見出し画像

「37歳」

滋賀県長浜市。

ここには、豊臣秀吉にとって特別な城がある。

長浜城である。

秀吉が初めて自らの城を築き、城下町づくりに取り組んだ場所である。

そして私にとっても、この長浜城は特別な場所になった。

なぜなら、

私は今年37歳。

そして秀吉が長浜城を手に入れたのも、37歳の頃なのである。

今年、実際に長浜城を訪れることができた。

秀吉と同じ年齢で、

秀吉にとって大きな転機となった場所に立つ。

これはもう、

感無量であった。

秀吉は、最初から城持ちの大名だったわけではない。

織田信長に仕え、

数々の仕事をこなし、

少しずつ出世していった人物である。

そして浅井氏の滅亡後、

北近江を任されることになり、

長浜に城と城下町を築いていく。

後に天下人となり、

大坂城を築く秀吉である。


しかし、

その秀吉にとって初めて本格的に自分の城を築いた場所が長浜だった。

映像の中では、

「夢のマイホーム」


というような表現もされていた。

これは面白い表現である。

後世の我々は、

どうしても「天下人・豊臣秀吉」を知っている状態から彼を見る。


しかし、

長浜にいた頃の秀吉は、

まだ天下人ではない。

関白でもない。

大坂城もない。

これからなのである。

ここで、

どうしても自分自身と重ねてしまう。

私は今年37歳である。

秀吉も、

この長浜で新たな一歩を踏み出した頃は37歳だった。

もちろん、

秀吉と自分を比較するつもりはない(笑)。

相手は天下人になる男である。

しかし、

同じ「37歳」という数字には、

どうしても感じるものがある。

37歳の秀吉は、

人生を完成させていたわけではない。


むしろ、

ここからだった。

自分の城を持つ。

領地を治める。

城下町をつくる。

そして、

さらに大きな舞台へ進んでいく。

そう考えると、

37歳なんて、まだまだこれからなのである。

今回の映像を見て、

改めて面白いと思ったことがある。

秀吉は長浜城を築いただけではない。

商業を活性化させ、

人が集まる城下町をつくり、

琵琶湖の水運も生かしていった。

城という建物だけをつくるのではない。

人が集まり、

商売が生まれ、

町が発展していく仕組みをつくる。

後の天下人につながる秀吉の力は、

すでに長浜で発揮され始めていたのであろう。

そして長浜には、

秀吉以外にも本当にたくさんの歴史がある。

国友の鉄砲。

長浜曳山祭。

北国街道。

黒壁スクエア。

旧長浜駅舎。

慶雲館。

長浜という町そのものが、

何百年もの歴史を積み重ねてきた場所なのである。

歴史好きとして歳を重ねていくと、

面白い感覚が生まれてくる。

歴史上の人物の年齢に、

自分が追いつくのである。


子どもの頃には、

秀吉も信長も家康も、

ただの「昔の偉人」であった。

しかし自分が大人になると、

「この出来事の時、秀吉は自分と同じくらいの歳だったのか」

と思う瞬間が出てくる。

すると、

歴史上の人物が少しだけ身近になる。

37歳の秀吉。

まだ天下人ではない。

しかし、

長浜という自分の拠点を得て、

これから歴史の中心へ向かっていく。


そんな時代の秀吉と同じ37歳で、

自分も長浜城を訪れることができた。

歴史好きとして、

これほど嬉しいことはない。

現在の長浜城は、

秀吉時代の天守がそのまま残っているものではない。

当時の天守がどのような姿だったのかについても、

詳しい資料はほとんど残っていないという。


それでも、

この土地で秀吉が城を築いたことは変わらない。

この場所から、

秀吉の新しい人生が始まった。

実際に現地へ行き、

琵琶湖を眺める。

そして、

「秀吉もこの景色を見ていたのだろうか」

と想像する。

これこそ、

歴史の場所を実際に訪れる醍醐味である。

私は今年37歳。

秀吉が長浜城を手にしたのも37歳。

同じ歳に、

その場所を訪れることができた。

本当に感無量であった。

秀吉にとって、

長浜はゴールではない。

ここからだった。


だったら、

自分だって同じである。

37歳。

まだまだこれからである。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

コーチ・カウンセラー・講師としての活動や、SNS発信・ブランディングについて個別に相談したい方は、公式LINEからお気軽にご連絡ください。

▶︎ 公式LINEはこちら


いいなと思ったら応援しよう!