「ドウセイドウメイ」第3話 Girl's perspective
炭酸水のような
「炭酸水のような告白で良かったのに。」
瀬奈がぼんやりと呟いた。
私は何も言えず、ただ横顔を見つめていた。
「シュワっと相手に刺激だけが伝わって、跡形もなく忘れてくれればいいだけだったのに。」
二人きりのランチの時間。
瀬奈はお弁当をとっくに食べ終えて、能面のように表情を変えずにウィルキンソンを口に含んでいた。
実は瀬奈は炭酸水があまり好きではないが、体重管理のために飲んでいる。
私は、ママが作ってくれたお弁当を口に運ぶ。
味なんてしない。
ただ、鉛を飲み込むだけの作業を続けていた。
数日前、瀬奈がサッカー部の剛志に告白した。
瀬奈は思い立ったらとにかく行動しないとすまないタイプ。
剛志を体育館裏に呼び出し、告白したのだ。
今は令和だぞ、昭和世代もビックリな古典的な方法。
そして、大撃沈。
まあ、剛志は紳士だったみたいだ。
「今は部活と受験に集中したい。」と告白に慣れている男子らしくうまく断ってくれた。
しかし、噂は瞬く間に学校中を駆け巡り、瀬奈はみんなの好奇の視線に晒されていた。
まあ、そうなるよね。
私の天使は、瀬奈の暗い顔を見るのが辛いと言っている。
私の悪魔は、瀬奈が剛志にとられなくて良かったと言っている。
いや、どっちも私の我儘なだけ。
天使も悪魔もない、ただのエゴだ。
私は、とにかく瀬奈に明るくなって欲しくて、迷いながら話しかけた。
「人の噂も七十五日と言いますし、みんなも忘れてくれるよ。そのうちに、ね。大丈夫だよ。」
私まで古臭いことを言い出していた。
もっと上手いことが言えないのか、と自分自身に苛立っていた。
「おばあちゃんか、そんな長い期間も耐えられない。みんなが忘れてくれるとは限らないよ。」
瀬奈は心底うんざりしていた。
私は彼女の横顔を見つめて、別のことを考えていた。
暗い顔も悪くない。
やっぱり、私は瀬奈が好きだ。
私も、炭酸水のような告白をしたい。
シュワっと瀬奈に刺激だけが伝わって、跡形もなく忘れてくれればいい。
どうせ答えは決まっているから。
でも、一度でいいから瀬奈には本心を伝えたい。
もう、嘘をつくのは嫌。
瀬奈が告白を跡形もなく忘れ、元の親友に戻ってくれればいいだけ。
完全なエゴイズム。
たぶん、私は悪魔だ。
いや、絶対に悪魔なんだろう。
そんなことを考えながら黙り込んでしまった。
スイッチ
「もう、振り切った。終わったことよ。」
突然、沈黙を破って瀬奈が大きな声で言った。
「えっ。」と私は驚いた。
「剛志君のことは諦めた。だって、もう付き合うのは無理なんだもん。」
「切り替え、はやくない。」
私は半分呆れていたが、もう半分は嬉しかった。
瀬奈は立ち上がって一気にウィルキンソンを飲み干した。
次の瞬間、激しくむせ返っていた。
私が瀬奈の背中をさすると、バツが悪そうに笑って言った。
「やっぱり、炭酸は甘いのに限るよね。」
これが瀬奈。
落ち込んでいる姿は似合わない。
いつもの背の低い向日葵に戻ってくれた。
「私は部活に生きる、次の大会で上位に入ってやるんだから。」
「それでこそ瀬奈、さすが。」
「そして、推薦を貰って受験勉強しないで高校に入ってやるんだから。」
「そこなの。」
振られたことによって生じたエネルギーは勉学の方には向かないようだ。
まあ、想像はついてました。
「でもなぁ。」
「なあに。」
「なかなか振り切るのは難しいものです。」
「まあ、好きな気持ちはすぐには変わらないしね。」
「でも、前に進まないとね。とっとと忘れてやる。こんな可愛い私を振る男のことなんて。」
瀬奈が口をへの字に曲げて胸を張った。
「そうだね。ホントに酷い男。」
「まあ、そこまで悪くもないわけで、ちょっと言い過ぎよ。」
「なによ、それ、裏切られた気分。」
「人の噂が七十五日なら三倍の速度で忘れてやる。シャア専用ってやつよ。」
「なにそれ。」
私は意味が分からなくて瀬奈に聞いた。
「私も知らないけど、パパとお兄ちゃんがよく言っている。」
「なによ、そのシャアって。」
「私だって知らないわよ。早く忘れられればなんでもいいじゃない。」
生成AIに聞くと、大昔のロボットアニメの悪役が出てきて「アニメかよ。」と顔を見合わせて大笑いした。
背の低い向日葵は、私が思っているよりも太陽を見つけるのが早かった。
陸で溺れてた
