「やりたいことがわからない」のは、心が壊れたんじゃない。あなたの“身体のコンパス”が、泥をかぶっているだけ
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プロローグ——廊下のヒソヒソ話と、バファエールを口ずさむ夜
正反対の二つの場面から、今日は書き始めたい。
ひとつ目。職場の特養で、フロアの廊下の向こうから、誰かがヒソヒソと話している声が聞こえてくる。内容はわからない。自分のことかどうかも、わからない。なのに、その瞬間、私の肩から背中にかけてが、ビクッと張り詰める。鉄板を一枚、背負わされたように固まる。そして、呼吸が浅くなる。気づけば、息を止めている。胸の上のほうだけで、浅く呼吸している。じわじわと、しんどくなってくる。
頭では「自分の話とは限らない」とわかっている。「気にしすぎだ」ともわかっている。でも、身体のほうが先に反応している。理屈が追いつく前に、もう肩が固まっている。
ふたつ目。今、この下書きを、私は野球を観ながら書いている。私はオリックスファンで、ほぼ毎試合観ている。野球を観ながら何かをするのが、たまらなく好きだ。チャンスになれば、チャンステーマの「バファエール」を小さく口ずさみながら、キーボードを叩いている。ただし、今日は負けているので、ちょっとストレスもある。でも、それでも楽しい。勝てば、その小さなストレスは一瞬で吹き飛ぶ。
このとき、私は「よし、楽しもう」と頭で決めてやっているわけじゃない。気づいたら、前のめりになっている。気づいたら、口元が緩んでいる。身体が、勝手に「これが好きだ」と言っている。
この二つの場面に、今日いちばん伝えたいことが、ぜんぶ詰まっている。
私は作業療法士16年目、特養勤務だ。これまで100人近くの方の最期に立ち会ってきた。
今日のテーマは、「自分が何をしたいのか、本当にわからない」という、あの感覚についてだ。
自己分析をしても、答えが出ない。やりたいこと探しをしても、見つからない。診断ツールを回しても、ピンとこない。「好きなことを仕事に」と言われても、その“好きなこと”がそもそもわからない。
そういう人に、まず先に結論を書いておきたい。
あなたの「やりたいことがわからない」は、心が壊れたわけでも、感性が乏しいわけでもない。あなたの中にある“身体のコンパス”が、泥をかぶって、盤面が見えなくなっているだけだ。
第1章——「やりたいこと」は、頭で考えても出てこない
まず、多くの人がハマっている落とし穴から書きたい。
「やりたいことがわからない」と悩む人の大半が、解決しようとして、頭で考える。
ノートに書き出す。自己分析の本を読む。性格診断を受ける。「自分の強みは何か」「何にワクワクするか」と、机に向かって、ひたすら考える。
でも、いくら考えても、答えが出ない。
それもそのはずだ。
「やりたい」「やりたくない」という感覚は、そもそも、頭の中で論理的に作られるものではないからだ。
ここで、少しだけ専門的な話をする。できるだけ噛み砕いて書く。
私たちの身体には、「内受容感覚(ないじゅようかんかく)」と呼ばれる感覚がある。聞き慣れない言葉だと思う。簡単に言えば、「自分の身体の内側の状態を、感じ取る力」のことだ。
たとえば、心臓がドキドキしている。お腹がキュッと縮む。喉が詰まる。肩に力が入る。胃のあたりが温かい。呼吸が浅くなる。
こういう、身体の内側で起きている小さな変化を感じ取る感覚を、内受容感覚という。
目で見る(視覚)、音を聞く(聴覚)が「外側を感じる感覚」だとすれば、内受容感覚は「内側を感じる感覚」だ。
そして、ここからが本題だ。
私たちの「感情」や「欲求」は、実は、この内受容感覚から生まれている。
「これが好きだ」「これは嫌だ」という気持ちは、頭の中で言葉として、いきなり湧いてくるわけではない。
順番が、逆なのだ。
まず先に、身体が反応する。心臓が速くなる、お腹が温かくなる、肩の力が抜ける、呼吸が深くなる。その身体の微細な信号を、脳が受け取って、初めて「あ、私は今、これが心地いいんだ」「これは嫌なんだ」という感情として認識される。
つまり、「やりたい」という気持ちの本当の震源地は、頭ではなく、身体なのだ。
野球を観ながら下書きしている私の前のめりの姿勢。口ずさむバファエール。緩んだ口元。あれは、私の身体が先に「これが好きだ」と表現していて、頭はそれを後から「あ、楽しいな」と認識しているにすぎない。
