雨季の晴れ間
バンコクへ引っ越して、ちょうど一ヶ月。
到着早々、皮膚の化膿で病院に駆け込むことになった。
処方された抗生剤が合わなかったのか、舌が腫れて口内炎が多発し、微熱が続いた。
回復して、1週間ほど何事もなく安心して過ごしていたら今度はまた微熱と強い倦怠感。8日目にしてようやく倦怠感から抜け出せたと思ったら、今度は両目の痒みと右目のできもの。
1ヶ月の間に2回目の受診で、両目の痒みはアレルギーで、右目はものもらいの初期症状だと分かった。
以前、区内を引っ越した時も一ヶ月ほど体調を崩し、高級なマヌカハニーですら歯が立たなかった。
どうやら私は、環境が変わると体が追いつかなくなる性質らしい。もし3回目の引っ越しがあれば、「そういうものだ」と思って受け入れよう。
さて、ここ最近、私は「そういうものだ」と毎日のように呟いている。
カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』に登場するトラルファマドール星人が、死に際して口にする言葉だ。
『スローターハウス5』は、SF小説だけれども、作品の発表当時はアメリカで知られることのなかった、知られてはならなかったドイツのドレスデン爆撃の話でもある。この爆撃で街のほとんどが破壊された。
そして、最近の私が感じている人生の時間の流れについての考え方に大きな影響を与えている。私の「今」は、私が生まれてから死ぬまで全ての時間が一点に凝縮されている。なぜそんなふうに考えるに至ったのかはまた別の話で。
さて、息子の通学路で動物のなきがらを目にするたび、その言葉が口をついて出る。
「そういうものだ」
また、息子の通学路で不思議なものが目に留まる。
電柱の根元に置かれた、バナナの葉で包まれたお弁当。
来る日も来る日もそこにあり、少しずつ朽ちていき、10日ほどで姿を消した。
おまじないか何かなのだろうと、毎朝恐る恐るその横を通り過ぎていたが、調べると土地の精霊を鎮めるためのお供え物なのだという。
その朽ちていくお弁当に、かつて国立博物館で観た九相図が重なった。
「そういうものだ」
