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AIテクノロジーは天使か悪魔か ~それでも地球は回っている~

1 まわせまわせ地球をまわせ

  まわせまわせ地球をまわせ コンピューターに天使は宿る
  「レッツチャージ」
  しあわせをひろげるアイテムで夢と希望のエネルギー
  とめろとめろ地球をとめろ コンピューターに悪魔は宿る
  「レッツチャージ」 
  にくしみをもたらすステージに黒い野望のエネルギー

 いきなり何のことやら?という感じかもしれないが、これは筆者が幼少期にテレビで見ていた「超人機メタルダー」という特撮メタルヒーローもののエンディング曲の歌詞だ(「タイムリミット」作詞:ジェームズ三木)。
 この物語の主人公は、タイトルのとおり「メタルダー」という名前で、仮面ライダーのように元は人間だったというわけではなく、完全アンドロイドである。設定的としては、石ノ森章太郎先生原作の「人造人間キカイダー」に近い。物語的なところを説明すると、メタルダーは登場したばかりの第一話時点で、誕生したばかりで何もわかっておらず「赤ちゃん」みたいな状態で、そこから「善」や「悪」を色々学び、成長していくという展開だったようだ。もちろん、タイムリーに見ていた幼少期にこんな難しい話を理解していたわけではないが、そういうストーリー展開だったからこそ「コンピューター(メタルダー)は天使にも悪魔にもなる」という歌詞だったのだろう。
 なお、ストーリーが筆者を含む当時のチビッ子たちに難しすぎたためか、現在のネット上の評価を見てみると「そんなに人気はなかった」ということらしい……

2 まわるまわる洗濯機は天使か?

 さて、少々話は変わって「まわるまわる機械」といえば、まず思いつくのは「洗濯機」であろう。洗濯機に関連して、ちょっと興味深い話を聞いたことがある。あるチベットから日本にやってきたという女性の話だ。その女性曰く、日本に来て一番感動し、感謝したのは「洗濯機」だったそうだ。チベットでは、洗濯機というものがなかったらしく、洗濯物はお母さんがいつも素手で頑張っていたそうだ。チベットはとても寒い国で、洗濯物を手洗いする時、当然のことながら、とても手が冷たい。いつも寒い中手を冷たくして、痛い思いをしながら洗濯をしてくれていたお母さんのことを思い返すと、機械が洗濯をしてくれるなんて、夢のようなことと感じたらしい。この女性には、洗濯機がまさに「天使」のように感じられていたことだろう。
 他方、この話を聞いたとき、日本人で、洗濯は洗濯機がしてくれることが当たり前と思っていた筆者は「ハッ」とした。それこそ「メタルダー」を見ていた幼少期、初めて回っている洗濯機を見てそんなに感動したことなんて、あっただろうか。一人暮らしを始めて、初めて洗濯機を自分で買って使うようになった時でさえ、「ああ、洗濯ものたまっちゃったなぁ。そろそろ面倒くさいけど洗濯するか」くらいの気持ちだっただろう。
もっと言えば、いつも洗濯をしてくれていた母親に感謝していただろうか。チベットの女性は、いつも手を冷たくしながら洗濯している母の姿を思い出し、涙すら流していたとのことだ。洗濯機を回しながら、母親への感謝で涙する日本人なんて、今の時代どこにもいないのではないだろうか。洗濯機が洗濯をするのが当たり前になって「親に対して感謝する」という機会は、もしかしたら奪われているのかもしれない。そう考えると、洗濯機は人々から「感謝」する機会、あるいは「感謝」という感情そのものを奪っている悪魔にも見えてくる。言い過ぎかもしれないが……
 洗濯機に限らず、炊飯器、冷蔵庫、エアコン、掃除機等のいわゆる白物家電の登場は、世の女性たちの家事をだいぶ助けることとなった。こうした家電が登場する前は、それこそ食事を作って家の掃除をして洗濯をして……なんてしていたらそれだけで重労働で、一日が終わっていたはずだ。「奥様」と言われる世の多くの女性たちは、社会に出て何かをする時間なんてほとんどなかったはずで、文字通り「家の奥(中)」こそが仕事場だった。筆者は一応法律家でもあるので、法律的な出来事にも触れてみると、白物家電の登場は、男女雇用機会均等法が成立したことと無関係ではないように思われる。どんな法律にも、誕生した社会的な背景がある(専門用語で「立法事実」なんて言ったりもする)。白物家電は、正にその色が示すように、「天使」のような表情で、女性たちの社会進出を後押ししていたはずだ。でも、反面で、大切な感情を育む機会を奪うという悪魔的な側面もあったのではないだろうか。

3 携帯電話は悪魔か?

