「国産フィジカルAI、日本に久しぶりの勝ち筋が見えた――ただし『オールジャパン病』
国産フィジカルAI、日本に久しぶりの勝ち筋が見えた――ただし「オールジャパン病」には気をつけろ
国産の「フィジカルAI」を開発するため、産業技術総合研究所を中核に、日米欧の大学や研究機関など14機関が連携するという。
英ケンブリッジ大学、米カーネギーメロン大学、英オックスフォード大学、カナダのAI研究機関「ミラ」。
さらに、AI研究の世界的権威であるヨシュア・ベンジオ氏も参画する。
総勢200人を超える研究者が集まり、その成果を日本企業連合が設立した新会社「ノエトラ」のAI開発に活用する構想だという。
これはかなり大きな話である。
私はこの記事を読んで、率直に思った。
日本は生成AIでは大きく出遅れた。だが、フィジカルAIなら、まだ勝負になるかもしれない。
チャットAIの世界では、米国や中国の巨大IT企業が圧倒的な先行投資を行っている。
日本が今から同じ土俵に上がり、似たような対話型AIを作って真正面から戦っても、正直かなり厳しい。
しかし、フィジカルAIは違う。
工場、ロボット、自動車、物流、建設、介護、医療など、現実世界にある機械や設備を動かすAIである。
ここには、日本が長年蓄積してきた製造業、ロボット、センサー、品質管理、現場改善の知識がある。
ようやく日本が、自分たちの得意分野でAIを戦おうとしている。
私はそこに、久しぶりの可能性を感じている。
フィジカルAIとは、AIが現実世界へ出てくること
生成AIと聞くと、多くの人は文章を作るチャットサービスや画像生成を思い浮かべるだろう。
生成AIは、主にデジタル空間にある言葉、画像、音声などを扱う。
一方のフィジカルAIは、AIが現実の世界を認識し、判断し、モノを動かす。
たとえば、
工場のロボットが部品の状態を見て作業を変える。
自動車が道路状況を判断して走行する。
物流倉庫の機械が荷物を認識して運ぶ。
建設機械が周辺の安全を確認しながら動く。
介護ロボットが人の姿勢や動きを理解して支援する。
これらを可能にするのがフィジカルAIである。
AIが言葉だけでなく、視覚、音声、空間、触覚などの情報を同時に理解する必要がある。
産総研も、フィジカルAIでは物理世界のデータ不足、身体感覚の学習、安全性などが大きな課題になると説明している。(産業技術総合研究所)
要するに、チャットAIが「頭脳」だけだとすれば、フィジカルAIは頭脳に目、耳、手足、触覚を付けるようなものだ。
難易度は一段どころか、何段も上がる。
文章なら少し間違えても修正できる。
だが、ロボットや自動車が現実世界で間違えれば、人を傷つけたり、設備を壊したりする。
だからこそ、安全性や信頼性が極めて重要になる。
日本には「現場」という強い資産がある
日本の強みは、AIの論文数や巨大データセンターだけではない。
最大の資産は、製造業を中心とした膨大な現場にある。
自動車工場。
鉄鋼プラント。
工作機械。
産業用ロボット。
物流設備。
精密機器。
建設機械。
これらの現場には、何十年にもわたって蓄積されたノウハウがある。
どの音がしたら機械の調子が悪いのか。
どの振動が異常の兆候なのか。
製品の微妙な色や形の違いを、熟練者はどう見分けているのか。
どの順番で作業すれば、最も安全で効率がよいのか。
こうした情報は、インターネット上の文章だけでは学べない。
実際の機械、センサー、作業映像、音、温度、圧力、振動などから集める必要がある。
産総研はすでに、工作機械などの実データを統合し、加工条件の最適化や異常検知にAIを活用する製造拠点の整備を進めている。(産業技術総合研究所)
つまり、日本はAIモデルそのものでは遅れていても、フィジカルAIを育てるための「教材」を大量に持っている。
工場や設備が、そのまま巨大な学習環境になるのだ。
海外の著名研究者が日本の計画へ参加するのも、単に政府予算があるからではないだろう。
研究成果を実際の工場やロボットで試せる環境は、研究者にとって非常に魅力的である。
論文で終わらず、本物の機械を動かせる。
これは日本にとって大きな武器だ。
日本は生成AIで出遅れた
