AI時代、考えてから話すのではなく、話しながら考える。
── ドキュメントが簡単に作れるほど、「即興で思考する力」が重要になる。
最近、AIを使って仕事をしていて、少し面白い変化を感じる。
資料を作ることが、かなり速くなった。議事録をまとめる。情報を整理する。構成案を作る。比較表を作る。プレゼン資料のたたき台を作る。少し前までなら数時間かかっていた仕事が、かなり短い時間で形になる。
もちろん最終的な判断や調整は必要だ。それでも、「とりあえず人に見せられるドキュメント」を作るハードルは確実に下がった。これは仕事をものすごく楽にした。
でも同時に、少し不思議なことが起きている。
資料を作る力の差が小さくなるほど、その場で考える力の差が目立つようになった。そんな感覚がある。
以前は、資料そのものが思考の証明だった
会議の前に、きれいな資料を作る。論点を整理する。図にする。結論を書く。順番を整える。それ自体が、かなり大きな仕事だった。
そして、その資料を見ることで、「この人はここまで考えてきたんだな」ということも伝わった。つまり、ドキュメントは単なる説明資料ではなく、思考した証拠でもあった。
ところがAIは、その部分をかなり代替できるようになっている。情報を渡せば、構造化してくれる。文章も整える。要点もまとめる。比較もする。図解の骨子まで作る。
すると、ドキュメントの完成度だけでは、その人がどこまで考えているのかが、以前ほど分かりにくくなる。
自分自身、仕事でも資料をたくさん作っている。AI以前と以後で作り方が変わってきた。以前は作りながら考えた。考える途中では、何度も自分の口で言葉を発しながら、見えない他者との対話を楽しむかのように資料をまとめてきた。
AI以後は、資料作りの手間が著しく減った。結果、とりあえず資料を作る。作ったあと、自分の言葉でまとめ上げるようなフローに変わったように思う。その時、驚くのは、まとめ上げる過程は、まさに話しながら考えているということだ。
そして、その射程は、これまでとは明らかに変わった。これまでは自分がそもそも語れる範囲だった。今は、自分という枠組みを超えたところを扱う力がむしろ試されているように感じている。
会議で問われるものが変わってきた
資料がある。論点も整理されている。前提も共有されている。では、その先で人間は何をするのか。
最近はむしろ、相手の一言を聞いて、その場で考え直す。前提を疑う。思っていなかった問いを立てる。別の話とつなげる。話しながら、自分でも知らなかった考えにたどり着く。
そういう能力の方が重要になってきたように思う。
これは、単に「頭の回転が速い」という話ではない。ましてや、口が達者という話でもない。その場で問いを育てられるかどうか。そこに差が出る。
即興とは、すぐ答えることではない
「即興力」という言葉には、その場でうまいことを言う、瞬時に答えを出す、頭の回転が速い、というイメージがある。
でも、自分が最近感じている即興力は、少し違う。
むしろ、「それは本当にそうだろうか」と立ち止まる。相手の言葉を聞いて、「だとすると、別の見方もできるかもしれない」と考える。自分でも答えが分からないまま、「もう少しこの話をしてみたい」と会話を続ける。
つまり即興とは、答えを素早く出す能力ではなく、その場で問いを生成し続ける能力なのではないかと思う。
話すことは、考え終わった結果ではない
学校では、考えてから話す。整理してから伝える。という順番を教わることが多い。もちろん、それは大切だ。
でも実際の仕事では、話しているうちに考えがまとまることがある。相手に説明しようとした瞬間、自分の論理の弱いところに気づく。相手から質問されて、初めて自分が何を気にしていたのか分かる。全然違う分野の人と話していて、突然つながる。
つまり、会話そのものが思考装置になっている。一人で完成させた考えを説明しているのではなく、複数人で、その場で考えを作っている。
AI時代、価値を出すのは、攪拌と醸成だということを、AIを使うにつれて、ますます実感している。個人の認知には限界がある。人と人が混ざり、複利が効いたとき、そこには今までになかった世界が広がっていく。
AIが得意なのは、「すでに言葉になったもの」
AIは、すでに言語化された情報を扱うのが得意だ。大量の文章を読む。整理する。比較する。構造化する。そこから整った文章を作る。これは圧倒的に速い。
でも、人間同士の会話では、まだ言葉になっていないものがたくさん動いている。なんとなく感じる違和感。言い切れない不安。相手の表情。言葉の間。突然思い出した経験。話しているうちに生まれた連想。最初の議題とは全然違う場所にたどり着くこともある。
この「まだ形になっていないもの」を扱う領域では、人間の役割はむしろ大きくなるのかもしれない。
AI時代の会議は、「説明する場」から変わる
資料を読み上げるだけの会議なら、AIでかなり置き換えられる。事前に資料を読めばいい。要約もAIに聞けばいい。質問もAIに投げられる。
だから、会議そのものの意味も変わるはずだ。人間が集まる意味があるとすれば、その場でしか生まれないものを作ることだ。
意見がぶつかる。違和感が出る。誰かの一言で前提が変わる。別の案が生まれる。最初の結論を捨てる。その瞬間にしか生まれない思考がある。
そう考えると、会議は、完成した考えを説明する場所ではなく、未完成な考えを共同で育てる場所になっていく。
「きれいにまとめる力」から、「揺らぎに耐える力」へ
AIは、ものをきれいにする。文章を整える。論点を整理する。結論を出す。それはとても便利だ。
でも、人間の思考は、本来そんなにきれいではない。矛盾する。迷う。途中で変わる。昨日と言っていることが違う。誰かと話して、急に考え直す。
その揺らぎの中から、新しい考えが生まれることがある。
だからAI時代には、整理力と同じくらい、整理されていない状態に耐えられることが重要になるのかもしれない。分からないまま話す。途中の考えを口にする。人の言葉を受けて変える。結論を急がない。
これは、効率とは少し逆方向にある。でも、創造には必要な時間だと思う。
AIでドキュメントが作れるからこそ、人間はその先へ行く
AIによって、資料を作る価値がなくなるわけではない。むしろ、資料を作ることはこれまで以上に簡単になる。だからこそ、その先で差が出る。
資料に書いてあることを説明する人。資料をきっかけに、新しい問いを生み出す人。この二人の差は、これからかなり大きくなる気がする。
考えてから話す。それも大切だ。
でも、話しながら考える。相手と一緒に考える。途中で変わる。そういう即興的な知性が、AIによってむしろ浮かび上がってきている。
AIでドキュメントが簡単に作れる時代だからこそ、人間には、その場でしか生まれない思考をつくる力が問われ始めているのだと思う。
「見えない価値」や「人の変化」は、どのように次の世代へ受け渡されていくのか。そんなテーマを、研究と実践の両面から連載しています。
↓
いいなと思ったら応援しよう!
この研究を応援いただける方は、サポートという形でご支援いただけると励みになります。