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手術当日。私の一大事は、病院では「いつもの一日」だった

手術当日の朝が来た。
私にとっては、一大事。けれど病棟の朝は、驚くほどいつも通りに始まった。

廊下をカートが行き交い、看護師が患者の名前を呼ぶ。検温や点滴が進められる。

私の人生にとっては大事件なのに、病院にとっては、いくつも並ぶ予定の一つなのだ。

その事実は少し寂しくもあり、同時に頼もしくもあった。

もし医師や看護師まで、患者と一緒に緊張し、手術のたびに大騒ぎしていたら、こちらも落ち着いてはいられない。私の一大事を、彼らが「いつもの仕事」として淡々と扱えることこそ、専門職の強さなのだと思った。

やがて、手術へ向かう時間になった。

手術室の中は、想像していたより明るかった。何人もの医療者が、それぞれの持ち場で準備を進めている。私には、誰が何をしているのか、すべては分からない。

けれど、一人の身体を治すために、これほど多くの人が動いている。その光景を見ていると、自分の身体が、個人の経験や勘だけではなく、組織としての医療に預けられたのだと感じた。

医療は、名医一人の手柄で成り立つものではない。

手術をする医師だけでなく、看護師、麻酔科医、検査や機器を担う人たちが、決められた手順を守り、互いの仕事を確認する。患者からは見えない無数の作業が重なって、ようやく一つの手術が成立する。

社会は、こうした「名前の見えない仕事」によって支えられている。

麻酔が入ると、私の記憶はそこで途切れた。
次に目を開けたとき、手術は終わっていた。

私にとって空白だった時間に、医師たちは、私の目の下にある割れた骨と向き合っていた。

手術が無事に終わったと聞いて、ようやく身体の奥から安堵が広がった。大きな感動というより、長く止めていた息を、静かに吐き出すような感覚だった。

人生を揺らす出来事は、ドラマのような音楽とともに起こるわけではない。

いつもの朝が始まり、名前を呼ばれ、白い扉の向こうへ進み、気づけば終わっている。

けれど、その何事もないように見える一日の裏側には、多くの人の知識と技術と集中力があった。

私の一大事を、「いつもの一日」として引き受けてくれる人たちがいる。
ありがとうございます。

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