ここは冷静に見なければならない。
生成AIの主導権は、米国企業を中心に握られている。
AIモデル。
半導体。
クラウド。
開発者向けサービス。
大量の学習データ。
いずれも、日本企業が圧倒的な存在感を示しているとは言いにくい。
多くの日本企業は、海外製の生成AIサービスを利用する側に回っている。
もちろん、海外の優れた技術を使うこと自体は悪くない。
車を作るために、すべての部品を自社で作る必要がないのと同じだ。
だが、社会の重要インフラや製造業の中枢まで海外AIへ依存すれば、別のリスクが生まれる。
工場データや設計情報をどこまで海外企業へ渡せるのか。
AIサービスの料金や利用条件を一方的に変更されないか。
輸出規制や政治対立が起きた時も利用できるのか。
モデルがどのような判断をしたのか説明できるのか。
フィジカルAIは、単なる便利なアプリではない。
工場や自動車、物流、エネルギーなど、国家の産業基盤と直接つながる。
だからこそ、一定の国産技術と国内での管理能力を持つ必要がある。
ノエトラは何をする会社なのか
今回、研究成果の実用化を担うのが、新会社「ノエトラ」である。
報道によれば、ソフトバンクを中心に、ホンダ、NEC、ソニーグループ、日本製鉄、神戸製鋼所、金融機関など幅広い企業が参加している。
ノエトラがAI基盤モデルを開発し、産総研が国内外の研究機関と先端研究を進めるという役割分担だ。
開発期間は2026年度から2030年度までの5年間が想定され、2027年度以降は毎年度、継続の可否を判断するステージゲート方式が採られる。(日本自動車会議所)
この仕組み自体は悪くない。
研究機関だけでは、優れた研究成果が出ても製品化や事業化で止まりやすい。
逆に企業だけでは、数年後に利益が出るか分からない基礎研究へ巨額投資することが難しい。
産総研と大学が研究を担い、企業連合が開発と実装を担う。
研究と事業の橋渡しを意識した体制になっている。
さらに、開発したAIを参加企業だけで独占するのではなく、日本企業へ広く開放する方針だという。
これが本当に実現すれば、中小企業にも恩恵が広がる可能性がある。
すべての会社が、自前で巨大AIを開発できるわけではない。
国産の共通基盤があり、各社が自社の工場や設備向けに調整して使えるなら、日本全体の生産性向上につながる。
ただし「有名人を集めました」では勝てない
ここから少し厳しい話をしたい。
ヨシュア・ベンジオ氏をはじめ、世界的な研究者が参加することは素晴らしい。
有名大学も並んでいる。
大企業も多数参加している。
予算規模も大きい。
しかし、それだけで成功が保証されるわけではない。
日本の国家プロジェクトでは、よくある光景がある。
大学を集める。
大企業を集める。
研究会を作る。
会議を重ねる。
実証実験を行う。
立派な報告書を作る。
そして、事業化の段階になると誰も責任を取らない。
いわゆる「オールジャパン体制」である。
全員参加型に見えるが、裏を返せば、責任の所在が曖昧になりやすい。
研究成果は誰が製品にするのか。
どの会社が販売するのか。
不具合が起きた時に誰が責任を負うのか。
知的財産は誰のものなのか。
参加企業同士で競合した場合はどうするのか。
赤字が続いても誰が投資を続けるのか。
ここが決まっていなければ、200人の研究者を集めても巨大な研究サークルで終わる。
AIの世界では、意思決定の速度が極めて重要だ。
日本の会議で半年かけて調整している間に、海外企業は新しいモデルを公開し、実際の工場へ導入してしまう。
フィジカルAIで必要なのは、研究者の人数よりも、研究成果を迅速に製品化する仕組みである。
データを誰が出すのか
フィジカルAI開発で最も重要なのはデータである。
工場の映像。
設備の稼働データ。
故障履歴。
熟練作業者の動き。
品質検査の結果。
ロボットの失敗記録。
こうしたデータを大量に集め、AIに学習させる必要がある。
だが、日本企業はデータ共有があまり得意ではない。
自社の製造データは企業秘密だ。
他社に見せたくない。
海外研究者へ渡すのも心配だ。
万一流出すれば、競争力を失う可能性もある。
その懸念は当然である。
