日本、そして世界をどう表現するか 国立新美術館「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現1989-2010」感想
国立新美術館の「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現1989-2010」を見てきた。
展覧会はイントロダクション〜3章までの4つにわかれていた。
イントロダクションにある作品たちは、一言でいうなら「美しくない美術」という感じがした。
時代が進み、美術が成熟したと思われたところを、改めて生まれ変わらせようとしている最中のような作品だった。
例えるなら、サナギの中身をかき回して、ぐちゃぐちゃになったものをみているような感じがした。
外国の作品は、挑戦的なものであってもある程度、美の形といえるようなパッケージングされたもので出されることが多いけど、その過程の前という感じの、どこかグロテスクなところもある作品たちだったように思う。
未完成だといいたいわけではなく、そのことに自覚的でありながら作品として出されていることに凄さを感じた。




第1章は、敗戦や震災といった日本特有の歴史の跡を辿る作品たち。日本の占領下にあった土地の写真など、日本が与えた影響についての作品もあり、日本のことながら新鮮な気持ちになる作品だった。


第2章は自己と他者がテーマ。日本らしさとはどんなものか、翻って国を問わず共通するものはなにか、なかなか刺激的な作品たちと探る展示になっていた。
第3章のテーマはコミュニティ。博多のチンチン電車をテーマに地域を語る作品や、福島のいわきで活動する美術家の蔡國強など、日本各地におけるコミュニティの作品とともに、世界の人とどうコミュニケーションを取るかといったテーマの作品が多かった。
コロナや移民問題でグローバル化の雲行きがだいぶ怪しくなっている昨今においても、変わらず通用する作品が多くあったように思う。

特に島袋道浩の作品がいいなと思った。日本と韓国の間の海(日本でいうところの日本海ってやつ)で取れたサンマを、韓国人とともに、日韓両方の調理方法で食べていく。

サンパウロの芸術祭で、自分の作品に字幕を付ける必要があると分かったけど、字がわからない人も多くいるときいて、現地の路上ミュージシャンに映像を見て即興で説明を入れてもらったという作品。何しろ即興だから、動画の内容を完璧に歌にしてる!というわけではないのだけど、新たな翻訳の形といえる気がした。何よりその曲がめちゃくちゃ楽しげで良かったし、私以外の鑑賞者も笑顔になっていた。


日本のことをどう表すのか、日本というプリズムを通すことでどのような作品が生まれてくるのか、それを解析したら世界に通じる表現は実現しうるのか、そんなことを考える展覧会だった。
今日はこんなところで。それでは。
