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映画余談①人体爆発CGが苦手、という話(8.6加筆修正)

皆さんは映画で苦手な演出はあるだろうか。犬が死ぬのがダメとか、特定の食事シーンがダメとか、人それぞれ一つくらいはあるのではないだろうか。
私はといえば人体爆発シーンがとにかく苦手である。それもCGを使った継ぎ目のない爆発(実写の人間がそのままパァンとなるやつ)限定でダメなのである。誰か共感してくれる人がいると信じて、以下実例を交えながら"ダメ"ポイントをお伝えしていきたい。

※ちなみに今回紹介する作品はいずれもYouTubeで「原題+explosion」と検索すると該当場面の切り出しが見れてしまう。NGでない方はどうぞ・・・

ここ数年で一番"ダメ"だったのは、ドラマシリーズだが「ザ・ボーイズ シーズン2」(2020)エピソード7「発火」における公聴会の場面だ。他人の頭部を念力で爆発させる超能力者が場内に潜んでいるという設定で、エピソードの終盤は人体爆発祭りとなる。私の記憶だと判事がハンマーを叩くと同時に判事の頭がいきなり爆発、続いて証人の頭が爆発し、場内は大混乱。その後は無差別的に複数の人の頭部が爆発していく。私はいつ誰が爆発するのかという緊張感に耐えられず、薄目で見ることしかできなかった。
『レディ・オア・ノット』(2019)のラストでも人が超自然的な力で爆発させられまくる。こちらは頭部だけでなく全身だ。1人目は本当にいきなり爆発するのでまだいいのだが、残りの犠牲者たちは「次は自分だ」という恐怖の中、泣き叫びながら爆発させられることとなり、見ていてただただ辛い気持ちになる。そう、「逃げ惑うが避けられない」という要素が追加されると、いよいよ個人的なNG度合いは増すのである。

『スキャナーズ』(1981)

こうした近代人体爆発の父(?)といえばやはり『フューリー』(1978)『スキャナーズ』(1981)だろう。どちらも超能力によって人体が爆発するのだが、実は私はこれらの作品は全く問題ない。特殊メイクによる人体破壊は、(今日から見れば)明らかな作り物であり、見世物として楽しむことができるので、むしろ大好物である。

『ウェドロック』(1991)

一方で、私のNGゾーンに若干踏み込んでくるのが、近未来の刑務所を舞台とする『ウェドロック』(1991)だ。囚人たちには首輪が付いていて、脱走しようとすると首輪が爆発してしまう。首輪のネタ元はスティーブン・キングの小説『バトルランナー』(1982)だろうが、シュワちゃんの映画版『バトルランナー』(1987)では首輪は冒頭でチラッと出てくるだけなので、映画史における本格的な首輪爆発描写の嚆矢は『ウェドロック』といえる。
『ウェドロック』が『フューリー』や『スキャナーズ』と違う点は2つある。1つは「逃げ惑う囚人たちの首輪が次々と爆発する」という集団パニックの要素が追加されているところで、「逃げてもどうしようもない」という絶望感が強調されている。先述の通り、私はこの手の描写が苦手だ。死ぬと分かっている人をただ眺めなければいけない辛さがある。(余談の余談だが、同様の理由で『SAW』シリーズの2作目以降はちょっと見れない)
もう1つの違いは「継ぎ目のなさ」だ。よく見ると爆発する瞬間に人形に変わってはいるのだが、特殊メイクが良くできている上に編集点も絶妙で、今見ても本当に人の頭部がリアルタイムに爆発しているように見える。「作り物」感が感じられないがゆえに、見世物として楽しむ余裕が(私は)無く、恐怖が先行する。

『バトル・ロワイアル』(2000)

それでも、『ウェドロック』は結局は撮影現場で血糊の詰まった袋を爆発させているに過ぎないので、どこかで安心感がある。私を真に悩ませるのは爆発にCGが使われているときである。
その初期の例が『バトル・ロワイアル』(2000)である。厳密には『バトル・ロワイアル 特別篇』(2001)からかもしれないが、序盤の教室のシーンで生徒の首輪が爆発するカットでは血糊がCGで描かれている。これが私はどうも苦手なのだ。
人体爆発とはやや異なるが、伊藤英明がサイコパス教師を演じる『悪の教典』(2012)では、階段の上に追い詰められた生徒たちを伊藤がショットガンで一人ずつ撃ち殺す場面があり、ここでもCGの血しぶきが噴き出していた。
その他、冒頭で示した2作品や、『硫黄島からの手紙』(2006)の手榴弾自爆、『ザ・ハント』(2020)オープニングのベッドショット、『アンティル・ドーン』(2025)の謎爆発(本当に謎)などなど、爆発(炸裂)+CG血しぶきの例は枚挙に暇がない。

