「いかがでしょうか」は、三色同時に光る信号機だった
部下から、千二百字のSlackが届いた。
千二百字。原稿用紙三枚。
Slackというのは「サクッと連絡する」ためのツールだったはずだが、部下の山田さんは、そこに大河ドラマを書いてきた。
内容を要約すると、こうである。
A社の件の進捗報告と、ちょっと気になっている懸念の相談と、ついては追加費用の承認をいただきたく、いかがでしょうか。
そして文末に、お辞儀をする人のスタンプ。
わたしは、この千二百字を、三回読んだ。
一回目は、報告として読んだ。
なるほど、進んでいるな。了解、と返しかけて、手が止まる。
待て。
これは了解で済む文章ではない気がする。
二回目は、相談として読んだ。
懸念とやらに、わたしの意見を述べるべきなのか。
でも待て。
意見を言ったところで、最後の「承認いただきたく」は残っている。
三回目は、承認依頼として読んだ。
つまり、ハンコの覚悟で読んだ。
追加費用、いくら? ……読み返したが、金額が、相談パートと報告パートの間に埋まっていて、発掘に時間がかかった。
読み終わって、どっと疲れた。
そこで、はたと気づいたのである。
報告なら、わたしの仕事は「受け取る」だけだ。0.5秒で済む。
相談なら、「一緒に考える」。脳の別の筋肉を使う。
承認依頼なら、「リスクを引き受ける」。
これはもう、筋肉ではなく覚悟の話である。
三つは、上司側の頭の使い方が、ぜんぶ違うのだ。
信号機にたとえると、報告は青である。通過してよし。
相談は黄色。徐行して、一緒に前方を見る。
承認依頼は赤。止まって、責任ごと引き受けるかを決める。
山田さんのSlackは、三色が同時に光っていた。
三色同時に光る信号機の前で、車はどうするか。停まるのである。
全部読み直すのである。
判断のコストが、きっちり三倍になっていた。
……と、ここまで偉そうに分析したところで、嫌な記憶が、扉をノックしてきた。
三年前のわたしが、部長に送ったメールである。
長い近況と、もやっとした不安と、「ご判断いただけますと幸いです」。
そして部長から返ってきた、伝説の一行。
「で、わたしは何をすればいいの?」
冷たい、と当時は思った。こんなに丁寧に書いたのに、と。
違った。
部長は、三色同時に光る信号機の前で、立ち往生していただけだった。
すみませんでした。時効だと思って白状します。
人のふり見て、ということで、わたしはチームにひとつだけルールを作った。
「Slackの一行目に、【報告】【相談】【承認依頼】のどれかを書く。混ぜるときは、分けて送る」
それだけである。研修も、横文字も、なし。
効果は、想像以上だった。
【報告】には三秒でスタンプが押せる。
【相談】には腰を据えて返せる。
【承認依頼】は金額と期限だけ確認して、その日のうちに判断できる。
わたしの返信速度が上がると、チームの待ち時間が減った。
信号が一色ずつ光ると、車は流れるのである。
ただ、ひとつだけ、予想外のことがあった。
ルールを作って最初の一週間、山田さんのSlackから、【承認依頼】が消えたのである。
全部【相談】になった。
明らかに承認の話なのに、【相談】のラベルで来る。
なんでだろう、と考えて、わかってしまった。
ラベルを貼るのが、怖いのだ。
【承認依頼】と書くことは、「わたしはここまで検討しました。ここから先の判断を、お願いします」と、自分の責任範囲に線を引くことである。
線を引けば、線のこちら側の検討不足は、自分のものになる。
【相談】の顔をしていれば、線は曖昧なままでいられる。
「いかがでしょうか」は、便利な言葉だ。
判断を、まるごと相手の庭に投げ込める。
投げたボールがどう転んでも、投げた側の責任にはなりにくい。
つまり、報・相・承認が混ざるのは、文章力の問題ではなかったのだ。
あれは、責任の所在を、薄めるための配合だった。本人も無意識の。
だからわたしは、山田さんにこう伝えた。
「【承認依頼】って書いて間違ってても、怒らんよ。ラベルの間違いは、直せるから。ラベルがないのが、いちばん直せない」
二週間後、山田さんから、初めての【承認依頼】が届いた。
金額、期限、検討済みの選択肢が三つ、推し案に星マーク。本文、二百字。
千二百字の大河ドラマを書いた人と、同一人物である。
わたしは赤信号の前で停まり、三分で判断し、承認した。
覚悟のいる三分だったが、迷子の三十分よりずっといい。そして気づいた。ラベルというのは、文章の整理術ではなかった。
あれは、責任の分担表だったのだ。
【報告】は「もう、わたしが決めました」
【相談】は「一緒に考えてください」
【承認依頼】は「ここから先を、お願いします」
一行目の数文字で、部下は自分の持ち場を宣言している。
それが書けるようになることを、たぶん、成長と呼ぶ。
ちなみにこの話を家でしたら、家族に言われた。
「あなたの『夕飯、カレーでいい?』、あれ【承認依頼】の顔した【報告】だよね。もうルー買ってあるもんね」
ぐうの音も出なかった。
責任の所在を薄める配合、家庭では現役だった。
次はこれ。
