🌸 貝と花と櫛の物語 🌸3つのお題に空想のひらめきを│第65回日本むかし話
またまた、こちらに参加させて頂きました!相変わらず勝手に画像を増やしてしました。書き始めたら楽しくて、とまりませんでした。お許しを・・・
序章 汐凪村の若き網元

海に月が満ちる夜、その村は――汐凪村(しおなぎむら)と呼ばれていた。
村はずれの磯に小さな社があり、そこには言い伝えがひとつ、ずっと受け継がれていた。
「百年に一度、月と海と山の三つが同じ夜に息を合わすとき、 世に忘れられた三つの宝が、汐凪の岸に返る。 ――取り戻せし者、失いし人と、いちど、話せるだろう。」
若き網元、佐吉(さきち)は、今年でちょうど二十歳。 三年前、母を海で亡くしていた。
その年の秋のことだった。母の乗った小舟が、突然の霧に呑まれ、朝には浜辺に、母が愛用していた赤い漆塗りの櫛だけが打ち上げられていた。母の体は、ついに戻らなかった。
そして今夜―― 月は満ち、山桜が返り咲き、海は鏡のように凪いでいる。 石灯籠の光が濡れた石畳を金色に照らし、椿の花がひとつ、佐吉の草履の先に落ちた。
「……百年に、一度。」
佐吉は、社に向かってひとり、静かに歩き出した。
第一章 人魚が残した貝殻

社に至る前に、佐吉は磯へと下りた。
満月の光を受けて、黒い岩の上に、虹色に輝く大きな法螺貝が置かれていた。表面には金色の桜の細工が施され、赤白の飾り紐に美しい房飾りが揺れている。
そして、その少し向こう―― 潮に洗われる岩の上に、長い黒髪の女が、こちらに背を向けて腰かけていた。 青からエメラルドへと変わる尾ひれが、月光にきらめく。
「……お前が、佐吉かい。」
女は振り返らず、そう言った。声は波の音のように、遠く、近く、澄んでいた。
「……あなたは。」
「三年前、お前の母をあずかった者。」
佐吉の胸が、どくり、と鳴った。
「母は……生きているのですか。」
人魚は静かに首を横に振った。
「母御は、あの霧の日、命は尽きていた。だがね、佐吉。海には掟がある。未練を残して沈んだ魂は、百年に一度の夜まで、貝の中で眠るのさ。」
人魚は、法螺貝を月にかざした。貝の内から、ふっと、温かい灯りがこぼれた。
「これは、あんたの母御が、眠る貝。今宵、山の花と、川の櫛を集めよ。三つが揃うたその刻に、母御はもういちど、あんたに逢える。――ただし、逢えるのは、ひと言だけ。」
佐吉は震える手で、貝を胸に抱いた。ずしり、と重く、それでいて、赤子を抱くようにあたたかかった。
「山と、川と……。」
「山には、百年に一度咲く彼岸花。川には、月夜に光る櫛。急ぎな、佐吉。月が真上に来るまでに。」
佐吉が顔を上げたとき、人魚の姿は、もう波の彼方に消えていた。
第二章 百年に一度咲く彼岸花

貝を懐に抱えた佐吉は、村の背後にそびえる臥龍山(がりゅうざん)へと踏み入った。
山の奥、千本鳥居の連なる石段のたもとに、それは咲いていた。
一輪だけ、天に燃えるような大輪の真紅の彼岸花。 傍らには苔むした古い立て札があり、こう書かれている。
「百年に一度 咲く彼岸花」
彼岸花は、幽玄な金色の粒子を宙に散らし、まるで生きているかのように、ふう、と息をしていた。
その石段を、ひとりの女が上っていた。 白い着物に赤い袴、黒い髪を長く垂らした、うしろ姿の女。
「……お待ちください。」
佐吉が声をかけると、女は振り返らずに答えた。
「その花を摘めば、お前もあの世へ引かれるよ。」
「かまいません。母に、逢いたい。」
女は少し黙ってから、静かに笑った。
「――ならば、ひとつだけ、お前に問おう。」
蝶が一羽、光の粒を残して佐吉の頬をかすめた。
「この世で最も、失いたくないものは、なんじゃ。」
佐吉はうつむいた。長く、長く、考えた。 母の顔。母の笑い声。母が最後に握ってくれた、あたたかい手。
けれど、口から出たのは違う答えだった。
「……母が愛した、この村と、海です。 母は、この村の子どもらのために、櫛で髪を梳いてやるのが、大好きな人でした。」
女はゆっくりと振り返った。 その顔は、月の光に隠れて、はっきりとは見えない。ただ、涙のあとが一筋、頬に光っていた。
「よい答えじゃ。花は、お前に折られたがっておる。」
佐吉は膝をつき、彼岸花に手を伸ばした。 花はふっと軽くなり、まるで自ら茎から離れるように、彼の掌に落ちた。
顔を上げると――女の姿は、もう、なかった。 ただ、赤い花びらが幾片か、鳥居の石段に、点々と滴り落ちていた。
第三章 月夜に光る櫛

