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猫の皿を見てから、書く

noteって、思っていたより面白い。

自分の記事を書くために開いたはずなのに、気づくと、誰かの記事を読んでいる。ひとつ読んで、またひとつ開く。プロフィールを見て、その人が書いた別の記事へ行く。

そうしているうちに、画面の向こうで、人がけっこう動いていることに気づく。

創作大賞の季節になると、それがさらに見える。

部門ごとに作品をまとめている人がいる。応募作を拾い、紹介し、コメント欄でやり取りしている人がいる。

投稿して終わりではない。
読みに行く人がいる。
見つける人がいる。
声をかける人がいる。

すごいな、と思う。

ガッツがある、と思う。

自分はまだ、その動きの外で少し立ち止まっている気がする。

応募しなければならないわけではない。
誰かに言われたわけでもない。

それでも、創作大賞の文字や、それをめぐる人の動きが目に入ると、胸の奥が少し固くなる。

よし、書こうと思う。

そのすぐあとで、自分なんかが出しても、と思う。

この切り替わりだけは早い。

思うのだけれど、そのまま書き出せるわけではない。画面の前で止まって、別の本を開く。前に読んだ文章のことを思い出す。

誰かは、どうやって書きはじめたのだろう。

このところ、エッセイの本をよく読んでいる。

文章そのものよりも、その手前が気になることがある。どこで見つけたのか。誰に読ませたのか。どの段階で、これは文章になると思ったのか。

三國万里子さんのエッセイを読んでいた。

「はじめに」に、友人たちとのメールのやり取りの中で、これらのエッセイが生まれた、ということが書かれていた。三國さんが書き、友人たちが読み、感想を返す。そうしているうちに文章がたまり、本にしようという話になっていく。

それを読んで、少し驚いた。

書くことは、ひとりで机に向かって、最初から最後まで完成させるものだと思いがちだった。

でも、誰かに送ること。
読まれること。
返ってくること。

その中で、文章が形になっていくこともある。

そこで、中学生のころのフリーノートを思い出した。

最初の読者は、休み時間にいた

仲のよかった友人と、一冊のノートを回していた。

交換日記というほど整ったものではなかった。休み時間に見たこと、その場で起きたこと、誰かがこけたこと、しょうもないことを書いて、相手に読ませるノートだった。

書く。
渡す。
読まれる。
笑われる。

それだけのことだった。

でも、その「それだけ」が、ずいぶん長く続いた。中学のころから、高校を卒業するころまで、何冊もノートを回していた。

何を書いていたのか、もうほとんど覚えていない。誰かがこけたとか、授業中に何かが起きたとか、その場にいた人間にしかわからない、小さすぎる出来事ばかりだったと思う。

それでも、読まれることはわかっていた。

読まれて、笑われる。
その反応で、次に書くことが少し変わる。

思い返すと、あれはずいぶん正直な場所だった。小説を書いていたわけではない。何かを発表していたわけでもない。ただ、起きたことを、誰かが読んだら少しおもしろくなる形にして渡していた。

忘れていたけれど、自分は昔から、誰かに読まれる前提で書いていたのかもしれない。

そう思い出した部屋が、暑かった。

風の通らない部屋で

部屋が暑かった。

窓は開けている。
でも、風は通らない。

外の空気を入れているつもりで、暑さだけを部屋に入れているようだった。カーテンは少し揺れる。音もする。だから、風が入っているような気にはなる。でも、部屋の空気は動いていなかった。

