「嫌われてもいいんだ」という言葉が、すこんと落ちたんだ。
その女性は、屈託なく笑う女性だった。ショートカットで、金髪メッシュ。目がまん丸くて、小柄な女性。20代のころ、私はその女性に憧れていた。彼女はとても面白くて、誰にも好かれた。いつも彼女のまわりは笑いに包まれていたし、みんな彼女が大好きだった。
「Iさん、Iさん」と言っては、そばでお酒を飲んだ。Iさんは私をかわいがってくれ、数人で旅行に行ったこともある。そのときも、Iさんは大きな口を開けて笑っていた。今でもその笑顔を思い出すと、こちらまで元気になる。
私は彼女が書く小説が大好きだった。しとしととしていて、陰湿な感じがするのだ。太陽のような彼女とは真逆なエネルギーに満ちていた。だからもっと彼女のことが知りたいと思ったのかもしれない。いや、今でも思っている。
そんなある日、彼女はとても怖い顔をしていた。同じ歳くらいの女性と「話し込んでいる」ためだった。大勢いる中でふたりが話しているだけなのに、周囲には壁がぴったりと見えたくらい、近づいてはいけない雰囲気だった。
彼女は、ちいとも笑っていなかった。ああ、そうだよね。そういう顔もするよね。人間って、だから面白いのよね、とホッとしつつも「何があったんだろう?」と心配になった。でもズカズカとふたりの仲に入って聞けるほど、私は図々しくなれなかった。
……なんて出来事を、ふと思い出し、我にかえる。
なぜ、彼女の笑顔が今になって脳裏に蘇ったのだろう。
きっとあれだ。
SNSでライター仲間の方が編集者さんの
まあ、別に嫌われてもいいや。そう思えるようになってから、人と会うことにあまり緊張しなくなりました。
という投稿に対して、「私も最近そう思えるようになり、好き勝手発信するようになってきました」
私も最近そう思えるようになり、好き勝手発信するようになってきました☺️ https://t.co/XnhLwe2rUl
— 岩崎尚美|仙台のライター (@nao_2205) June 11, 2026
と返信していたのを見かけたためだ。
「嫌われたくない」は、人を窮屈にする檻
人に嫌われるのは、やっぱり怖い。居場所がなくなるし、必要とされていないのかなと哀しくなる。だからつい、当たり障りのない「いい人」になろうとする。
だからかな。最近私は「静かな人」と言われることが多い。そう思われるように、にこやかで穏やかな自分であろうとしてきたから、まあ正解なのかもしれない。
でもよく言うよね、誰にとっても「いい人」は、「どうでもいい人」になりやすいって。そりゃ、かなしいぜ。
それに、嫌われることを怖れて何か言えずに生きるのも、もう終わりにしてもいいよね……と、このSNSを見ていたら、すとんとそんな気がした。なんていうのかな、言葉が私の中に入ってきた。
「別に嫌われても、いいんだ」って。
そういえばIさんは言っていたっけ。
「人生は、一度きりしかないんだから、楽しまなくちゃ」と。
そうだよね。全方位に愛されようとしたって、どうせ無理な話。嫌われないように、変な人だと思われないように、静かにしていようと思っていたけれど、それは重たい鎧だったみたい。
とっとと脱いで、のびのび生きようぜ!
そう思わない?
