「14分の滞在」と「完璧な記録」のあいだで。〜介護現場のリアルと、僕の良心の葛藤〜
みなさん、こんにちは。キム・タックです😊
普段は介護福祉士として現場で働きながら、珈琲とウクレレを相棒に、日々の気づきやエッセイをnoteに綴っています。
今日は、ちょっとだけ現場の「リアルなため息」と、僕がずっと胸の中で抱えている葛藤について、正直に書いてみようと思います。
介護職の方なら「あるある」と苦笑いしてくれるかもしれないし、そうでない方には「えっ、そんなことになってるの?」と驚かれるかもしれません。
でも、どうしてもこのモヤモヤを、言葉にして残しておきたかったんです。
## 「これじゃ、やってないことになりますよ」
先日、記録の書き方について、こんな指摘を受けました。
「この文面だとグレーゾーンで、訪問介護をしていないことになっちゃいます。サービスできていないことになるから、文面を変えてください」
見せられた画面を前に、僕は思わず心の中で大きなため息をついてしまいました😮💨
僕が書いた記録は、こんな内容でした。
> 「トイレへの声掛け行うと、行った。大丈夫と話される。リハパン、パット確認させて頂き、退出する。」
居室をノックして、笑顔でご挨拶する。
「トイレどうですか?」とお声掛けすると、利用者様は「さっき自分で行ったから、もう大丈夫やで」と応えてくださる。
ご本人の許可をいただき、リハビリパンツやパッドのズレなどを確認する。
そのほかにも必要な確認や見守りを行い、ご本人が「触られたくない」「恥ずかしい」という空気を感じたからこそ、無理に介助を続けず、
「何かあったら呼んでくださいね」
と声をかけて退出しました。
滞在時間は、約14分。
僕としては、現場で起きた**「ありのままの事実」**を書いたつもりでした。
ご本人が「自分でできた」という自立と、羞恥心という尊厳を一番に守った結果でもあります。
ところが、記録として見ると、
「このままだと身体介護として行った支援内容が伝わりにくい」
ということになるらしい。
そこで僕は、少し考え込んでしまいました。
介護って、いったい何をもって「やった」と言えるんだろう、と。
## 「短くしろ」と言ったり、「詳しく書け」と言ったり
正直に言えば、僕の頭の中は、
「なんでやねん!」
でいっぱいでした😮💨
つい最近まで、
「業務効率化のために、記録の打ち込み時間は極力短縮しよう」
「テンプレートを使って、みんなでパッと入力できるようにしよう」
と言われていたはずなんです。
ところが少し状況が変わると、
「毎回同じテンプレを使わないように」
「少しでも変化があれば詳しく書いて」
「身体介護として何をしたのか分かるように残して」
と求められる。
もちろん、記録が大切なのは分かっています。
利用者様の状態を職員同士で共有するためにも必要ですし、支援内容を正しく残すことも重要です。
でも、そこで僕が感じてしまうのが、
**実際に行った支援を、制度上求められる言葉へ“翻訳する力”まで必要なのだろうか。**
という違和感です。
介護をしていないのではない。
ただ、介護は「どれだけ身体に触れたか」「何回介助したか」だけでは測れない。
そんな気がしてならないのです。
## 単発バイトの現場で教わった、「本来の訪問介護」
そんなモヤモヤを抱えたとき、僕はふと、以前に単発バイトで行った別の訪問介護の現場を思い出します。
そこは、施設内で細かく時間が区切られた巡回型の支援ではなく、利用者様のご自宅へ直接伺う訪問介護でした。
決められた時間の中で、掃除や家事の支援を一生懸命に行う。
段取りよく動いたおかげで、予定していた掃除が少し早く終わりました。
今の感覚なら、
「終わったから、次へ行かなきゃ」
と焦ってしまいそうになります。
でも、そのとき教わったのは、まったく違う考え方でした。
**「その割り当てられた時間は、お金を払ってくださっている、その利用者様だけの時間」**
早く終わったからといって勝手に帰るのではなく、残った時間で、
「最近、足の調子はどうですか?」
「何か困っていることはないですか?」
と、ゆっくりお話を聞かせていただきました。
すると、その利用者様が、本当に嬉しそうに目を細めて言ってくださったんです。
「話を聞いてくれて、ありがとうね。すごく楽しかったわ」
あのときの満面の笑顔と、手のぬくもり。
慌ただしいルーティンとはまったく違う、
**「その人のための時間を、その人のためだけに使う」**
という、訪問介護の原点を肌で教わった瞬間でした。
## 14分の隙間で、僕たちが守るべきもの
書類の上では細かく時間が区切られている。
でも、実際の介護は、毎回同じようには進みません。
排泄介助が必要な日もあれば、ご本人が自分で済ませている日もある。
介助を求められる日もあれば、
「今日は自分でやるから大丈夫」
と言われる日もある。
そんなとき、介護職があえて一歩引くことにも意味があると思うんです。
**介護は、何をしたかだけではなく、何をあえてしなかったかにも意味がある。**
「触らんといて」と恥ずかしがる利用者様に、必要性もないのに無理に介助することが、本当に正しい介護なのでしょうか。
本人ができることまで奪ってしまえば、それは自立支援とは逆方向になってしまいます。
もちろん、僕も組織の一員です。
書類を整えることの大切さも、制度の中で働く以上、必要なことだと理解しています。
だからこそ、
事実を大げさに書き換えるのではなく、
**「ご本人の羞恥心と自立を尊重し、必要な確認・見守りを行った」**
という現場での“配慮の真実”を、胸を張って記録できる介護であってほしいと思うのです。
## おわりに
画面の中のチェックボックスと、目の前にいる生身の人間。
そのふたつの狭間で、今日も僕は悩みながら、スマートフォンに言葉を打ち込んでいます。
世間的に見れば、ちっぽけな「たった一行の記録」の話かもしれません。
でも、その一行の向こう側には、
利用者さんのプライドと、
僕たち介護職の良心が詰まっている。
僕は、そう思っています。
そして明日もまた、
「何をしたか」だけではなく、
「その人にとって何が一番いいか」
を考えながら、現場に立ちたいと思います。
温かい珈琲のような笑顔を届けながら😊
最後まで読んでくださり、本当にありがとうござ
いました☺️
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