夏休み前の土曜日のことだった。
「いやぁ、みなちゃんが応援に来てくれて嬉しいよ。」
剥げかけたおっさん、いや、パパの顔は緩みっぱなしだ。
「みなちゃんが、パパが走っているところを見たいなんて珍しいものね。」
ママは不思議そうに言っていた。
ママはいつもパパが走る時に応援に来ている。
結婚する前から。
いつまで夫婦でラブラブでよろしいですね。
今日は市陸協の記録会。
気が付くと、記録会の関係者や知らない先生などがパパに次々と話しかけていた。
この剥げかけたおっさんは何者なんだ。
市内の陸上選手の記録会で大人だけでなく、大学、高校、中学生も走る。
はっきり言っておく。
断じてパパの応援ではない、瀬奈の応援だ。
そんなことを二人には言えないので「ワタシ、パパノ、オウエンニ、イキタイデス。」と言って連れて来てもらったのだ。
狂ったように喜ぶ剥げかけたおっさんを目にして、幸せな人だと思った。
あれから瀬奈は一人で頑張っていた。
朝練で走り、放課後もしっかりと走り込んでいた。
走っている瀬奈は本当にきれいだった。
家に帰って、スケッチブックにその姿を描き殴り続けていた。
瀬奈は、3000mに出場予定。
既に走り終わったパパは、着替えて私の横に座っていた。
パパの結果、そんなの知らない。興味ないから。
しかし、なんで陸上選手って男も女もこんなに薄着なんだろう。
もちろん、吾郎もいた。
瀬奈もそうだけど、吾郎もピッチピチなユニフォームを着ていた。
田中が見たらどう感じるのだろうか。
そんなどうでもいいことが頭の中をよぎった。
もしかしたら、私も緊張しているのかもしれない。
陸上競技場のビジョンに女子3000mと表示された。
フィールドに色とりどりのユニフォームを着た選手が飛び出して、ダッシュしている。
記録会なので、中学生だけでなく、高校生、大学生、社会人もいた。
その中に瀬奈がいた。
腰に「10」のゼッケンを貼った姿は、とても小さく見えた。
今までに見たことのない瀬奈の真剣な表情。
やっぱり、好きだ。
スタート地点に選手が一列に並び、手足をブラブラしたり、伸ばしたりしていた。
パーンッ。
乾いた音の後、選手が一斉に走り出した。
「みなちゃんのお友達は、腰ナンバーが10の女の子だよね。」とパパが聞いてきた。
「黙って。」
邪魔されたくなかった。
瀬奈だけを見ていたかった。
瀬奈は中学生のトップグループの前の方にいた。
1000m通過、瀬奈には余裕があるように見えた。
2000m通過、瀬奈の表情が一変した。
一気に苦しそうになった。
ズルズルと集団の最後尾に落ちていく。
私の胸の鼓動が高まっていった。
残り2周、周りの選手のペースが上がる。
瀬奈は、もう着いていけなかった。
いつの間にか必死で瀬奈の名前を叫んでいた。
残り1周、もう見てられなかった。
何も言えなかった。
普段、あんなにしなやかに走っている瀬奈が溺れていた。
陸で走っているのに。
ゴール後、瀬奈はうつむいて涙をこぼしていた。
少なくても中学生のトップグループにいなければ、陸上の推薦で高校に行くことは難しい。
秋からのシーズンで結果を残すしかなくなった。
推薦まで、もう、あんまり時間がない。
「なんで、あんなに頑張ってたのに…」と私が呟いた。
「ダメだな、単純に追い込み不足だ。」とパパが言った。
「パパに何がわかるの。瀬奈は必死だったのに。」
瀬奈は頑張っていた。
私はわかっている。
あんたに何がわかるって言うの。
怒りが込み上げて来て、パパを睨みつけた。
全くうろたえず、パパは真剣な目で私を見てはっきりと言った。
「湊、あの女の子、一人で練習してるだろ。」
「えっ、なんで。」と私は驚いた。
「フォームは悪くないが、2000m過ぎてあんな落ち方をするのは、練習での追い込みが足りてない。」
「足りないって。」
「一人で頑張る選手に多い。自分じゃ限界まで追い込めないんだ。」
「どうすればいいの。」
「努力しているのはわかる。ただ、一人でできる練習にも限界がある。もっとレベルの高いのグループに入らないと、これ以上は厳しい。」
「一人しかいないの。」と呟いた。
パパを見ると、もうフィールドに視線を戻していた。
見たことがない鋭い目だった。
家でヘラヘラしているパパじゃない。
少し怖い、昔、怒られた時みたいに。
「助けてよ。」
「えっ。」とパパが振り向いた。
