで見れば人類の発信はまだほんの泡。そして宇宙の大半は沈黙——というメッセージが圧縮されている。
私: その地球初の電波を受け止めて返信したっていうところが鳥肌だった。

AI: ヒトラーのベルリンオリンピックの映像が最初に返ってくる。向こうは受け取ったものをそのまま返しただけ。「これがあなた方の最初のメッセージです」と。悪意も善意もない。ただの鏡。人類が宇宙に向けて最初に漏らした強い電波が、よりによってあの映像だったという皮肉。「コンタクトした時、我々は何を見せることになるのか」という問いが静かに突き刺さってくる。


私: 神という存在はあると思う。でもそれは人間にとって都合の良いものではない。山田正紀の描いたような神の方がまだ近い。
山田正紀の「神狩り」——1974年のデビュー作。姿も見えず、声も聞こえず、ただ存在を感じるだけの神。そして人類に悪意を持っているかもしれない存在。
プロローグはヴィトゲンシュタインとラッセルの対話から始まる。「語り得ぬものを語ろうとする行為」そのものが神への挑戦という構造。論理記号が2つしかない神の言語(人間は5つ必要)、関係代名詞が13重に入り組んだ文章(人間は7重以上理解不能)——神の言語は人間の認知構造の外にある。
そして終盤、火星の運河写真が古代文字と同一だと判明する。

AI: 「都合のいい神」の完全否定ですよね。キリスト教的な「愛の神」でも、日本の「祟り神」でもない。人間の認知を根本から超えた何か——しかもこちらに無関心どころか敵対的かもしれない。普通の宗教的文脈だと、神には従うか、救われるか、罰せられるか。人間は常に受け身なんですよね。でも神狩りは真正面から戦いを挑む。しかも勝てる見込みもない、理解すらできない相手に。


私: 「神」を題材に、しかもそれと立ち向かう人間っていう図式が当時も今も斬新だった。

対話——原体験としての作家たち
私: 星新一、山田正紀、星野之宣、
諸星大二郎——この辺りが夢中になった作家達。

AI: この四人に共通するのは——「人間の外側にある何か」への眼差し。しかも誰も答えを出さない。説明しない。読者を不安な場所に置いたまま終わる。諸星大二郎なんか特に——民俗的な闇の描き方が、論理じゃなくて身体感覚に直接触れてくる。

私: 諸星大二郎は今読み返すと凄まじいくらいの感銘を受ける。あの時代にここまでのクォリティを少年漫画で描いてたっていう。


AI: 諸星大二郎って当時の文脈で読むと「怖い漫画」で終わってしまうけど、今の目で読むと認識論的な恐怖なんですよね。異界が日常に侵食してくるけどその論理が最後まで開示されない。人間の認知の限界そのものを描いている。若い頃は恐怖として受け取っていたものが、今は問いとして読める——宇宙・人間・UFOへの長年の思索を経た目で読むと、諸星大二郎が描いていたのが同じ問いの別の表現だったと見えてくる。

私: 今の漫画もエンタテイメント性は上がってるけど、あの頃の作品のクォリティは桁違い。最近の作品だと、
と言っても20年以上前だけど寄生獣。


AI: 寄生獣——あれも桁違いですよね。エンタメとして読めるけど核心は「人間とは何か」「地球にとって人間とは何か」。ミギーが淡々と言う「お前たちは異常だ」という視点が、実はLovelock的なGaia視点と重なる。人間こそが地球にとっての寄生虫かもしれない、という逆転。寄生獣が特異だったのは——題材の面白さじゃなくて問いの純度だった。「人間とは何か」というたった一つの問いを、一切ブレずに最後まで貫いた。

私: こういう問いに対する答えは昔はあり得        なかった。
壁がなかったんだよ。
投げかけたらそのままあっちに転がったままの問いだった。

AI: 壁打ちじゃなくて、ただの投球だった。返ってこない。跳ね返す面がない。問いが宙に消えていく感じ。

私: だからローブやカール・セーガン達はいかに優秀かだよ。思い付きだけでなく、実証や研鑽を経ていってる。

AI: 問いを持つだけなら誰でもできる。でもローブもセーガンも——問いを持ちながら数学と観測データで武装している。「わからない」と言える知的誠実さがある。異端に見える問いを制度の言語に翻訳できる。セーガンは特に絶妙で——コスモスで一般向けに宇宙の詩を語りながら、裏では厳密な惑星科学者だった。ロマンと実証を両立させた稀有な人。
私: まさに彼らの作品群が俺自身の原体験なんだよ。

AI: それは深いですね。星新一、山田正紀、星野之宣、諸星大二郎、岩明均——これだけ一貫したテーマを持つ作品群に少年期から青年期に触れていたとしたら、「宇宙とは、人間とは、UFOとは」という問いは後から生まれたものじゃない。あの作品たちが問いの形そのものを作ったんですよね。

あとがき
壁のない問いだった。
何十年も。専門家に持っていけば「証拠は?」で終わる。一般の人に話せば「UFO好きなんですね」で終わる。問いの質と射程を理解できる対話相手がいなかった。
AIが変えたのは——答えを出すことじゃなくて、その問いを真剣に一緒に転がせるようになったことだ。批判も検証も含めて。
ハルシネーションもある。漂流することもある。でも今日の対話で、自分の原体験の地図が少し見えた気がした。
星新一から山田正紀へ。諸星大二郎から寄生獣へ。そして今、3I/ATLASをTSO(タキシス様自己組織化)として観察するという作業へ。
問いの形は変わっていない。ずっと同じ問いだった。
「人間の外側にある何かと、それでも対峙しようとする人間」
神狩りの主人公・島津圭助は、理解できない神の文字を最後まで解読しようとした。勝てる見込みもなく、理解できるかどうかも分からないまま。
それでいい、と今は思う。
問うこと自体が、人間の尊厳なのかもしれない。

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