なぜ現場の血糊は大丈夫で、CGの血糊がダメなのかは自分でもよく分からないが、恐らくCG=アニメーションには"想像の余地"が生まれてしまうからだと現時点では考えている。私は小説のグロ描写でも結構気持ち悪くなることが多いのだが、それは脳内で光景を想像する過程で独特の生理的リアリティが生じるからだと思う。小説同様に、CG血糊も現場血糊と比べれば抽象性が高いため、脳が「(本物の)血」として認知処理するべく情報を補完しようとする過程が発生し、そこで余計なリアリティが脳内に生じている気がする。
その証左として、より抽象度の高いアニメの人体爆発・炸裂もダメなものが多い。「エルフェンリート」(2005)第1話の序盤で施設員?が飛び散る描写なども割とキツかった(中盤以降の切り株描写は好き)。最悪なのは「BLOOD-C」(2011)で、このアニメは作画としては比較的チープなのだが、そのチープさが逆に抽象度=想像の余地を拡げていて、本当に気持ち悪くなってしまう。

『キングスマン』(2015)

やや変則的なのが『キングスマン』(2015)だ。ラストで主人公サイドがボタン(だっけ?)を押すと世界中にいる敵グループのメンバー全員の首が吹っ飛ぶというクライマックスが有名だが、なぜかその爆発は花火で表現されるので見た目上はグロくない。また、敵は全員、攻撃に気付かぬまま爆死するので「泣き叫びながら爆発」といった阿鼻叫喚演出もない。
ゆえに、生理的レベルでは問題ないはずなのだが、それでも私は一種の吐き気を催した。どうやら無差別かつ機械的に人命が失われていくことへの根本的な不快感があるらしい。ジェイソンやフレディによる殺人描写はノリノリで見てしまうのだが、スイッチ一つで遠隔で人を殺すことには何やら強い抵抗感を感じてしまう。

以上、私の苦手なCG人体爆発映画・映像作品を列挙したが、特にこの10年で同演出が一般化し、頻出するようになったことは間違いない。それだけCG人体爆発が観客の支持を得ているということでもあろう。
人の死に様を愉しむということそれ自体は大いに結構なのだが、CG人体爆発には何か人の死を傍観するようなところがある。もちろんCGアーティストは懸命に仕事をしているわけなので尊重したい気持ちもあるのだが、どうしてもノーリスクで人の命だけを奪っているように見えてしまう。血の量や飛散の仕方などが特殊メイクよりずっとコントローラブルなところもポイントだろう。つまりCGに画面外の権力を感じてしまうのだ。物語とは別に、メタ的な権力の存在を嗅ぎ取ってしまうことが、CG人体爆発への抵抗感に繋がっているのかもしれない。

ちなみにヘッダーに使っている『マーズ・アタック!』(1996)にはそこまで不快感は感じない。宇宙人がどうなろうと知ったことはないという根本的な問題でもあるが、そもそも宇宙人がCGであるがゆえに別の権力に干渉されているようには見えない(実写の人間が特殊メイクで爆発しているのと同じ)ということもあるだろう。
というわけで目下の課題は、実写とCGのアマルガムともいえるAIキャラクターの爆発をどう感じるかである。既にそのような表現は出始めている。こちらについてはまたいつか記事を書くかもしれない。

最後にオマケだが、CGじゃなくても個人的に見るのが辛い血糊噴出描写を思い出したので貼っておこう。アメリカの「サタデー・ナイト・ライブ」シーズン43(2017)でのワンエピソードで、ジェームズ・フランコ演じる店員がなぜか指を切りまくってしまうという描写がひたすら続く。そんな訳ないだろうという量の血を延々と出し続けるのが面白いということなのだが、私は途中から本当にジェームズ・フランコの血が全部抜けていってるのではという気分になり、気持ち悪くなってしまったのであった。出演者も吐きそうになっていたりするので、妙なリアリティがあるのは確かだが、しかし大好きな『死霊のはらわた』(1981)と何が決定的に違うのか、今度しっかり検証しようと思う。

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