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【人生観】スマホがあるこの時代に、あえてコンデジを買った理由

画質やAI補正などスマホのカメラがこれだけ高性能になった時代に、あえてコンパクトデジタルカメラを買った。
周囲から見れば、やや逆行している選択かもしれない。実際、自分でも「必須か」と聞かれれば、首を縦には振らない。

ゆるミニマリストの自分が、なぜスマホがあるのにカメラを買ったのか。
この選択には、意外と多くの納得が積み重なっている。


① 写真の質:劇的ではないが、確実に少し良くなる
細かい理屈は正直よくわかっていない。
センサーサイズが大きいとか、ズーム時の劣化が少ないとか、星空がきれいに写るとか、そういう話を聞いて「たしかにそうらしいな」と思っている程度だ。

ただ、撮った写真を見たときに、ズームしてもガサガサの映像でなかったり、背景ボケが自然だったりと、スマホよりも少しだけ余裕のある描写を感じる。その「少し」が、自分にとっては大事だった。

完璧な画質を求めているわけではない。
ただ、せっかく残すなら、ほんの一段だけ質の高いものにしたい。その程度の欲求に、専用機はちょうどいい距離感で応えてくれる。


② 写真一枚一枚への意識が高まる
スマホは気軽すぎる。
これは便利さでもあり、同時に弱点でもある。いつでも撮れるから、深く考えずに量が増える。結果として、一枚一枚の存在感が薄れていく。自分はそこに、少し違和感を覚えていた。

カメラを使うと、撮る行為そのものに集中せざるを得ない。
取り出して、構えて、シャッターを切る。その数秒で、自然と気持ちが切り替わる。

被写体側も同じで、カメラを向けられると、姿勢や表情がわずかに整う。その微妙な感覚が、写真に残る気がしている。

また、良いカメラを持つことで、構図や露出といった要素にも目が向くようになる。
上手くなりたいというより、雑に撮りたくない、という感覚に近い。結果として、写真の「味」は少しずつ増えていくのだと思う。


③ 画像フォルダの中で「思い出」と「情報」を切り離せ、人生の記録として整理される
写真の整理という観点でも、カメラは相性が良かった。
スマホの写真フォルダには、思い出と情報が混在する。スクリーンショット、メモ代わりの写真、あとで消すつもりの画像。
それらと並んで、人生の断片が置かれていることに、以前から落ち着かなさを感じていた。

カメラで撮った写真だけを残すと、それは自然と「思い出」になる。
あとから見返したとき、そこにあるのは体験だけだ。情報がない分、体験の記憶が立ち上がりやすい。
人生を振り返ったときに、質の高い写真がまとまって残っていることには、確かな価値があると思っている。

正月に旧友と集まって、デジカメの写真を見返していたとき、すべての写真に「思い出」がくっついていた。さながらタイムスリップだった。
これはぜひ一度、皆様にも試してみてほしい。


④ コストの面でも、意外と合理的
良いカメラを持つと、スマホのカメラ性能に過剰な期待をしなくなる。
その結果、スマホ選びの自由度が上がり、価格も抑えられる。

デジカメ自体は寿命が長く、流行にも左右されにくい。
スマホの買い替えまで含めて考えると、長期的にはトータルコストは下がると見ている。


⑤ 生活習慣の改善になる、かも?
外出時、スマホはカバンにしまって、カメラだけをカバンの外に出しておく。
歩きスマホは減り、視線が上がり、姿勢がよくなる。

スマートフォンを見ないことで、プチデジタルデトックスができ、目や脳にやさしい。
小さな変化だが、毎日が少し心地よくなる。


⑥ コミュニケーションの幅が広くなる
スマホをカバンにしまっておける話の続きで書くと、人と一緒にいるとき、スマホを出さないことで、「向き合っている」「時間を共有している」という感覚が生まれる。

別のシーンでは、カメラについて調べることで、知識が少しずつ増え、カメラ好きな人の話を聞ける立場になる。
正直、カメラが好きな人はこだわりが強く、面白い人生を歩いている人が多い。カメラの話題に限らず、話をすることで、自分の世界が少し広がる。


結局のところ、あえてカメラを買う選択は「画質のため」ではない。
写真、体験、整理、お金、生活習慣、人との距離。それらをまとめて、人生全体の質をわずかに底上げするための選択なのだ。

正解はわからない。
ただ、自分の感覚にはよく馴染んでいる。

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