思考と身体(脳も)はどこかで比例しているのかもしれない
起床後の習慣を変える試みを始めて27日目。
今朝は仕事の日なのですが、いつもお世話になっているスマホのアラームが鳴る前に目が覚めた。
アラームの前に自然に目が覚めるのは、休みの日が多い(ほぼ休みの日しかない)ので、「今日は休みだったかな⁉︎」と脳裏をよぎり「そうだ今日は休みだ」と都合が良く解釈(流石の思考パターン)した次の瞬間、「あれ⁉︎いや、待てよ。今日は金曜日。まだ仕事ではないか」と気づいた瞬間、先程の小さな喜びが一気に反転し、何とも言えない落胆が押し寄せてきたと同時に「仕事ならもっと寝なければ」と再び眠りに就こうと考えながら意識をフェードアウトした次の瞬間、アラームが鳴り、完全に覚醒。二度寝の欲望もアラーム音により打ち砕かれました。
一度喜んでから勘違いを確信したあとは、落胆も大きいものですね。まあ、歓喜まではいく事象ではなかったのでダメージは少ないですが。
布団から出てスマホのアラームを止め、布団から出て本を手に取り活字に目を落とす。この一連の流れは、定着してきたように感じます。
さて、今日も「書くネタがないな」と思いながら、どうしようかと。連続投稿の欲目があり、辞めずになんとか継続させようと抗っていることは、素晴らしいと自画自賛しつつも、文豪のように天から都合よくネタを降らせてくれるわけでもなく。
そんな中、帰宅後に妻と会話をしていると、妻が今日キムチを自分で作った話になりました。
材料や作り方を調べるため、インターネットでいろいろ検索していたそうです。
最近は動画中心のSNSが多くあり、文字情報より動画の方が手軽で情報収集のハードルも低いので活用していますが、いくつか見てみると、作り方は材料、調味料等を含めて人それぞれで千差万別。もちろん、『正解』なるものは存在しないとは思っていますが。この定義も私個人としては疑問が残るのですが、また別の機会に。
漬物や発酵食品は、「本来シンプルな材料と手間、そして時間をかけて作る」が基本という考え方がしっくりきます。
しかし、時間短縮のために様々なものを加えたり加工等をして手軽に「完成」させる方法も多く見かけますが、私自身は、それらを「別物」と捉えています。そういったものを否定するつもりはありませんが、やはり、自分自身で作るものが安心できて、味も自分好みに寄せることも可能であり、漬物であれば、醗酵という時間を経て美味しさ(旨味)に辿り着くと感じているからです。
料理も調味料も、できるだけ手作りが好きな妻。
今日も妻が作ってくれる料理に感謝です。
本当にありがたい話です。
世の中には、情報も物も溢れ返っています。それ自体はとても幸せなことですが、その中から「本物」を見極める力が、問われていると感じます。
そのためには、自分で学び、知識を得て、物事を深く掘り下げ、さまざまな側面から考えることが大切であり、多角的に物事を見る力(捉え方)は、今の時代だからこそ必要なのではないかと。
「考えが固定化すると、思考も身体(脳も)も硬くなる」と聴いたことがあります。
真偽は別として、物事を多方面から多角的に全方向から捉えられる人の方が柔軟性があり、しなやかだという感覚はあります。
思考と身体は、どこかで比例しているのかもしれません。とは言え、私自身も、つい固執したり、自分の偏った考えに囚われたりしまう面があります。だからこそ意識して、柔軟に、多角的に、いろいろな角度から物事を捉えられるよう心がけています。
日付が変わる時間を気にしながらも、なんだかんだ言いながら、書くことができました。
連続投稿30回(1ヶ月)という直近の目標が近付いてきましたので、積み重ねてクリアしていきたいですね。
