祖父と私と呉の空
田中弥三郎です。鍼灸マッサージ師をしています。
私の「弥三郎」の名前は、父方祖父の名前を勝手に借りています。おそらく祖父の名前は世代的に「彌三郎」の字だと思います。
ということで祖父を「彌三郎」と表記します。
田中彌三郎
顔も知らない、私の祖父
彌三郎さんは、私が物心つく頃には亡くなっていました。父も伯父も祖母も、さっぱり祖父のことは話さなかったので、大人になるまで知りたいと思うこともありませんでした。
祖父を知る切っ掛けになったのは、着物を着て正月に祖母に会いに行ったときのこと。
祖母は着物姿の私を見て、
「アンタのおじいさんが着道楽やったんや。」
と思わず口にしたのです。
これ幸いと私は祖父の着物や帯があるなら欲しいと聞いてみたら、
「そんなもんない。写真の1枚も全部ほかした。」(ほかす:捨てる、処分するの意味)
なんでも父(2人兄弟の下)が大学に進学・下宿するタイミングで熟年離婚していたそうで。なるほどね。
ということでお墓もないし命日も分からん、と父(彌三郎の次男)は、のたまうのです。
彌三郎さんの産まれは西宮の今津のあたり、お酒造りの酒樽を扱う商売をしてたような?おばあさんからの又聞きだから、詳しくは分かんないし、庄屋の家だったけどつぶしたとか言ってた気もする。
酒の飲み過ぎで肝臓を患って67歳で亡くなったとか。今津といえば清酒大関で有名な酒どころですから、よう飲んでたんやろなぁ。
彌三郎と戦争
大正産まれの彌三郎さん。海軍で船に乗っていたところを、ソロバンができるからと船を降ろされ、呉の高射砲台に移されたそうです。
そこで終戦を迎えたようなので、きっと原爆のきのこ雲は見ていたでしょう。
Geminiさんによると、この当時(昭和19年頃〜)重油不足で艦艇が出撃出来なかったとか、陸上の砲台を補強再編する必要があったとか。
彌三郎さんは幸いにも無事に帰って来られたけど、もしもを考えたら背すじが凍ります。
呉に行ってみよう
勝手に弥三郎の名前を名乗ってnoteを始めて3年が過ぎて、けっこう楽しくやらせてもらっています。
ということで彌三郎さんを偲んで、呉に行ってみることにしました。高射砲台の跡地はいっぱいあるみたいだけど、呉に近い大空山公園には遺構もあるみたいだし、同じような景色が見られそう。
彌三郎さん、身内からは散々な言われようだったけど、思いを馳せる孫がひとりくらい居ても良いでしょ。
参ってあげるような場所も他に思い付かないしね。
呉、大空山公園へ。
大空山公園
呉と言えば「大和ミュージアム」や「てつのくじら館」が有名どころですが、向かったのは「大空山公園」。かつて高射砲台があって、そのころの遺構が現存している場所です。
呉駅からタクシーで向かったけど、幹線道路から公園に向かう坂道は急勾配&すれ違い不可でビビりました😅
最初は広島駅からレンタカーを計画してたけど、タクシーで正解。あんな細い道、ナビが行けと言うても行く勇気ないわ😱
料金も、公園でしばらく待っててもらったのと広島駅から呉駅までの在来線運賃含めても、レンタカーと大差なかったです。
タクシーの運転手さんもそこそこの年の方だったけど、これまでに数えるほどしか行ったことないとのことでした。
戦時中の遺構

大空山砲台跡
明治36(1903)年に竣工した大空山砲台は、上陸して背後から攻めてくる敵軍から呉を護るために建設されました。また、第二次世界大戦当時は、高射砲基地となっていました。砲座跡、弾薬庫跡などが残されており、 近代土木建築の技や設計力、デザイン力の高さが感じられます。
大空山公園(砲台山遺構)
日露戦争に備えて広島湾や呉軍港を敵艦から守るため、「広島湾要塞」として周辺の鷹ノ巣浦(宮島)、がんね鼻・三高山(いずれも江田島)、早瀬・高烏山(いずれも音戸) 大空山(阿賀)螺山(広)、など各地の高台や山頂に砲台が作られました。大空山は、その後も砲台基地として、また第二次世界大戦当時は対空防御が主力となり、 高射砲基地として、終戦まで砲台山として一般の入山が禁止されていました。現在では国内最大規模の三高山砲台跡は、近代土木遺産にもなっており、大空山も三高山に匹敵する規模で謎めいた遺構の数々(指揮所跡、砲座跡、火薬庫跡など)が残っています。 終戦時には、はげ山同然であった山容も緑化整備され、また阿賀地区住民の桜の苗木の植林運動で桜の名所となり、市民に親しまれる公園になっています。


戦争の遺構と言われなかったら分からないくらい洗練されたデザイン。
2枚の写真の場所はそのままつながっています。
展望台から見渡せば
遺構の階段を上るとまた階段があって、そのうえに展望台がありました。