「お願い、瀬奈を助けて。お願いします。」
私は立ち上がってパパに頭を下げた。
パパは少し驚いた顔をしていた。
少しして「仕方ないなぁ。」と言って、大きく伸びをして立ち上がった。
「まず、顧問の先生とみなちゃんの友達と話そうか、ツテがないわけじゃないしな。」
ゆっくりと顧問の先生のところに行って、思いっきり下の名前を大声で呼び捨てにしていた。
なぜか、顧問の先生はパパのことを知っているみたいでペコペコしていた。
それからのパパは早かった。
顧問の先生と瀬奈、来ていた瀬奈のお母さんと話をした。
パパは、顧問の先生と瀬奈を連れて、競技場の中を歩き回り、知り合いらしい人達に次々と声をかけていた。
何を話しているかわからなかった。
ただ、1時間も経つ頃には瀬奈の表情がどんどん明るくなっていった。
後で瀬奈から、パパが学生向けの陸上のクラブチームの練習に参加できるように段取りしてくれたのだと聞いた。
瀬奈は喜んでいた。
練習に参加するだけでも難しい強豪クラブチームだったらしい。
少しだけ、ほんの少しだけ。
パパを見直していい気がした。
異物混入
そんなこんなでパパと瀬奈達が話をしている時だった。
「おい、応援に来てくれたのか。」と声を掛けられた。
振り返ると、吾郎だった。
「う、うん、どうだった。」
「おいおい、見てくれてなかったのかよ。予選を一位で突破した。」
「すごいじゃん。」
「まあな、決勝がこれからだから、ちゃんと見てろよ。」
「うん、瀬奈と一緒に見るよ。」
「あいつはしばらく無理だろ。」
「なんでよ。」
「クラブチームの練習に参加するのが決まったみたいで、その話が色々あるみたいだぜ。」
「そうなんだ。うん、応援するから頑張ってね。」
「おう、任せろ。優勝してきてやる。」
ニカっと豪快に笑って吾郎が去って行った。
吾郎の明るさは瀬奈とは全く違う。
花で表せるものではない。
なんだろう、金属、そう黄金みたいな輝きと固さがあるような気がした。
何度話しても慣れない、私には強すぎる光を放っている感じがした。
私とママの二人で吾郎の砲丸投げの投擲を見ていた。
投げる前の真剣な表情、投げる瞬間の力のみなぎる様子、投擲の行方を見る表情、いい絵が描けると思った。
でも、そんなことをしたら田中が文句を言ってきそうだから、やめておくことにした。
最後の投擲の前に吾郎の優勝が決まっていた。
「吾郎、最後の投擲なの。」と瀬奈が隣に座って聞いてきた。
「うん、県記録に挑戦だって。」
「練習では何度か出してるんだけどね。こっち見てるよ。」
「そうだね。」
「手を振ってあげなよ。」
「えーっ。」
「いいから、お願いよ。」
「はいはい。」
私は吾郎に向かってヒラヒラと手を振ると、吾郎がニカっと笑っていた。
最後の投擲は、すごい飛距離が出たが思いっきりアウトだった。
顧問の先生がすごい形相で吾郎を睨み付けていた。
「ありゃ、荒れますな。」と瀬奈が言った。
「そうなんだ。ご愁傷様。」と私が返した。
しばらくして、瀬奈がいきなり私の両手を握って言った。
「本当にありがとう。」
「な、なにが。」
「お陰で良い環境で練習できそう。」
突然のことで固まった。
私は、胸がドキドキして、口をパクパクさせて何も言えなかった。
「最高の親友よ。」と瀬奈が言った。
胸に何かがズブリと刺さった。
そう、瀬奈にとって私はただの親友。
それだけの存在。
瀬奈は、嬉々としてクラブチームの話をしてくれた。
どんなにレベルの高いチームなのか、どれだけすごい選手がいるのか、高校の先生もスカウトに来るチームだとか。
さっきまで下を向いていた背の低い向日葵が、太陽の光のお陰で上を向いてキラキラしていた。
私は適当に相槌を打っていた。
いや、必死に普通を装って相槌を打っていた。
たぶん、普通に返せたと思う。
瀬奈の言葉は何も頭に残ってなかった。
ただ、胸に刺さった何かの痛みにじっと耐えていた。
瀬奈の笑顔を見るたびに、ズブリ、ズブリと刺さり続けた。
この何かがとっとと消えて欲しい。
跡形もなく。
でも、いくら待ってもシュワっとはならなかった。
炭酸水みたいに。
二人の純粋すぎる同盟の結末は、最終回の第4話はこちらからどうぞ。
今回のお話は、以前に「シロクマ文芸部」さんの「炭酸の」から始める企画に参加した作品がもとになっています。
この連載小説を書こうと思った切っ掛けのショートショートです。