廊下のヒソヒソ話で固まる肩。浅くなる呼吸。あれも、私の身体が先に「これは嫌だ、危険だ」と反応していて、頭はそれを後から「気にしすぎかな」と理屈で上書きしようとしているだけだ。
だから、机に向かって頭で「やりたいこと」を探しても、見つからない。
探す場所を、間違えている。
答えは、頭の中ではなく、身体の中にある。
第2章——なぜ、身体のコンパスが見えなくなるのか
ここで、ひとつの疑問が湧く。
「身体に答えがあるなら、なぜ私には、それが感じ取れないのか?」
これも、ちゃんと理由がある。
身体の内側を感じ取る力、内受容感覚は、使わないと、どんどん鈍っていく性質を持っている。
そして、それが鈍っていく一番の原因が、「頭の理屈を、身体の声より優先し続けること」だ。
たとえば、こういう場面を想像してほしい。
気が進まない飲み会に誘われた。本当は行きたくない。誘われた瞬間、みぞおちが重くなる。喉のあたりがキュッとする。これは、あなたの身体が「NO」を指し示しているサインだ。コンパスの針が、ちゃんと「行きたくない」のほうを向いている。
でも、あなたは考える。「断ったら、悪いかな」「付き合いが悪いと思われるかな」「社会人だし、行くべきだよな」と。
そして、頭の理屈を優先して、「行きます」と答える。
これ自体は、悪いことじゃない。社会で生きていれば、誰しもやっていることだ。
問題は、これを何年も、何十年も、繰り返したときに起きる。
身体が「NO」と言っているのに、頭が「YES」と上書きする。身体が「疲れた」と言っているのに、頭が「まだやれる」と無視する。身体が「これが好き」と言っているのに、頭が「そんなの役に立たない」と切り捨てる。
これを延々と続けると、脳は学習する。
「ああ、身体からの信号は、どうせ無視されるんだな」「受信しても、意味がないんだな」と。
そして、だんだん身体からの信号を、受信しなくなっていく。
これが、内受容感覚が「ミュート(消音)」された状態だ。
コンパスの針自体は、まだ動いている。でも、盤面のガラスが泥で覆われて、針が見えなくなっている。
「自分が何をしたいのか、わからない」というのは、まさにこの状態だ。
特に、まじめな人、優しい人、周りに気を配れる人ほど、この状態に陥りやすい。
なぜなら、そういう人ほど、「自分の身体の声」より「周りの期待」や「やるべきこと」を優先するのが、上手だからだ。
空気を読む。相手の機嫌を察する。場を壊さないように動く。これらは、外側に対する素晴らしい能力だ。
でも、その能力を使い続けるあいだ、内側へのアンテナは、ずっとオフになっている。
外を感じることに脳のエネルギーを使いすぎて、内側を感じる余裕が、なくなっているのだ。
だから「やりたいことがわからない」人は、感性が乏しいのではない。むしろ逆だ。外側を感じ取る感性が、鋭すぎるくらい働いている人が多い。
ただ、その鋭いアンテナが、全部、外を向いている。それだけの話だ。
第3章——卵かけご飯で、むせなかった人
ここで、特養の現場の話を書きたい。
身体のほうが、頭より正直に「やりたい」を語る——この事実を、私は現場で何度も目撃してきた。
90歳台後半の、ある男性の利用者さんがいる。
その方は、卵が大好きだ。生でも、焼いても好き。中でも特に好きなのが、卵かけご飯と、オムライス。
ただ、その方は普段、食事のときによくむせる。飲み込む力が落ちてきているので、形のあるものは、安全のために提供を控えていることが多い。きざんだり、とろみをつけたりして、慎重に食事を出している。
ところが、ある日。施設に移動スーパーが来て、その方がオムライスを買った。
私たちは、いつもなら形のあるものは控える。でも、その日は、ご本人が買ったオムライスを、そのまま提供した。
すると——むせない。
普段はむせる方が、大好きなオムライスのときだけは、むせずに、するすると食べる。
生卵は衛生上どうしても提供できないので、その方のために、今は温泉卵を大量に買っている。温泉卵なら、つるんと飲み込める。それを食べているときの、あの満足そうな表情。
これは、何が起きているのか。
その方の身体が、「これは食べたい」「これは安全だ」と、頭(あるいは飲み込みの反射)に、はっきり信号を送っているのだと、私は思っている。