山を下り、佐吉は村を横切る汐凪川へと急いだ。 月は、もう天のなかばに昇っている。
川に架かる赤い太鼓橋のたもと、湿った苔むした岩の上に――
光っていた。
金色に、まばゆく光る、赤い漆塗りの櫛。 表面には金の桜の細工。端には、真珠と赤いビーズの房飾り。
――母の、櫛だった。
三年前、浜に打ち上げられ、それきり佐吉の枕元にあったはずの、あの櫛が、なぜ、ここに。
椿の花が、水面にぽとりと落ちる。
佐吉が櫛に手を伸ばそうとしたとき、橋の向こうから、ひたひたと足音が聞こえた。
白い着物の、女。長い黒髪。
――母だ。
「……母さま?」
母は、なにも言わなかった。ただ、ゆっくり、首を横に振った。 そして、櫛を指さした。
佐吉ははっとした。「逢えるのは、ひと言だけ。」――人魚の言葉が耳の奥で鳴る。
母は、その一言を、無駄にはしたくないのだ。
佐吉は震える手で櫛をとった。金色の光が掌に染み込み、貝が胸のうちで、ふるり、と応えた。 懐から彼岸花を取り出し、櫛の上に添える。
三つの宝が、佐吉の腕の中で、ひとつに交わった。
貝の虹光、花の紅、櫛の金。 それらは絡み合い、川面に、月に、ひとつの大きな光の柱となって立ちのぼった。
第四章 三つの宝の契り

光の柱の中に、佐吉はひざまずいた。
蛍のような、あわく青い人魂が幾つも宙に浮かび、まわりを漂っている。 石の祭壇のような場所――そこには、貝と花と櫛が、静かに並んで置かれていた。
そのむこうに、母がいた。 はっきりと、いた。 若かった頃の、まだ佐吉が幼子であったころの、母の顔だった。
「……母さま。」
母は、ふふ、と笑った。 「わたしのぶんまで、大きゅうなったねえ。」
佐吉は泣いた。声を出したら、たった一言が消えてしまう気がして、ただ、涙だけを流して、泣いた。
母は、川の女に頷いた。川の女――櫛守の巫女が、しずかに佐吉に言った。
「網元さん。この三つの宝は、あんたに預けます。貝は――未練を眠らせ、送るための器。花は――問いに答えた者のみが摘める、境の花。櫛は――生者と死者の髪をひとしく梳き、憐れみをつなぐ、母の御手のかわり。」
そして、海の女――人魚が、遠くの波間から声を送った。
「三年に一度、汐凪の子らが海で泣くとき、貝を鳴らしなさい。 三年に一度、山の子らが道に迷うとき、花を灯しなさい。 三年に一度、川の子らが夢を見忘れるとき、櫛を梳いてやりなさい。 ――そうすれば、この村は、百年、恙なし。」
佐吉は、ふかく、頭を下げた。
そして、意を決して、顔を上げ、母を見た。 一言。ただの一言。 ――なんと言おうか。ずっと考えていた「ありがとう」も「ごめんなさい」も、この夜には、ちがう気がした。
佐吉は、静かに、こう言った。
「母さま。まっすぐに、生きます。」
母は、目を細めて、微笑んだ。
「ええ。ええ。」
それが、母の返しであり、母の別れの言葉であった。
第五章 太鼓橋の別れ

母の姿が、少しずつ、透きとおっていく。
太鼓橋の中央、母は微笑みを浮かべたまま、ゆっくりと歩みを進めた。橋の向こうには、山の稜線から立ち昇るように、雲上の天宮が姿を現していた。開かれた紅い天門。連なる鳥居。金色の階(きざはし)。
母は、川の巫女から、あの光る櫛を受け取った。 そして、それを――川面へ、そっと沈めた。
「……櫛は、この村に置いていく。あんたたちの髪を、これからも梳いてやりたいから。」
彼岸花の花びらが、母の足元をくるりと旋回し、鳳凰の羽根のように舞い上がる。
「佐吉。お母さんはね、 海で命を落としたのは寂しかったけれど、 お前と過ごしたひと日ひと日は、 この世のどんな宝より、光っていましたよ。」
――ひと言だけ、と、掟にはあった。 けれど、それは母の一言だから、掟のむこうから、特別に、届けられた贈り物だった。
母は、ふっと、金色の光にとけた。 人魚は波の彼方で、ひとしずくの涙を落とした。 巫女は、椿の花を一輪、水面にそっと置いた。
――ざあ、と、桜の花びらが、太鼓橋の上をひとまわり、風に舞った。
橋の上には、佐吉だけが残った。 そして、佐吉の掌の中には、光の消えた、赤い漆塗りの櫛だけが、しっとりと、あたたかく残っていた。
終章 夜明けの神棚

夜が明けた。
汐凪村の家々に、朝の煙がまっすぐ立ち上る。子どもたちは寝ぼけまなこで浜に出て、月明かりから朝の金色へと衣替えする海を眺めた。
村の小さな磯の社の神棚には、 ――虹色の貝 ――赤い彼岸花(竹筒に一輪、いつまでも咲いていた) ――赤い漆塗りの櫛
三つの宝が、仲良く並んで置かれるようになった。 その傍らには、赤白の紐で結ばれた三つの小さな守り袋と、赤い封蝋のついた、母から佐吉へ宛てた一通の手紙が、いつの間にか添えられていた。
海のむこうでは、人魚が最後にひとつ、大きく波を立ててみせた。 山の千本鳥居の奥では、彼岸花が音もなく散り、次の百年へと種を眠らせた。 川の太鼓橋の下では、金色の光がひとつ、しずかに消えた。
――「想いは、いつでも、この村を巡っておりますよ。」
村の年寄りたちは、三年に一度、月が真上に来る夜、社の前で貝を吹き、花を掲げ、櫛を月にかざす。 そしてこう、ちいさく、ちいさく、唱えるのだ。
貝は海を鎮め、 花は山を鎮め、 櫛は川を鎮め、 想いは人を、鎮める。
汐凪村は、それから百年、恙なかった。
――めでたし、めでたし。
