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音楽でご飯を食べる:1

1986年 19才の若者は毎日バイトに日々明け暮れていた。
(この前年には火事を起こし、急性アルコール中毒で死にかけている。)

当時同棲相手は15歳。
(母親は新しいお父さんの家に嫁ぎ、県外へお引越し。何故そんな若い子なんだ?!岩本はロリコンなのか?!と言われそうですが、私はロリコンではありません🙂‍↕️ 多分🤣

この付き合った流れを簡単に書きましょうか。
一度ブログにも書いたことがあると思うのですが、19歳の6月、友達と一緒に麻雀をやっていました。土砂降り大雨でした。この後ドライブしようや!と言われたのですが、次の日もバイトがあるので俺と村木は帰りました。
悲劇はその後に起きます。

村木は、そのまま代行のバイトを行き、皮肉にも第一発見者になりました。
大雨の中、スピードの出し過ぎで大事故。
5人全員死亡でした。

俺は明け方に車を見に行ったのですが、への字に曲がってぐしゃぐしゃでした。
当時、村木が付き合っていたのが元嫁でした。
彼女は中山美穂にそっくりで、この街では超有名な子でした。
村木の彼女だったのに何故?!
そこからはご想像にお任せいたします。
ま、詳しいことは、気が向いたら今度書きましょうかね。

後に結婚するのですが、彼女は19歳で息子を産むことになります。結婚後、僅か4年で離婚しました。色々あって結構複雑なんです💦 
離婚の原因は俺です。
その後、彼女は41歳の若さでこの世を去りました。昔から彼女は『美人薄明って言うじゃん。うちがそうなんよ😆』と口癖の様に言ってました。)

話を戻しましょう。
彼女は俺のアパートから学校に通っていました。担任が自宅へ来た時は、そりゃもう大変でした💦

俺はと言えば、朝6時ガソリンスタンドに出勤。
通常業務にオイル交換の声掛け、水抜き、ワイパーなどなど、営業することで時給にプラスされるので、頑張ってました。
基本時給1200円+出来高。
夕方16時に退社すると、そのまま寿司屋に直行。
(実はガソリンスタンドの前はコロヤスという飲食店グッズなどを販売する営業をやってました。
ルートでもなく顔馴染みの店にちーっす!ってな感じで挨拶して周り、必要なものないですか!的な営業だったんですが、めちゃくちゃ苦手なもんで、結局半年もせずに辞めることに。(次に見つけたのがガソリンスタンドだったんですね)
寿司屋に直行後は、仕込みにシゴに、接客に、あれやこれで22時まで働き、そこからライブハウスに。
きっと生臭さかったはず🤣

このバンドの仕事、アマチュアなんですが、一応ギャンティを頂けるんです。
1日4回のステージ。いや〜楽しかったね〜。
アマチュアながらキャアキャア言われる訳ですよ。
バブル絶頂期でしょ!クラブの仕事帰りの方々が来る訳ですよ。
そんなこんなの生活なんで、友達と遊ぶ時間なんてなかった。それでも幸せでしたね。

最初は生活のためにバイト、バイトに明け暮れたんですが、目標が音楽になってからは夢しか眼中になかったですね。

じゃ、何のために働いてたんだ?!
ってなるけど、最初の頃の生活はまぁまぁ大変でした。

実は稼いだお金は親の借金返済と、生活費、余録で、貯めたものは株を購入。
※株の購入
ガソリンスタンドから寿司屋に向かう途中に野村證券という看板を見つける。そこには電光掲示板が見えて値動きが出ていた。
気になったので、バイクを横付けし店内に入り女性スタッフに質問攻め。
結局300万円分購入することにした。

ステージがない日はせっせと詞と曲作り。
出来上がったら、録音開始。
夜中に寝る間を惜しみ、ひたすらドラムマシーンを打ち込み、そこにベースを弾いて重ね録り。からの次はサイドギターを入れる。それからリードギターを入れる。最後に歌にコーラスを重ねたら終わり。
当時は今のように便利ではないので、何度も重ねて、重ねて録音する。最後の方はテープが伸びてた気がする🤣

そのデモテープを今度は他のテープに何本もダビング。
それをみんなに配ったり、東京に送ったり。
とにかくバンド、バンド、バンド、バンド漬けの日々じゃった。
ロケンロールとは違うバンド(佐野元春、MODS、安部光俊のコピバン)を手伝ったり、自分のバンド(歌、ギター担当)をやったりと掛け持ち、掛け持ちの19歳。

バンドも好きなんじゃけど、車もバイクも大好き少年。特にハコスカは好きすぎて何台も買い替えた。(その買い替えた原因は、友達の坂本が、どうしても、健吾のハコスカがほしいと懇願されて、しぶしぶ売ることに。結果、友達に譲ったお金で違うハコスカを購入し、またカスタム。すると別の友達(名前忘れた)が欲しいというので、また売っては、違うハコスカを購入。と思いきや、当時の流行っていたクレスタを購入。
すると、ニヤリな訳です。
また別の友達(牧だったと思う)がこのクレスタを売ってくれというので譲ってあげる。そして、そのお金で再びハコスカを購入し、カスタム。
バイクはFX。これで毎日通勤。
19歳を謳歌していた。


当時58万円
当時40万円

転機は20歳。
いつもライブをやっていたお店に岩城滉一さんが遊びにやってきた。
レース帰りに寄ったそうな。

その時にビビッと来てしまったのだ!!
「やっぱり、あっち側でご飯が食べたい!」
「カッコ良すぎる。COOLSの世界だ!俺もあの世界観に浸りたい!」

そこから、ほら吹き小僧誕生。
吹聴しまくる毎日。
「俺は絶対にミュージシャンになる!」
周りが就職活動に力を入れ始める中、「俺はミュージシャンになる!」
「無理じゃけやめとけ!」と言われても、気にしない俺。

俺は絶対にミュージシャンになってやる!!!!!


周囲の連中は、あっちで面接、こっちで面接。
そりゃ俺も、御多分に洩れず、お呼ばれし、出席すればお小遣いになるから、どこでも顔出して参加はする。
(実際、寿司屋に居た時はスカウトというか、うちの会社に来い!の誘いがめちゃくちゃ多かったし、当時の就職活動、参加すればパーティー並みの食事会があり、新幹線代なども出て、参加費までもらっていた。20000円ぐらい入っていた気がする。ちょっと曖昧だが。)

しかし当の俺は就職には一切興味なし。
ひたすらオーディションを受ける日々。

しかし世の中、ああ無情。

落ちる。
落ちる。
落ちる。

だが、一度も無理かなとか、やめとこって思ったことがなかった。

時は平成バンドブーム。イカ天真っ盛り。
誰もがバンドマンに憧れる時代。
東京(栃木)まで行き、オーディションを受ける俺。
知り合いの伝手(久野さん)で泊まらせてもらった所に、なんと!!!
林ゆたかさん(
ヴィレッジ・シンガーズ」ドラム)も居られ、一度限りの寝食をともに。

「お前、明日受けるんだよな!頑張れよ!」
なんて、話をしながら、なんとなく居心地悪い感じで大喋りした記憶があります。

そして翌日オーディション会場に行くわけですが、そこには昨晩一緒に寝食を共にした林さんが居るわけですよ。
もちろん、受かるかもって思うじゃないですか!!
(甘い考えは身を滅ぼす)

結果はいかに 次回に続く。

折角なので、先日行ったライブの映像でもご覧あそばせ。
(20代とは違ったオヤジのドラムとなります😅)
カット無しでございます。
普通に画面をクリックしてください。
YouTubeに移行します。


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