「好き」という内側の感覚が、飲み込むという身体の動きを、自然に、なめらかにしている。
逆の例もある。
認知症の利用者さんで、なんでも拒否する方がいる。機能訓練も、お風呂も、「いや」「やらない」と、ことごとく拒否する。
頭(言葉)では、全部「NO」だ。
でも、その方の前に、そっと塗り絵を置く。あるいは、昔好きだったことを、さりげなく提供する。
すると、さっきまであれだけ拒否していた方が、熱心に、ずっとやり続けてくれる。
言葉では「やりたくない」と言っていた人が、身体は「これはやりたい」と動いている。
私はこういう場面に立ち会うたびに、思う。
人の「本当にやりたいこと」は、言葉や理屈より、身体のほうがずっと正直に知っている、と。
認知症が進んで、言葉でうまく説明できなくなった方ほど、この「身体の正直さ」が、剥き出しになって見える。
そして、これは、認知症の方だけの話ではない。
私たち全員が、本当は同じ仕組みで動いている。ただ、元気なうちは、頭の理屈が達者すぎて、身体の声をかき消してしまっているだけなのだ。
第4章——コンパスの泥を、落とす方法
では、どうすればいいのか。
「自分が何をしたいかわからない」状態から抜け出すには、頭で考えるのをやめて、身体のコンパスについた泥を、少しずつ落としていけばいい。
ここからは、今日からできる、具体的な方法を書く。どれも、特別な道具も、お金もいらない。
その1——「快」のサインを、後から拾う
いきなり「今、何がしたい?」と自分に問いかけても、ミュートされた状態では、答えは返ってこない。
だから、まずは「リアルタイム」ではなく、「後から振り返る」ことから始める。
一日の終わりに、こう振り返ってみてほしい。
「今日、ほんの少しでも、肩の力が抜けた瞬間はあったか?」 「ふっと、息が深くなった瞬間はあったか?」 「気づいたら、前のめりになっていたことはあったか?」
たとえば私なら、今日のこの下書きの時間が、それだ。野球を観ながらキーボードを叩いていて、気づいたら前のめりになっていた。チャンステーマを口ずさんでいた。
これは「楽しいと思ったから前のめりになった」のではない。「前のめりになっていた」という身体の事実が先にあって、そこから「あ、自分はこれが好きなんだ」と逆算するのだ。
大きな「ワクワク」を探さなくていい。「肩の力がフッと抜けた」「呼吸が深くなった」くらいの、ごく微細なサインで十分だ。それこそが、コンパスの針が、わずかに動いた瞬間だ。
その2——「不快」のサインに、名前をつける
「やりたいこと」を探すとき、人は「快」ばかりを探そうとする。でも、実は「不快」のサインのほうが、わかりやすく、見つけやすい。
私で言えば、廊下のヒソヒソ話で肩が固まる、あの感覚だ。
気が進まない予定の前に、みぞおちが重くなる。ある人と話したあと、どっと疲れる。あるメールを開く前に、ため息が出る。
こういう「不快」の身体サインを、無視せずに、名前をつけてあげる。
「あ、今、肩が固まった。これは嫌なんだな」 「みぞおちが重い。これは気が進まないんだな」
これだけでいい。
人は「やりたいこと」がわからなくても、「やりたくないこと」は、身体がはっきり教えてくれる。
そして、「やりたくないこと」を一つずつ除いていくと、残った領域の中に、「やりたいこと」がちゃんと潜んでいる。
コンパスは、北を指すだけが仕事じゃない。「こっちは違う」と教えてくれることも、立派な道案内だ。
その3——身体を、ただ「感じる」時間を作る
これは、以前書いた肩こりの記事とも地続きの話だ。
内受容感覚は、「使うほど、クリアになる」という性質を持っている。
だから、一日に数分でいいから、身体の内側に、ただ注意を向ける時間を作る。
椅子に座って、目を閉じる。そして、
「今、心臓はどれくらいの速さで動いているか」 「呼吸は、浅いか、深いか」 「お腹のあたりは、温かいか、冷たいか」 「肩に、力は入っているか」
ただ、感じる。評価しない。「これではダメだ」とも思わない。ただ、今の身体の状態を、味わうように観察する。
最初は、たぶん、ほとんど何も感じない。「よくわからない」が正直なところだと思う。それでいい。
でも、これを続けていくと、だんだん「あ、今、肩に力が入っているな」「呼吸が浅いな」と、微細な信号が拾えるようになってくる。