しかし、各社がデータを囲い込み、少量のデータだけで独自開発を続ければ、巨大な海外AIには勝てない。
ここで必要になるのが、
データを社外へ持ち出さずに学習する仕組み。
企業秘密を保護したまま共同利用するルール。
利用目的や保存期間の明確化。
学習したモデルから元データが推測されないための技術。
誰がどのデータへアクセスしたかを追跡する監査ログ。
といった仕組みである。
フィジカルAIの勝負は、AIモデルの性能だけではない。
企業間で安全にデータを共有できる仕組みを作れるかどうかの勝負でもある。
日本は技術開発と同時に、データガバナンスを作らなければならない。
日本の現場を学習データとして吸い上げられてはいけない
海外の研究者と連携することは必要だ。
世界の知見を取り入れなければ、閉鎖的な国産開発になってしまう。
だが、注意しなければならないこともある。
日本企業が工場データを提供する。
日本政府が研究費を出す。
日本の現場で実証する。
そこで得られた知識や技術が、最終的に海外企業の製品へ吸収される。
これでは、日本が世界の実験場になっただけで終わる。
国際連携とは、無条件に技術を差し出すことではない。
共同研究による知的財産をどう扱うのか。
成果を日本企業が優先的に利用できるのか。
海外企業への技術移転をどこまで認めるのか。
安全保障上重要な技術をどう管理するのか。
これらを最初から明確にする必要がある。
「世界的研究者が来てくれました」と喜んでいるだけでは危ない。
世界的研究者が参加したいと思うほど、日本には価値の高い現場とデータがある。
その価値を日本自身が理解し、守りながら活用しなければならない。
安全性で日本らしさを出せるか
フィジカルAIは、現実の機械を動かす。
だから、性能だけを追えばよいわけではない。
99%正しく動くAIでも、残り1%で重大事故を起こすなら使えない。
工場では、誤作動によって作業員がけがをするかもしれない。
介護現場では、高齢者を転倒させるかもしれない。
自動車では、命に関わる。
生成AIなら、間違った文章を出しても人間が確認できる。
しかし、高速で動く機械では、人間が判断する前に事故が起きる。
日本企業は、品質管理、安全設計、故障時の停止機構などを長年重視してきた。
これこそ、日本がフィジカルAIで発揮できる強みだと思う。
世界最高性能を競うだけではない。
異常時に安全に停止する。
判断根拠を後から検証できる。
現場作業員が介入できる。
ネットワーク障害時でも最低限動く。
サイバー攻撃を受けても危険動作をしない。
こうした「壊れ方まで設計されたAI」を作れれば、日本製フィジカルAIの差別化になる。
速いAIだけでなく、安心して使えるAI。
派手さはないが、製造業や社会インフラでは非常に重要だ。
フィジカルAIは人手不足対策にもなる
日本はこれから、人口減少と人手不足がさらに深刻になる。
製造業。
物流。
建設。
農業。
介護。
インフラ点検。
どの分野も、人が足りない。
これまで日本企業は、現場の努力や残業、熟練者の経験で問題を乗り切ってきた。
しかし、それにも限界がある。
フィジカルAIは、人間をすべて置き換える技術ではない。
むしろ、人が危険で大変な作業から離れ、判断や管理へ集中するための技術と考えるべきだ。
重いものを運ぶ。
高温の場所で作業する。
夜間に設備を点検する。
単純作業を繰り返す。
こうした仕事をAIとロボットへ任せる。
人間は異常判断、改善、顧客対応など、人にしかできない部分を担当する。
日本のフィジカルAI開発は、海外との技術競争だけではない。
自国の社会を維持するために必要なインフラでもある。
大企業だけのAIにしてはいけない
私はこのプロジェクトで、もう一つ気になることがある。
大企業だけが恩恵を受ける仕組みにならないかという点だ。
大手自動車会社や鉄鋼会社は、自社でAI技術者を雇い、大規模な設備投資ができる。
だが、日本の製造業を支えているのは、大企業だけではない。
部品加工。
金型。
検査。
物流。
設備保守。
中小企業がサプライチェーンの大部分を支えている。
大企業だけがフィジカルAIを導入しても、取引先が対応できなければ産業全体の生産性は上がらない。
