『美味し糧』
「焼き肉が食べたい」
ある日の夕方、そんなことを考えていました。
けれど、家で焼き肉をする気にはなれません。
煙も出ますし、後片付けも大変です。
どうしたものかとつらつら考えていくうちに、焼き肉そのものよりも、「今日の私は肉をしっかり食べたいのだ」と気がつきました。
『孤独のグルメ』の五郎さん言うところの「肉腹」です。
そこで翌日は、焼くだけの生ハンバーグとソーセージを用意し、半熟の目玉焼きを添えることにしました。
付け合わせには、くし切りの新玉ねぎと、電子レンジで火を通した新じゃがを、ハンバーグと一緒のフライパンで焼きました。
皿に盛り、食べながら塩加減を見ようと思っていましたが、結局、塩は一度も振りませんでした。
ハンバーグから出る肉汁と脂には、もともとの塩気とうま味があります。
それがまるでソースのように新じゃがや新玉ねぎに絡み、それだけで充分に美味しかったのです。
「肉の旨味を吸ったじゃがいもは、どうしてこんなに美味しいのだろう」
そう思った瞬間、ひとつの記憶が蘇りました。
まだ十歳にも満たない頃、親類に連れられて行った椿山荘で頂いたローストビーフです。
赤身なのに驚くほど柔らかく、子供の私にも「これは特別な肉だ」と分かる美味しさでした。
けれど、今でも鮮明に覚えているのはローストビーフだけではありません。
付け合わせのポテトです。
マッシュポテトを丸めて焼いたのか揚げたのか、今となっては細かい料理法は分かりません。
ただ、ブイヨンか何かで味付けされたと思しきそのポテトは、あまりに美味しくて、ローストビーフごと三度も四度もおかわりに行ったことだけは、はっきり覚えています。
(きっとその時のコックさんは、「またあの子が来た」と笑っていたことでしょう)
美味しいものの記憶を辿っていくと、私には忘れられない人がいます。
私の母方の伯父という人は、美味しいものが好きな人で、しょっちゅう評判のお店へと連れて行ってくれました。
けれど、決して普段の家庭料理を軽んじる人ではありませんでした。
「毎日がご馳走である必要はない。でも、たまのご馳走はあっていい。」
そんなふうに考える人でした。
食事は一人よりも大勢で。美味しいものは誰かと囲んでこそ美味しい。
そんなことを、伯父は説教ではなく、食卓で教えてくれました。
伯父はもう亡くなりましたが、ご馳走してもらったハングリータイガーのビーフステーキも、勝烈庵のヒレかつ定食も、それに伯母お手製の肉じゃがやおはぎも、その幸せな食卓の時間ごと、私の記憶に残っています。
今回、「焼き肉が食べたい」という欲求から始まった一皿は、思いがけず、そんな昔の食卓の記憶へと私を連れて行ってくれました。
ハンバーグとソーセージ、半熟目玉焼き、新じゃが、新玉ねぎ。
決して豪勢な晩餐ではありません。
それでも、食べ終えた私は、「予は満足じゃ」と至福のため息をつき、あれほど恋しかった焼き肉のことはきれいに忘れていました。
時には、こういう食事があっていいのだと思います。
身体を養うだけではなく、昔の記憶を呼び覚まし、また明日から歩いていく力をくれる一皿。
きっと人生には、そんな「美味し糧」が必要なのでしょう。