泥をかぶったコンパスのガラスを、指で少しずつ拭いていくような作業だ。
毎日数分。これだけで、半年後、一年後の「自分の声の聞こえ方」は、確実に変わってくる。
その4——小さく試して、身体の反応を見る
頭で「これが向いているか」を100時間考えるより、実際に1回やってみて、そのときの身体の反応を見るほうが、ずっと早い。
気になったことを、小さく試す。そして、やっている最中と、やったあとの身体を観察する。
時間が溶けたか。前のめりになったか。終わったあと、心地よい疲れか、それともぐったりした消耗か。
「気づいたら時間が経っていた」なら、それはコンパスが指した方向だ。「早く終わらないかな」と時計を何度も見ていたなら、それは違う方向だ。
頭は、こういうとき、平気で嘘をつく。「やりがいがあるはず」「これは将来役に立つから」と、もっともらしい理屈で、本当の感覚を上書きしてくる。
でも、身体は嘘をつかない。終わったあとの疲れの「質」が、答えを知っている。
第5章——「やりたいこと」は、立派じゃなくていい
最後に、ひとつだけ、誤解を解いておきたい。
「やりたいこと」と聞くと、多くの人が、何か立派なもの、人生を懸けられるような大きな夢を、想像してしまう。
「天職」とか「ライフワーク」とか、そういう、大文字の何か。
だから、見つからない。ハードルを、自分で上げすぎている。
私の「やりたいこと」は、野球を観ながら、チャンステーマを口ずさんで、文章を書くことだ。
立派だろうか。たぶん、誰かに自慢できるような、大層なことではない。
でも、私の身体は、その時間に、確かに前のめりになる。呼吸が深くなる。口元が緩む。
それで、いいのだ。
あの卵かけご飯の利用者さんも、そうだ。90年以上生きてきた人が、最後に身体が正直に「これだ」と反応するのは、世界を変えるような何かではなくて、温かい卵かけご飯だった。
それは、軽いことだろうか。私は、まったくそう思わない。
その人の身体が、人生の最後まで、はっきりと「これが好きだ」と指し示し続けた、尊いコンパスの針だ。
「やりたいこと」は、人に見せるためのものじゃない。
自分の身体が、心地よくなる方向。それだけでいい。
朝のコーヒーの一口目。好きな音楽を聴く5分。散歩の途中で見上げた空。猫を撫でているときの、手のひらの感触。
そういう、小さな「肩の力が抜ける瞬間」を、一つひとつ拾い集めていく。
その集積が、いつのまにか「自分はこっちの方向が好きなんだ」という、人生の大きな方向感覚になっていく。
エピローグ——コンパスは、壊れていない
もう一度、最初に書いたことを、繰り返したい。
「自分が何をしたいのか、わからない」というあなたへ。
あなたのコンパスは、壊れていない。
ただ、長いあいだ、頭の理屈や、周りの期待を優先しすぎて、盤面に泥がかぶってしまっただけだ。
針は、今も、ちゃんと動いている。
廊下のヒソヒソ話で固まる肩のように、気が進まないことの前で重くなるみぞおちのように、好きなことの前で緩む口元のように、あなたの身体は、今この瞬間も、正直に方向を指し示している。
必要なのは、頭で必死に「やりたいこと探し」をすることではない。
思考の声を、少しだけ静かにして、身体が出している、微かなサインを「拾う」こと。
「やりたいこと」は、探すものじゃない。
もうすでに、あなたの身体の中にある。それを、拾い上げてあげるだけだ。
明日も私は特養に立つ。卵かけご飯でむせない、あの方の満足そうな表情を見ながら、人の身体が語る「やりたい」の正直さに、また教わるのだと思う。
そして家に帰って、たぶん私は、また野球を観る。
チャンステーマを、小さく口ずさみながら。
あなたの身体は、今、どんな方向を指していますか。
その針が、ほんの少しでも見えやすくなりますように。
プロフィール
作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ|認知神経リハビリテーションベーシックコース受講|中学からテニス継続|オリックスファン|7歳娘の父|アドラー心理学13年実践|106kgから77kgへ減量|うつ・対人恐怖を経て、薬なしで生きられるようになった現場ベースの発信を続けています。
ハッシュタグ
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