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10年経ったら……

※このコラムは2007年から~2009年までGスピリッツモバイルで掲載していた『オレだけの四天王プロレス』を一部修正・加筆したものです。毎週末に2話ずつ更新予定。すでに公開しているコラムは↓をチェックしてください。

第79回 10年経ったら……

 この連載で様々な選手のことを書いてきた。三沢、川田、田上、小橋の四天王たちについてはもちろん、秋山や大森、さらには外国人選手たちについても、当時僕が思っていたこと、そして今の僕が思っていたことを書き綴ってきた。

 逆にこれまで書いていない選手はいるだろうか? コラムの題材にするために、いろいろと考えてみたが、コラム最初の僕自身のインタビューで話していたB級外国人についてぐらいなもので、我ながらよくもまあこんなに飽きることなく文章を書いてきたなと思ったりする。

 1回のコラムとして膨らませるのは難しいが、いろいろと書いてみたい選手は沢山いる。

 例えば井上雅央。彼については何度かコラムで書いてきた記憶があるので(それこそ格闘魂やモバイルゴングで)、あえて書くようなことはないが、最近になって“雅央ワールド”なんて言い方をしている人を見かけると、「そんなの90年代前半からやってたじゃん」とツッコミを入れたくなる。

※この映像は99年の試合ですが、これでも相当変わったあとという印象。今思うと、井上選手の老成感はプロレス界屈指のものだったと思います。

 “四天王時代、一部のファンから微妙な期待を背負いながらも、どこまでいっても雅央は雅央だった”という状態があってこそ、今の“雅央ワールド”がある。そもそも根本的に雅央はそれほど変化をしてないのだから(成長はしているが)、本人も戸惑いを感じているかもしれない。

 あと、書き方が難しいのは本田多聞だ。「多聞が一番輝いていた時期はいつか?」と考えていっても、なかなか答えが見つからない。NOAHで小橋の持つGHCヘビー級王座に挑戦した頃が実績的には目立っているが、個人的には「プロレス原人」と呼ばれていた多聞の印象が強い。

 池田大輔の本田多聞評を聞いたりしていると、多聞という存在をどう扱えばいいのか分からなくなってくる。そういう意味で、多聞は語れるレスラーだろうし、Gスピリッツが取材をする対象としても面白いかもしれない。

 同じあすなろ戦士という枠で言うなら、泉田純至(当時も名前が何度も変わっていた)も面白い存在だった。ファミリー軍団vs悪役商会に組み込まれる形でデビューし、後半はジャイアント・キマラとのコンビなどで注目を集めていたが、僕の記憶に一番残っているのは、秋山に対してライバル心を燃やしていたことだ。

※悪役商会時代の試合映像はなかったので、ラッシャー木村のマイクでいじられた時のものを。何から何まで懐かしい……。

 秋山を相手にすると、いつも以上に発奮し、後楽園ホールの観客から声援を起こさせていた。今のファンからは想像できないかもしれないが、そんな時期もあったのである。

 あと、「書き方が難しい」という言い方がピッタリ合うのが、太陽ケアだ。ケアこそ、全日本プロレスとNOAHが分裂したダメージを一番受けている選手のような気がしてならない。もし分裂していなかったら、秋山とのコンビが始動していただけに、もっと早くワンランク上がった存在になっていただろう。

※21歳で小川良成を破り、世界ジュニア王座初挑戦・初戴冠。馬場時代の期待の強さがうかがえます。

 逆に、分裂後、全日本に残ったからこそ、ケアの格が上がり、最終的には三冠王者になったとも言える。外国人選手となると、なかなか本音に迫ることが難しいが、鈴木みのるが語るケア評を読んだりしていると、太陽ケア…いや、マウナケア・モスマンのプロレス観や、彼から見た四天王プロレスというものを聞いてみたいと思ったりする。

 今はまだ選手たちも現役が多いから、客観的な意見は持てないかもしれないし、否定的な見解を持っていても語れないだろう。10年ぐらい経った時点で、改めて周りから見た四天王プロレスを取材したら、今は見えていないものがもっと見えてくるかもしれない。

※注 このコラムを書いていた頃は、2020年代半ばになっても、まだプロレス本の中心が80年代のままだとは思ってもいませんでした。

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