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”支援”って、結局誰を守るためのものなんだろう

※この記事は、
「ちゃんと考えた結果、私は未熟だった」の続きとして書いています。


「支援」という言葉は、
正しくて、やさしくて、
ほとんど反論できない言葉です。

でも現場に立った私は、
その言葉に、何度も立ち止まりました。

人によって意味が違うのに、
同じ言葉として使われていることが、
ずっと引っかかっていました。


私が考えていた支援は、
困っている子に寄り添い、
安心できる時間をつくることでした。

一方で、
現場で求められていた支援は、
集団を乱さないこと、
流れを止めないこと、
”特別にしすぎない”ことでした。

どちらも、
間違っているわけではなかったと思います。

ただ向いている方向が違っていただけでした。


このズレに気づいたとき、
私はずっと考えていました。
 支援って、
 子どものためのものなのか。
 それとも、
 場を回すためのものなのか。

答えは、
ひとつじゃないのかもしれません。


「支援はこうあるべきだ」と
簡単に言えないからこそ、
現場は難しく、息苦しくなる。

でも同時に、
考えることをやめてしまったら、
支援はただの作業になってしまう気もしました。


未熟だったからこそ、
私はこの問いに出会えました。

今も、
はっきりした答えは持っていません。

それでも、
考え続けていい問いだと思っています。


もしこの記事を読んで、
「支援ってそんなに簡単じゃないよね」と
少しでも感じてくださったなら、

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