国の支援を受けて作るAIであるなら、
導入しやすい料金体系。
中小工場でも使える軽量モデル。
専門技術者がいなくても設定できる仕組み。
既存設備へ後付けできるセンサー。
地域の支援機関による導入サポート。
といった部分まで考えるべきだ。
数千億円をかけて、超大手企業数社だけが便利になるなら、国策としては物足りない。
町工場でも使えるようになって、初めて日本の産業競争力が上がる。
研究ではなく「稼げる産業」にできるか
日本は研究開発が弱い国ではない。
優れた研究者もいる。
特許も技術も持っている。
しかし、技術を大きな事業に育てる段階で負けることが多い。
技術は日本で生まれた。
だが、製品化したのは海外企業。
市場を取ったのも海外企業。
日本企業は部品供給だけ。
このパターンを何度も見てきた。
フィジカルAIでも同じ失敗をしてはいけない。
重要なのは、論文数や実証実験数ではない。
実際に何台のロボットへ搭載されたのか。
どれだけ工場の生産性が上がったのか。
故障率がどれだけ下がったのか。
海外企業が日本製AIを採用したのか。
ノエトラが持続的な収益を得られるのか。
ここまで到達して、初めて成功である。
政府の補助金が終わった瞬間に事業も終了するなら、また一つ国策プロジェクトの墓標が増えるだけだ。
日本に必要なのは「完璧になるまで出さない」を捨てること
日本企業は品質を重視する。
これはフィジカルAIでは大きな強みになる。
しかし、同時に弱点にもなる。
完璧になるまで公開しない。
社内調整が終わるまで実証しない。
すべてのリスクを洗い出すまで判断しない。
これでは、開発速度で海外企業に置いていかれる。
もちろん、安全を無視してよいわけではない。
重要なのは、安全な範囲を限定し、小さく早く使い始めることだ。
まずは工場内の一工程で使う。
人間の監視下で動かす。
失敗データを集める。
改善したら対象を広げる。
こうした段階的な導入が必要になる。
完成品を一発で出すのではない。
現場で使いながら育てる。
フィジカルAIは、研究室だけで完成する技術ではないからだ。
私が考える日本の勝ち筋
日本がフィジカルAIで勝つためには、私は五つの条件が必要だと思う。
第一に、製造業や物流などの実データを安全に共有できる仕組みを作ること。
第二に、研究成果を迅速に製品化する強い責任主体を置くこと。
第三に、安全性、信頼性、説明可能性を日本製AIの特徴にすること。
第四に、大企業だけでなく、中小企業まで利用できる共通基盤にすること。
第五に、国内導入で終わらず、海外へ販売できる産業に育てること。
この五つがそろえば、日本は単なるAI利用国ではなく、フィジカルAIを輸出する国になれる。
逆に、研究発表、実証実験、補助金、報告書だけで終われば、数年後には海外製AIを輸入することになる。
まとめ――これは日本に残された大きなチャンスだ
生成AIでは、日本は先頭集団に入れなかった。
だが、AI競争はチャットサービスだけではない。
これからAIは、デジタル空間から現実世界へ出てくる。
工場を動かす。
車を動かす。
ロボットを動かす。
物流を動かす。
社会インフラを支える。
このフィジカルAIの世界では、日本が持つ製造現場、機械技術、センサー、安全思想が強みになる。
産総研を中心に世界的な研究者を集め、ノエトラを通じて企業へ展開する構想は、方向性としては正しい。
私はこの計画に期待している。
ただし、期待しているからこそ厳しく見たい。
有名大学を集めただけで満足しないか。
大企業同士の調整で時間を浪費しないか。
現場データを本当に活用できるのか。
研究成果を事業へ変えられるのか。
補助金終了後も自立できるのか。
世界市場へ出ていく覚悟があるのか。
日本がフィジカルAIで勝てる可能性はある。
むしろ、ここは数少ない本物の勝ち筋かもしれない。
しかし、技術があることと、産業で勝つことは別である。
最後に問われるのは、研究者の数でも、予算額でも、参加企業の知名度でもない。
日本は、AIを研究する国で終わるのか。それとも、AIで現実世界を動かす国になれるのか。
今回のプロジェクトは、その分岐点になると思う。

