中東:岡本公三とパレスチナ問題。レバノンで英雄として死んだ日本人
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日本赤軍の元メンバーである岡本公三氏に関する主な経歴や経緯は以下の通りです。
プロフィール
1947年生まれ、熊本県出身。鹿児島大学在学中に出国し、中東へ渡った。
実兄の岡本武も共産主義者同盟赤軍派のメンバーで、1970年の「よど号」ハイジャック事件に関与している。
テルアビブ空港銃乱射事件(1972年)
1972年5月30日、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)と共闘した「日本赤軍」のメンバー(岡本氏を含む3人)として、イスラエルのロッド国際空港(現・ベン・グリオン国際空港)で無差別銃乱射テロを実行。
観光客ら100人以上が死傷し、実行犯のうち他の2人は死亡したが、岡本氏のみがその場で逮捕された。
服役と釈放、レバノンへの亡命
イスラエルで裁判により無期徒刑判決を受けて服役した。
1985年、イスラエル軍兵士の身柄拘束に伴う「ジブリール協定(捕虜交換)」により釈放される。
その後、リビアやシリアなどを経てレバノンに入り、同国政府から政治亡命を認められて長期にわたり潜伏・生活していた。日本国内では警視庁から国際手配等を受ける身であった。
死去
2026年7月23日、亡命先・潜伏先であったレバノンの首都ベイルート(またはその郊外)で死去したことが、支援組織であるPFLPによって発表された。享年78。
テルアビブ乱射事件
テルアビブ空港銃乱射事件(1972年5月30日発生)は、日本の極左組織「日本赤軍」のメンバー3人が、イスラエルのロッド国際空港(現在のベン・グリオン国際空港)で引き起こした無差別テロ事件です。
主な概要や特徴は以下の通りです。
事件の背景
日本赤軍の前身メンバーらがパレスチナ解放人民戦線(PFLP)と共闘するためレバノンなどの中東へ渡り、国際的なテロ活動の一環として立案・実行されました。
実行と被害
犯人グループ(岡本公三受刑者ら3人)は、パリ発エールフランス機でテルアビブに到着後、手荷物から自動小銃(チェコ製Vz 58)を取り出して乱射し、さらに手榴弾を投げつけました。これにより、観光客や出迎客、空港職員など26人が死亡、約80人が負傷という甚大な被害が出ました。犠牲者の中には、聖地巡礼で訪れていた多数のプエルトリコ人旅行客も含まれていました。
犯人の結末
実行犯のうち2人は銃撃戦の中で死亡(あるいは持っていた手榴弾で自爆)しましたが、岡本氏のみはその場で取り押さえられ、逮捕されました。
国際的な影響
無関係の一般民間人を標的としたこの無差別テロは世界中に大きな衝撃を与え、その後の国際線におけるセキュリティチェックの厳格化や、テロ対策のあり方に多大な影響を与えた事件として知られています。
日本赤軍とPFLP(パレスチナ解放人民戦線)が、あのテルアビブ空港銃乱射事件を起こした「目的」や背景には、主として以下のような要因や論理がありました。
PFLP側(パレスチナ解放闘争)の論理と報復
事件の直前、同じロッド国際空港を舞台に、パレスチナ側の武装組織「黒い九月」のメンバーがハイジャック事件を起こした際、イスラエル軍との銃撃戦によってパレスチナ人ゲリラが殺害されるという事件がありました。PFLP側にとって本件は、その報復措置という意味合いを持っていました。「世界同時革命論」と海外拠点の形成
実行犯らを輩出した赤軍派は、「世界同時革命」を掲げ、日本国内にとどまらず世界の反帝国主義勢力と連帯して武装闘争を行うべきだという思想を持っていました。彼らにとって中東は、欧米の「帝国主義」と直接対峙できる最前線と位置づけられていました。国際的な組織としての存在感の誇示
共闘関係にあったPFLPの作戦に日本赤軍のメンバーが「国際義勇兵」のような形で加わることで、自分たちの組織の存在感を中東および国際社会にアピールする狙いがありました。実際、実行犯のメンバーは当時、PFLP側から「アラブの闘争に貢献した同志」として高く位置づけられることになりました。
もはや、赤軍ではなくて、国連がイスラエルを非難中
国連機関や関連する国際調査委員会が発表した報告書において、パレスチナ自治区ガザ地区におけるイスラエルの軍事行動に関し、「ジェノサイド(集団殺害)」に該当するとして指摘されている主な根拠や法的認定の要点は以下の通りです。
国連人権理事会の独立国際調査委員会(COI)などの調査や法務分析では、1948年の「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約(ジェノサイド条約)」に基づき、以下の要素が示されています。
構成員の殺害および身体的・精神的損害
多数のパレスチナ市民が死亡し、その中には膨大な数の子どもや女性が含まれていること、また負傷者やトラウマを抱える人々が組織的・継続的に発生していることが挙げられています。
生活環境の破壊による生存の脅威
医療施設、水利システム、住宅、食料供給ルートなどのインフラが徹底的に破壊され、意図的に居住困難な状態や飢餓状態(飢饉)がもたらされていることが、集団を部分的あるいは全体的に破壊するための条件づくりにあたると指摘されています。
子どもに対する標的化
調査委員会は、パレスチナの子どもたちが意図的に標的にされ、死傷させられている実態について言及し、これが将来世代を破壊するための計画的戦略の一環であるとの分析を示しています。
ジェノサイドの意図(ドルス・スペシアリス)の認定
イスラエルの高官や政治・軍指導者による、パレスチナの集団や住民に対する差別的・敵対的な公式発言(インフラの遮断や住民の排除を示唆する発言など)が、破壊の意図を示す証拠として記録されています。
なお、これらの調査報告や認定に対しては、イスラエル政府側は「事実無根の欺瞞であり、ハマスによる人間の盾の利用やテロ行為を無視した中傷である」として全面的に拒絶・反発しています。また、国際社会や各国政府の間でも、法的評価や政治的な対応を巡り見解の対立が続いています。
英雄として神格視されて亡くなった
レバノンや現地のパレスチナ武装勢力(PFLPなど)が岡本公三氏に対して強い連帯感や恩義、あるいは「英雄視」とも言える評価を向けてきた背景には、以下のような経緯と構造が存在しています。
組織の論理と「国際義勇兵」としての位置づけ
1970年代当時、PFLPなどのパレスチナ解放闘争を掲げる組織にとって、遠く離れた日本から身を投じて現地で直接軍事作戦を実行した日本赤軍のメンバーは、「自らの大義のために命を賭けて戦った国際主義の同志」とみなされました。
過酷な長期服役と沈黙
実行犯3人のうち他の2人が現場で死亡した中、岡本氏だけが生還してイスラエルで約13年間に及ぶ過酷な終身刑・独房生活を耐え抜いたこと、そしてその間も組織の機密や背景について容易に屈しなかったとされる姿勢が、現地の一部支持層の間で「闘争のシンボル」として神格化される要因となりました。
捕虜交換による解放と保護
1985年、イスラエルとPFLP側の捕虜交換(ジブリール協定)によって釈放された後、身柄を引き受けたレバノンにおいて、同国政府の黙認やPFLPの庇護の下で長年「政治亡命者」として生活を保障されてきたという経緯があります。
このように、イスラエルとの対立や占領に対するレジスタンス(抵抗運動)の文脈において、岡本氏は長年にわたり「パレスチナの大義に身を捧げた生き証人」として扱われてきました。
