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浮世絵で旅する|江戸の名物【鰻】蒲焼の香りをたどる

鰻好きだった江戸の人々

葛飾北斎『北斎漫画』十二編「鰻登り」
出典:Wikimedia Commons

今年も暑い夏がやって来ました。

土用の丑の日に鰻を食べて精をつける、そんな習慣は江戸時代に広まりました。

江戸の町では、鰻屋の店先や屋台から、香ばしい蒲焼の香りが漂っていたといいます。

画像は、北斎が『北斎漫画』で描いた「鰻登り」。今でも「人気がうなぎのぼり」などと言いますが、ぬるりと上に逃げる鰻の勢いを、ユーモラスに表現しています。

この一枚からも伝わる北斎の観察力とユーモア。北斎が世界的な絵師といわれる理由は、こちらの記事で詳しくご紹介しています。


江戸の人々は、私たちが想像する以上に鰻好きでした。

実は、鰻は縄文時代から食べられており、奈良時代の『万葉集』にも、大伴家持が「夏痩せには鰻がよい」と詠んだ歌が残っています。

ちなみに「蒲焼」という名前は、かつて鰻を丸のまま串に刺して焼いた姿が、ガマの穂(蒲)に似ていることに由来するといわれています。その後、現在のように開いて焼く形へと変化し、江戸では背開き、上方では腹開きが主流になりました。

また、割り箸が料理屋で広まった背景にも、鰻が関係しているという説があります。鰻の脂は落ちにくいため、洗って再利用するよりも、使い捨ての「引裂箸(ひきさけばし)」が重宝されたそうです。二本の箸の根元がくっついている形状でした。


「江戸前」とは?

歌川国芳《東都宮戸川之圖》
(とうとみやとがわのず)
出典:ColBase

「江戸前」という言葉は、今では寿司などにも使われますが、もともとは隅田川で捕れた鰻を指す言葉でした。

1775年(安永4年)刊『物類称呼』には、

「江戸にては浅草川深川辺の産を江戸前とよびて賞す。他所より出すを旅うなぎと云」

と記されています。

画像は、隅田川(宮戸川)で鰻を捕る様子。

隅田川でこのような鰻漁がされていたことには驚きで、思わず見入ってしまいますね。遠景には筑波山も描かれ、江戸近郊の豊かな水辺の風景が広がっています。

鰻の専門店の賑わい

勝川春亭《江戸大かばやき》
出典:Wikimedia Commons

こちらは江戸の鰻屋を描いた作品です。

三枚続の錦絵のうちの一枚で、店先ではうなぎを蒲焼きにする最中、店の奥では一杯やりながら、鰻を味わう人々の姿が見えます。

鰻は、注文を受けてから生きた鰻をさばき、焼き上げるのが一般的でした。

価格は一串16文ほど。現在の価値に換算すると約480円ほどでした。

現在では当たり前になった鰻丼も、江戸時代に誕生しました。

考案したのは芝居小屋の主人・大久保今助と伝えられています。忙しくて店へ行く時間がないため、熱いご飯を入れた丼に蒲焼をのせて届けさせたことが始まりだったそうです。鰻好きが高じて、冷めずに鰻を食べたくて生まれた大発明。それまで、鰻とご飯は別々に食べるのが一般的でした。

庶民には蒲焼きの屋台も

歌川広重(戯筆)《浄瑠理町繁花の圖》
出典:国立国会図書館デジタルコレクション

こちらは店舗ではなく、屋台の蒲焼売りです。

江戸湾や隅田川で捕れた魚介を使った寿司、天ぷら、鰻の蒲焼は、江戸っ子たちに親しまれた手軽な外食でした。

よく見ると、蒲焼き屋台の看板には「瀬田前」と書かれています。

瀬田とは近江国(現在の滋賀県)の瀬田を指します。琵琶湖で育った鰻は大ぶりで美味と評判で、江戸でも人気がありました。

広重は、江戸の町角に立ちながらも、名産地として知られた瀬田の鰻を楽しむ趣向を、この一枚に描き込んでいます。

蒲焼の香りに誘われて

こうして江戸の町には、専門店や屋台から蒲焼の香ばしい香りが漂い、人々は気軽に鰻を楽しんでいました。

北斎はユーモラスに鰻を描き、国芳は隅田川での鰻漁を描き、春亭は賑わう鰻屋を、広重は屋台の風景を残しました。

浮世絵をたどっていくと、そこには名物を味わい、人々が笑い合う江戸の夏があります。

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葛飾北斎『北斎漫画』十二編「鰻登り」(部分)
出典:Wikimedia Commons


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