大空山の由来
瀬戸内海を一望の内におさめ展望絶佳の景観である大空山は古くは戦国時代の拠城とし、また里人が学の菩薩として深く信仰した由緒の地であった。その後明治年間に入って軍用地として山上に砲台が築かれ大平洋戦争当時は高射砲陣地となって一般の登山は禁止されていた。以前砲台が築かれていたことから砲台山とも呼ばれている。 昭和20年、終戦によって開放され公園として町ぐるみの整備が進み桜、モミジ、ナンキンハゼなどが植樹されで桜の名所、緑の公園と生まれかわり呉八景の一つに数えられて、はじめて全貌を市民の前に現わした。海拔200メートルの丘陵で散策上の最適地である大空山公園の砲座跡地に昭和55年4月現代人の感覚に適合した展望台が建設された。
阿賀観光協会
展望台には見晴らしの解説板。

だけど木が生い茂ってあんまし見えない🤣
酒好きだったおじいさんに、ささやかながらお酒を。


大空山から広島を向くと北西向き。

大空山(標高205m)からは広島の市街地は見えません。灰ヶ峰(737m)が視界を遮る形でした。
戦争当時に思いを馳せる
8月6日を想像すると
81年前の8月6日には、この山のむこうに巨大なきのこ雲が見えたのだろうと想像してみました。大空山から広島市街までは直線距離でおよそ22km、きのこ雲の高さはおよそ1万メートルですから、まず間違いなく見えていたと思います。
それも山のむこうに、山よりも遥かに高いきのこ雲と閃光・轟音・衝撃波。
何が起こったかわけが分からなくなっていたんじゃないかと思います。文字にするとありきたりな文章になってしまいますが、その場所に立って想像してみると、「わけが分からない」という感想しか浮かんできませんでした。
現実に起こったことであることは理解しているけど、そんな事が現実に起こっていたなんてすぐには飲み込めない感覚でした。
訪問した8月16日は
大空山公園・展望台に訪問したのは8月16日。まったくの偶然ですが、8月16日は彌三郎さんの誕生日でした。生きていれば103歳(大正12年生)です。
無性に広島を訪れてみたくなって、妻と計画を立てたのが7月20日を過ぎたころ。おおよその計画が立ってから、”たまたま”父に連絡する用事があった”ついでに”彌三郎さんの生年月日を聞いてみると、まさかの私が訪問する当日が誕生日であることが分かりました。そしてその2日後、8月18日が私・弥三郎の誕生日。不思議な運命を感じてしまいました。
そんなことを思いながら展望台から眺めていると、1羽のツバメがすいっと現れたかと思うと身を翻し飛び去って行きました。曇り空でも蒸し暑く、ツクツクボウシやアブラゼミの鳴き声が響いていましたが、吹く風は爽やかで心地よくて。不快なのか快適なのか、ややこしいです。
きっと面倒くさいタイプだったと思われる彌三郎さん。その人柄に触れたような気がしました。
かくいう私も自分のことを面倒くさいタイプだと自覚していますし、そこも含めてチャームポイントだと受け入れています。クソ真面目なおばあさんには理解できへんかったんやろうなぁ……😅
訪問することが出来てよかった。彌三郎のおじいさんを、少し近く感じられるような気がします。
81年前の終戦記念日の翌日、22歳の誕生日を迎えた彌三郎さん。
生きてる喜びを噛み締めてただろうか?
それとも誕生日どころじゃなかっただろうか?
おそらく人前ではクソ真面目なふりをして神妙な顔で誕生日のことも口にせずにいて、人のいないところで狂喜乱舞してたんじゃないかな。
それはそれぞれ本心であって、決して偽りの気持ちじゃなくて。その場で勝手にそういう気分になっちゃうだけで、空気を読んでるわけでもなくて。
そんなんやからおばあさんに「外ヅラが良いだけ」とか言われるんやで。
安心してや、その性質はしっかり私が引き継いでますわ🤣
今さら何かをしてあげることは出来へんけども、草葉の陰で見守っててくださいな。私、今年が後厄なんでね😜
あとがき
呉駅の周辺で
せっかく呉に来たので、ランチには海自カレーと呉冷麺に「がんす」。



ちょろっと大和ミュージアムとてつのくじら館の外観だけ見て、


スゴイなぁと思うけど、武器・兵器だと思うとちょっとね……
記念に呉氏を購入。
広島駅に向かい、ホテルへ
安芸路ライナーで広島駅に到着。広電でホテルに向かいます。途中でちょっとかき氷。

ホテルにチェックインしてしばしの休憩。
朝が早かったから30分ほど仮眠して、平和の象徴を拝みに向かいます。その話はまた次回に。

おわりに
少し前から「いつかそのうち行かなきゃ」と思っていた呉への訪問、無事に果たせて良かったです。
「せっかく行くなら夏が良いかも〜」とぼんやり思ってたところに上手く予定が重なって、
「今しかない、これは運命や」とばかりに予定を組みました。まさかその日が彌三郎さんの誕生日だったとは。
当日までお天気予報がビミョーだったけど、結果的には問題なし。自分で言うのもおかしいけど、すごく良い時間だったと思います。
そして今日が私の誕生日。彌三郎さんの2日後。絶対に忘れへんわ🤣
じいさん、見守ってておくれな。
っていうか、生まれ年から計算したらじいさんが亡くなったのは私が小学生のときやないか。ええ加減にせぇっちゅねん🤣🤣🤣
