わたしは自分の家族と向き合う準備をはじめた
母と腹を割って話をする覚悟を、ようやく決めた。
2026年1月9日、母に会いに行く。
わたしは「地元に帰る」とか「帰省する」という言い方を、あまり使わない。
たぶん、わたしにとって、母が住んでいて、わたしが18歳まで育ったあの家は、いわゆる「帰る場所」ではないからだと思う。
2024年、母に会うチャンスはあった。
そのときわたしは、地元から東京へ戻る飛行機のチケットだけ先に取った。
……行きのチケットは、取らなかった。
今思うと、驚くほど分かりやすい。
「帰るつもり」はあるのに、「行きたくない」のである。
散々悩んだあげく、わたしは「会いに行かない」という選択をした。
そして今回。
母に会いに行くと決めたのに、やっぱり、なかなか飛行機のチケットが取れなかった。
スマホで便を検索して、画面を閉じる。
また検索して、閉じる。
座席や時間を比べているように見えるけど、たぶん、わたしが比べていたのは別のものだ。
「会う」と決めた自分と、
「会いたくない」と言い張る自分。
その両方が、わたしの中に同時にいる。
(ここから先、わたしは…
なにと葛藤していたのか。なにを守ろうとしていたのか。
そして、1月に向けて、どんな準備を始めたのか。
書いていく。)
母が元気なうちに、会って話をした方がいい。
妹には何度もそう言われていた。
それでも、なかなか重い腰は上がらなかった。
そんなわたしが「母に会いに行く」と決めたきっかけのひとつが、お墓問題だった。
わたしの父は、わたしが3歳、妹が2歳の時に亡くなっている。
残念ながら、わたしには父が元気に生きていた記憶がない。
わたしの中の父は、アルバムの中の写真と、家族や親戚から聞いた話でできている。あとは、仏壇の写真。
父は優しい人だった。
父の話をしてくれた大人は、みんな同じ言葉を使った。
だからきっと、それはそれは優しい人だったに違いない。
たしか、父の33回忌の供養のとき。
ちょうど父方の祖父の供養と時期が重なっていて、父が入っているお墓から骨壷を出すタイミングがあった。
お墓からは、たくさんの骨壷が出てきた。
その中で、比較的「新人扱い」の父の骨壷は手前にあった。
それを見つけた瞬間、母が飛びついた。
あのときのことは、いまも忘れられない。
わたしの記憶にはないけれど、母は父を愛していたんだなぁと、その姿を見て思った。
母は大事そうに、父の骨壷を撫でていた。
その帰り道、ふと気になって、母に聞いてみた。
「母は死んだら、どこのお墓に入りたいの?」
母の答えは迷いがなかった。
「お父さんと一緒のお墓に決まっているでしょう。」
「ふぅん。そうなんだ。」
それ以上は聞かなかった。
ただそのとき、わたしはどこかで思ったのだ。
母が父と一緒に供養されるようにするのが、わたしの役目なんだな、と。
それだけが、わたしの役割だと思っていた。
……のに、浮上してきたお墓問題。
親戚から連絡があった。
母は、父と一緒のお墓に入れないことが「親族会議」で決まった、という知らせだった。
そういう「親族会議」みたいな場に、わたしたちが呼ばれることはない。
祖父母が亡くなったときも、そうだった。
まぁ、その時は、
「父、もう死んでるもんね」
と自分に言い聞かせて、やり過ごせた。
でも今回は、聞き流してはいけない気がしたのだ。
「決まりました」という言葉が、妙に引っかかった。
だれの人生の話を、だれが、どこで決めたというのだ。
電話口の叔母は、滑らかに話を進めていく。
わたしは「へー、そうなんだ」と相づちを打ちながらも、最後にこう伝えた。
「母の気持ちを、確認するね」
その瞬間、電話の空気が変わった。
「もうあなたのお母さんは少しボケ始めているし、本人の意向なんか関係なくてね」
「あなたたち娘が、自分たちの近くで供養してあげたらいいじゃない」
……何を言っているのだろう。
意味が、わからない。
そこには、母の気持ちも、わたしの気持ちも、1ミリも入っていなかった。
あるのは「段取り」と「都合」だけ。
まるで、本人不在のまま進む事務作業みたいだった。
何の話をしているんだろう、と改めて考えてみた。
でも、何度考えても同じ結論に戻ってくる。
わたしたちは、蚊帳の外だ。
だから、決めた。
まずは、母の気持ちを確かめよう。
そしてもうひとつ。
ずっと話したくて、でも向き合うことを避けてきたことがある。父の話だ。
わたしは39歳になるまで、父の本当の死因を知らなかった。
人間観察が趣味で、言葉の機微に敏感で、人の気持ちへの共感も、たぶん人より少しだけ得意だ。
だから、うすうす気づいていた。
……気づいていた、気がする。
でも、誰からも明確に言われたことはなかった。
わたしも妹も、そういう意味では家族や親戚一同に、とても愛されていたのだと思う。
誰ひとり、心無い人はいなかった。
そしてわたしは39歳になるまで、その理由を「確定」させないまま生きてきた。
その事実を、妹から聞いた。
妹は母とのいつもの親子喧嘩の流れで、ぽろっと聞いたらしい。
妹はその日、電話で泣きながら連絡してきた。
理由を聞いたわたしは、思わず言ってしまった。
「やっぱり、そうだったんだ」
そしたら、妹に怒られた。
「知ってたなら言えよ」って。
いや、知ってたというより、推理だった。
確証がなかった。
へっぽこ探偵みたいな言い訳をしながら、わたしはその場をやり過ごした。
妹は、母から直接聞いている。