猫が、ごはんを残すようになった。

いつものドライフードを出す。家では、カリカリと呼んでいる。

皿の前までは来る。
匂いを嗅ぐ。
少し食べる。
それから、ふいっと離れていく。
しばらくして、また戻ってきて、少しだけ食べる。

食べないわけではない。
でも、前と同じではない。

その食べ方は、こちらを安心させるようで、逆に気になった(食べないわけではない、というところが余計に気になる)ので、皿の底に残ったカリカリを見る時間が増えた。

ウェットフードのパウチを出せば食べる。
猫用の鰹節をのせると、まずそこだけ食べる。
その勢いで、カリカリも少し食べる。

食べるきっかけを、こちらが探している。

そういう食事になっていた。

寝る場所も変わった。

天井に近いところに、猫の寝床を置いている。ふだんなら、そこへ上がって寝ている。でも、ここ数日はあまり行かなくなった。

上の方は暑いのだと思う。

代わりに、夏バージョンと呼んでいる寝床へ行くようになった。ふかふかした場所には、あまり入らない。押し入れやクローゼットの中にも行く。

温度計を見る前から、猫はもう寝床を変えていた。

丸まらない。
体を長くして、涼しい場所を探している。
日中は、日当たりに合わせて少しずつ移動する。

それでも外を見るのは好きなので、窓の方へは行く。

暑くても、見たいものは見に行く。
そのあたりは、猫らしい。

床より先に、鼻が気づく

五月の終わり、猫の毛がふわふわとよく抜ける。

ブラッシングは、毎日できているわけではない。週に二回くらい、できる時にする。やりはじめると、つい念入りになる。ブラシに毛がたまっていくのを見ると、こんなに抜けて大丈夫なのかと思う。

ハゲちゃう、と思う。
いや、ハゲないのだろうけれど、こちらは少し心配になる。

それでも、床にはまた毛が落ちている。

昨日掃除したはずなのに、部屋の端や、椅子の脚の近くに、軽い毛が寄っている。水の器に、一本浮いていることもある。

それを見ると、ああ、ここにも、と思う。

水を捨てて、器をすすいで、もう一度入れ直す。猫は少し離れたところにいる。こちらを見ていることもあるし、もう別の場所へ行っていることもある。

自分は、検査で猫アレルギーだとわかっている。
スギとイネ科の花粉症もあるので、薬は年中飲んでいる。

それでも、五月の猫の毛は強い。

一日掃除を怠ると、鼻がすぐにだめになる。床を見るより先に、鼻が気づく。鼻水が出て、ティッシュを取りに行って、そのついでに床の毛が目に入る。

掃除機を出すほどではないと思って、手でつまむ。
一つ拾うと、少し先にもある。
そこまで行くと、また別のところにもある。

そうしているうちに、トイレの近くの砂も気になる。皿も洗っておこうと思う。水も替える。

夏バージョンと呼んでいる寝床には、毛が少しついている。天井に近い寝床には、あまり残っていない。ふかふかした場所にも、前ほど入っていない。

押し入れやクローゼットの奥から出てくることもある。

どこにいたの、と声をかける。
猫はこちらを見る。
答えるわけではない。
ただ、こちらを見る。

その顔を見ると、そこが涼しかったのだろうと思う。

水を替える。
毛を拾う。
皿を洗う。

猫のあとを追っているつもりはないのに、気づくと部屋のあちこちに目が行っている。

自分ひとりなら、今日くらい掃除しなくてもいいと思ったかもしれない。窓を開けているから大丈夫だと、暑さもそのままにしていたかもしれない。

でも、猫はごはんを残した。
天井に近い寝床に行かなくなった。
丸まらずに、体を長くしていた。

それでようやく、温度計を見た。

二十九度だった。

窓は開けていた。
でも、風は通っていなかった。

その日から、昼間だけエアコンをつけるようになった。

贅沢かどうかを考えなかったわけではない。ただ、猫がごはんを残している部屋で、こちらの我慢を続ける理由はなかった。

エアコンをつけると、鳴くのが少し減った。

何かを訴えるように鳴いていた声が、少し落ち着く。ごはんの前に来る。少し食べる。窓の方へ行く。涼しい場所を探して、また移動する。

何を言っていたのかは、わからない。

でも、部屋を冷やすと落ち着く。
それだけで、十分だった。

皿を見てから

画面の前で止まっている時でも、猫の皿なら見に行ける。

水を替えることはできる。
床に落ちた毛を拾うことはできる。
温度計を見ることはできる。

書く前に、部屋を冷やす。

文章は、まだ手探りのままだ。
それでも今日は、猫がごはんを残したところから書きはじめることはできる。

画面には、創作大賞の告知がまだ残っている。

それを見ると、胸の奥はやっぱり少し固くなる。
でも、さっきより部屋は涼しい。
猫は、少し落ち着いている。

皿の底には、カリカリが少し残っている。

それを見てから、もう一度、画面を見る。

書く前に、部屋を冷やす。

今日は、その順番でいい。

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