 白物家電の登場から時間の針を進めてみて、携帯電話はどうだろうか。
「君の名は」「天気の子」で有名な新海監督の作品のひとつに「秒速5センチメートル」という作品がある。もうすぐ実写映画となって公開されるとのことだが、印象的なシーンがあった。
 ごくごく簡単に言うと、男女の幼馴染が、離れ離れになって、ふとしたきっかけで男の子が女の子に会いに行くというシーンだ。待ち合わせの時間に着くように、電車のダイヤを調べて行くのだけれど、運悪くその日は電車がほとんど動かないほどの大雪で、電車が遅々として進まない。今なら携帯電話で「別の日にしよう」と連絡すれば済むけれど、相手が待っていてくれるかもしれないから、行かないわけにはいかない。
 「さすがにもう待ってないよね。でも、待っていてくれるかもしれない」
そんな想いに揺られながら、電車に揺られ、たどり着いたら…?
 携帯電話に慣れ親しんだ時代からすれば、連絡ひとつで済むのに、長時間どっちつかずの時間を過ごすのは無駄なように思える。確かに時間の無駄をしたくないのは「タイパ」を重視する今の価値観からすると、無駄以外の何物でもない。でも、この映画を見ていると、お互いのことを想像して想いを馳せている時間は、無駄なようには感じない。むしろ相手のことを想像しながら向かう時間は、大切な人への想いを育む時間、その機会にもなっていたように感じられた。
 携帯電話も、便利さを提供し、タイパを各段に向上させたという意味では「天使」だが、色々な感情を育んだり感じたりする機会を奪っているという意味では「悪魔」かもしれない。
 仕事に追われるビジネスパーソンからすると「携帯電話が鳴る=仕事の連絡」なわけで、携帯を持っている限り逃げ場がない。「携帯電話から解放されたい」とか「携帯なんてない時代がよかった」なんて思ったことがあるビジネスパーソンは、決して少なくないはずで、こうした人たちからするとそもそも携帯電話は「悪魔」に見えているのかもしれない。

4 AIテクノロジーは?

 さて、携帯電話もひとりに1台というのが当たり前になって久しい。さらに時間の針を進めて見て、現在急速に広まっているAIテクノロジーはどうだろうか。
 筆者は、年に1回くらいだが、大学の教壇に立って講義をすることがある。その時にレポート課題を出して採点などするのだが、最近大学の現場では、レポート課題を生成AIに書かせる学生がいるということを聞いたことがある。そして、そういうことがされた場合、AIが作ったのか学生が作ったのかを見分けるのは極めて困難だそうだ。
 あるいは、各種の文学コンテスト等でも「生成AIが作ったものはお断り」といったことが応募規約に記載されている。こちらもとある文学賞の審査を担当された方から聞いた話だが、仮に生成AIが作ったものが応募作品中に紛れ込んでいたとしても、見抜くのは極めて難しいらしい。いずれについても「成果物を簡単に作ることができる」というタイパ的にはいいのかもしれないが、本質的な「学ぶ楽しさ(プロセス)」「作る楽しさ(プロセス)」を得る機会の喪失にも繋がっていないだろうか。
 こういった場面だけでなく、そもそもAIやロボットが発達すれば、不要となる仕事や職種がたくさんあるということも従前から言われていることだ。人件費がカットでき、仕事の効率が上がるという点からすると、AIの発展は社会にとって天使なのかもしれない。しかし、反面、そのために職を追われる人もいるはずで、そうした人たちからすると、AIやロボットは正に悪魔にしか見えないのではなかろうか。
 昔から言われていることだし、筆者もその昔誰かに言われたことだが「学生の内は、勉強するのが仕事だ」ということだった。そして、日本では、昔から「働かざる者食うべからず」なんてことも言われている。そう、「働くこと=生きること」だし、子どもたちに「将来何になりたい?」なんて尋ねると、だいたいは職業(=仕事)を挙げるはずだ。
 そう考えると、「勉強すること」や「仕事」の大半をAIやロボットが行うようになれば、それはすなわち「生きること」を奪われているということに繋がらないだろうか。これもまた言い過ぎかもしれないが……

5 タイムリミットは近い?

 先日の記事では「AIと友達になれるかもしれない」というAIのいい側面について考えてみたが、反面で、注意が必要なところも当然のことながらあると思う。そういえば、これまたある女性からこんなことを教わったことがある。
 
「人間が良い心と悪い心を両方持っている以上、科学にも善と悪とが出来てしまう。それを使うのは人間なのだから。そして、使い切れない大きな力はそれだけ多くの不幸も呼ぶわ」(「不思議の海のナディア」第11話)

 「不思議の海のナディア」という名作の中に登場したエレクトラという女性の言葉だ。この物語の中では、エレクトラさんに限らず、テクノロジーも結局人間が扱うのだから、良いも悪いも使う人間の「心」に左右されるということが度々描かれていた。どうやらそんなに人気がなかったという冒頭紹介したメタルダーが放送されていたころかその少し後くらいのころに「不思議の海のナディア」も放送されていたわけだが、石ノ森章太郎先生が「人造人間キカイダー」を描いていたころから、あるいはそのもっともっと昔から、人類は「心」と「テクノロジー」の関係に気が付いていたはずだ。
 最後に、冒頭紹介したメタルダーのエンディング曲の歌詞の続きを紹介したい。

  歴史をつなぐのか ピリオドうつのか
  タイムリミット タイムリミット タイムリミットは近い
  タイムリミット タイムリミット タイムリミットは近い

 「タイムリミットは近い」という歌詞が何度も繰り返されるのだ。もし、人間がAIの使い方を間違え、自らの心を育む機会を自ら奪い続けていってしまったとしたら……何だかちょっと背筋が凍る思いがしてしまうのは、筆者だけだろうか……

#創作大賞2025

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園木まさ【弁護士×作家 二刀流】 「木になる絵本屋さん」では、誰かの人生をヒントにした創作絵本を創っています。頂いたチップは絵本創りの志金(資金)とさして活用させて頂きます!応援頂けたら嬉しいです!