【エッセイ】焼き魚定食瞑想
大山忠作と言う日本画家をご存知の方も多いと思う。昭和十一年に福島県二本松に生まれ「神童」と言う名称を欲しいままにした少年であったが、後に学徒出陣で戦地へ向かう。無事帰国の後、描くことだけに注力して、晩年文化勲章を受賞する日本画家である。成田山新勝寺の襖絵などが有名であろう。そのご長女である女優、一色采子さんの講演を聴く機会に恵まれた。母上亡き後、女優の職を休業し、晩年の画伯の日常を支えた彼女の口から聴く話しは、やはり研究者のそれとは全く違う。時々落涙を堪えながら話すご様子に、大変な説得力があった。
印象的だったのは、画伯が『無言館』を訪れた時のこと。これはNHKの番組になっていたそうだが、東京芸大の同級生たちの絵を見て普段穏やかだった画伯がその前で、学友の名前を叫んだという。戦争の犠牲になった友人たちの為にも、自分の役割として、彼らの分も一生描き続ける事だけをしていくと誓う。そしてその通りに人生を全うしていくのである。
講演の終演時間まであと十分というところでお話しは終了。質疑応答タイムとなった。私は画家の一日のタイムスケジュールについて質問をさせていただいた。描くことのみに生きるとは、どういう日常なのか。凡人には想像がつかないではないか。
驚いたのは、朝起きて軽く朝食を召し上がるとニ階の画室へあがり、朝日新聞の『折々のうた』を、半紙に毛筆で書き写したという話しである。それが毎朝のルーティンだったと言う。それから絵を描くお仕事に進んでいく。書き写された『折々のうた』の大量の半紙の山は画室に残され、今は「大山忠作美術館」に収められているというのである。
さて、この画家の習慣はどう理解したらいいだろう。それは「折々のうた瞑想」とでも言うものではなかったか。今日の自分の体調、感性、美意識。そして雑念のようなものを、この「折々のうた瞑想」はクリアにしてくれる。メンタルコントロールは芸術家にとって(凡人にとっても)重要課題である。そしてそれが「折々のうた」であったと言う事。大岡信の美文から始まったこのコラム、あとを引き継いだ筆者たちの美意識も、この画家は自分の内で昇華させながら感受性を鈍らせること無く、世の雑音に乱されること無く、描くことに対峙していたのだと思う。
蛇足を承知で凡人の朝を紹介する。曜日によって現場が違い、対人仕事をしている私は、昼食や夕食がどうなるか、全くわからない。私にとって朝食は最も重要な食事である。グルテンはなるべく避けたいので、ルクルーゼでご飯を炊き、お味噌汁を作り、魚を焼く。縞ホッケだったり鮭だったり鯖だったりする。出来ればゆったりいただく。毎朝の普遍な行動が、安定を生む気がしているのは、同じである。「焼き魚定食瞑想」ではあるが。
●随筆同人誌【蕗】掲載 令和8年4月1日発行