でも、わたしは聞いていない。
そのことに対して、どうやらわたしは怒っているらしい。
そう気づいたのは、ここ数年のことだった。
人の感情への共感は高いのに、どうにも自分の気持ちがよくわからない。
そんな状態に、無自覚のまま生きてきた。
でも、ようやく直面できるようになった。
わたしの中にずっと居座っていた感情。
それは、
「母は、父がいなくなった悲しみを独り占めしてずるい」
というものだった。
怒りの正体は、悲しみだった。寂しさだった。
本当は、共有してほしかったのだと思う。
わたしにも、突然いなくなった父に対する寂しさや悲しみがあった。
でも、それを出す場所がなかった。
「なにごともなかったかのように」過ごす日々の中で、
わたしは自分の心の気持ちをひとつずつ、鍵のかかる引き出しにしまっていくことになった。
そしてその引き出しは、
開け方がわからないまま、いまもわたしの中にある。
「本当のことは話してくれないでしょう?」
それは、折に触れて言われ続けてきた言葉だった。
大人になってから、親戚にこんなことを言われたこともある。
「いつもニコニコしてるんだけど、何を感じているのかわからない。だから、胡散臭い子だと思ってた」
……そうなんだ、と、妙に納得してしまった。
家族でさえ本当のことを言ってくれないのに、
なんでわたしが、わたしだけが本当のことを言わないといけないのか。
その頃のわたしは、そんなふうに言葉として認識していたわけじゃない。
でも、たぶんそういう信念を、ずっと持っていたのだと思う。
そう。
わたしは母と一緒に、父の不在を悲しみたかったのだ。
何事もなかったかのようにやり過ごすのではなく。
わたしが離婚することになって、そのことを伝えた後でさえ、母は言った。
「孫が欲しい」
「孫はまだか」
母の望みは、孫を抱くこと。
それが叶わないなら、娘なんていらない・・・そんなふうに聞こえることまで言った。
そのときのわたしは、怒る気持ちもわかず、ただ、
「へー。無理だけどな」
って、心の中で思っただけだった。
母の方はそして少し悲しそうな顔をしながら、こう続けた。
「私(母)の人生に、幸せじゃないことなんて一度もなかった」
もしそれが本当なら、それはそれで、やばい。
もし父を失った悲しみを忘れないと生きていけないくらいだったのなら、
それはそれで、わたしは聞きたい。
それが、今のわたしの気持ちだ。
なんで、そんなに悲しみや寂しさを知りたいのか。
自分でも謎だし、受け止める覚悟があるとも思えない。
それでも、わたしは怒っている。
あの時あの悲しみを、独り占めした母に。
そう。これは、因縁の対決みたいなものだ。
小さかったわたしが、鍵のかかる引き出しに閉じ込めた気持ちを
母と対峙することで、救いにいく。
その触媒として、きっと必要なのが母なのだと思う。
だから、わたしは母に会いに行くと決めた。
そんなこんなで、家族と向き合うと決めたわたしは、
「家族」という言葉に、いつも以上に敏感になっていたのかもしれない。
2019年からずっと読んでいる岸田奈美さんのnoteで、映画『兄を持ち運べるサイズに』の紹介文に出会った。
「家族という名のややこしい未来に向けた、明るい予防接種」
わたしはいま、まさにその“ややこしい未来”の入口に立っている気がするのだ。
映画館に行かなくちゃ、そんな気持ちになった。
別に、映画が答えをくれるわけじゃない。
母との予行演習ができるわけでもない。
だけど、わたしの中にある言葉にならない感情に
少しだけ触れる手助けをしてくれる予感がした。
ひとりで抱えたまま、母に会いに行かないために。
「観る」という小さな行動で、わたしは自分の背中を押そうとしていた。

( https://www.culture-pub.jp/ani-movie/ )
その日の夜、わたしはTOHOシネマズ新宿にいた。
席に座って、ようやく気がついた。
わたし、この映画のこと、何も知らない。
前情報は、岸田奈美さんの紹介文だけ。
我ながら、フットワークの軽さが取り柄である(笑)
映画が始まって、
よくわからないまま、ずっと泣いていた。
登場人物の気持ちが、丁寧に、そして時にコミカルに描かれていく。
なのに、泣いている理由が自分でもよくわからない。
「何に」泣いているのかがわからないまま、ただ涙が止まらなかった。
わたしには、ちょっとした執着がある。
目の前の人が見ている世界を、みてみたい。
だから、きらめきスイッチのイベントでは、必ず「体験のシェア」の時間をセットにしている。
同じ出来事でも、人によって見えている景色がまったく違う。
その違いに触れるたびに、世界は広がる。
映画を観ながらも、わたしはそれを感じていた。
スクリーンの向こうの登場人物が見ている世界を、味わわせてもらおうとしていた。
そこで気がついたことがある。
わたしたちにとって、誰かは「その人」だけれど、同時に「その人 だけの その人」でもある、ということ。
その人の輪郭は、わたしたちの記憶でできている。
ということは、
その人をどんな切り口で見るかは、わたしの自由だ。
この気づきは、これから母と対峙する時間に、忘れずに持っていこうと思う。
それは、母を理解するためというより、
「母を見るわたし」を知るための、ひとつの手段になりそうだなと感じている。
いいなと思ったら応援しよう!
あなたのなにかに響いたなら、100円と感想を。
あなたの一言が、わたしの活動の燃料になります。