誰も悪くない話
2年ほど前に母の誕生日祝いにと、レストランで会食をした。
人気のレストランなので、スタッフの方々は忙しそうにホールを往復。
コース料理が運ばれてくる度に、私たちは写真も撮らずにパクパク食べてしまう。
そして食べた後に気づく。
「写真撮らなかったねー」
母も妹も私も写真のひとつも撮らずに、目の前の料理に無言で対峙。
そんなんだから、次の料理が来るまでにはすっかり皿の上はまっさらに…。
そして暇になる。
「ねえ、なんか面白い話ない?」
唐突に私が母に訊ねる。
「えっ!??…」
母は驚いた顔をした。そらそうだ、無茶振りもいいとこだ。
しかし母はほんの少しだけ間をあけてから、何かを思い出して笑い始めた。
「この間ね…ふふふ」
面白い話あるんかい。
父は数年前から要介護の状態で、ベット生活をしている。
こだわりが強く、わがままで妥協がない。
ベットの上からでも偉そうに指示をする。
当人は筋力がだいぶ落ち、自らの力で毛布の位置すらかえられない。
しかし、こだわりが強いので母に数センチ単位で毛布の位置を指示する。
母はそれにブチ切れ「もう知らんっ!!」と部屋の扉が勢いよく閉まる音がし、怒ってリビングに戻ってくるのを、帰省している間だけでも何回か見た。
母が部屋から戻ってくるとまたすぐに、父からの呼び出しのベルがリビングに響きわたる。
「何なのっ!」
とまた、母は怒りながら部屋に向かう。
「毛布の表と裏が逆だったって。知るかっ!」
戻ってきた母がブツブツ文句を言っている。
父は偏屈なのだ。
プライドが高く人を見下し、自分以外の家の連中はバカだと思っている。
私は幼少期に幾度となく「バカ」を連呼されてきた。
そんな父なので、今の状態を悲観的に思っているものは誰もない。
むしろ大変なのは、毎週来るデイケアと訪問看護とお風呂介助の方々のほう。
真夏のとある日に、介護士さんが気を利かせて「今日は暑いですねー」と話しかけてた。が無視。
夏なのだから当たり前だ、言われなくとも分かる とさ。
嫌な奴だ。
その日、仕事帰りの母に電話があった。
「もしもし?〇〇です。」
訪問看護でいつも来てくれている、看護師さんからだ。
「あの…今日ねお父さんの所に行ったんだけど…なんか、その…。」
随分と歯切れが悪かった。
どうしたのかと訊ねると
「お父さんのパジャマ、背中がビリビリだったの」
…えっ?!
どういう意味?と聞くも、とにかくパジャマの背中部分がビリビリだったと。それだけしか言わなかった。
その看護師さんも意味が分からなくて、事情を知っているかもしれない母に電話したのだろう。
当然、看護師さんも当の父に聞いてみた。しかし、何でもないと一蹴されてしまったらしい。
母は分かった確認してみる、と言って電話を切り急いで家路に着いた。
帰宅してすぐに父の部屋に入ると、父はいつもと変わらずベットの上で体だけ起こしてラジオを聴いていた。
あまりにも普通だったので安堵した。
母が父の後ろにまわってみる。
ビリビリだった。
背中の中心から縦にまっすぐ布が引き裂かれていた。
「これどうしたの?」
父に聞くも「知らん」の一言だけ。
父は昔から説明をはぶく癖がある。長々としゃべりたくないらしい。
知らんて、朝は破れてなかったじゃないの!
母もこんなこと初めてで、かなり動揺したらしい。
一旦、自分の荷物を置きにリビングに行く。
すると、リビングのテーブルの上に一枚のメモがあった。
本日、介助中にパジャマを破いてしまいました。申し訳ございません。
改めて事情説明にお伺いさせて頂きます。
という内容だった。
数時間後、訪問介護の入浴介助をしてくれている人たちが責任者と共に来た。
その日もいつも通り、お風呂の日で入浴の準備をしていた。
入浴は自宅の風呂で行うため、ベットから移動させて、さらに風呂場にある専用の椅子に移動する。
父の身長は平均より少し高めなので、成人男性でも結構な力がいる。
移動するさいに、相手の胸元辺りをグッと掴んで、せーので勢いを付けて反動を利用して移動させているらしい。
2人がかりでやるも、狭い部屋や廊下はさぞかし大変だろう。
風呂場の椅子に移動しようと、掴んで勢いを付けた瞬間
ビリビリビリ!!
背中あたりから布の裂ける音がしたそうだ。
あっ!と思ったがパジャマは背中の中心で裂けていた。
直そうにも無理だ。
それに、風呂に入る為すでに半裸の父をそのままにしておけず、パジャマは後回しにして一旦風呂に入れた。
風呂から上がった父に新しくパジャマを着せるのだか、肝心の新しいパジャマがなかった。
あるのは、ビリビリになったパジャマのみ。
母曰く、朝いち着替えて肌着から上下パジャマまで新しくなってるから、お風呂に入れた後もそのままでよかろう。
とのこと。
パジャマは2着を着回していて、朝着ていたパジャマは洗濯してしまう。
そして、その日もそうだった。介護士さんもそれは分かっていた。
そう、いつもなら。
しかし、今回はそうもいかない。なんせ、ビリビリなので。
裂けてしまったパジャマをまた着せる訳にはいかず、あたりを探した。
でもない。
だって唯一のパジャマは、のんきに外で干されているんだから。
見当たらないパジャマをいつまでも探している訳にはいかず(次の予約がある為)苦渋の選択をした結果、また裂けたパジャマを父に着せるに至ったそう。
「申し訳ありませんでしたっ!!パジャマは弁償させて頂きますので!」
と平謝りで母に頭を下げた。
この時点で母の腹はよじれかかってて、堪えるのが必死だったそう。
「パジャマはもう古いものだったし、
弁償なんて大丈夫ですから」
と断り帰ってもらった。
電話をくれた看護師さんにも、事情を説明して2人で爆笑。
「もうね、お父さんね、何でもないみたいな顔してスンって、してるからさぁ」
「でも背中ボロボロでね」
「寒かったんじゃない?」
「ないない、あの部屋は年がら年中適温なの」
「でも背中スースーするでしょ」
あははははっ!!
あははははっ!!
レストランは人こそ多いけど、騒がしくはない。
私たちの席に注目が集まってしまった。
「ちょっと笑かさないでよっ!」
父はプライドが高く、寡黙でくだらない話もほとんどしない。こだわりが強く、妥協しない。
子供にも厳しい。
嫌いではなかったが、苦手だ。
その父が半日も背中をスースーさせてたと思うと、笑わずにはいられない。
母を見るとまた思い出して、涙を浮かべて笑っていた。妹も爆笑だ。
そして、父の本来の姿からかけ離れた、今回の出来事が、私たちの父に対する感情の答えなんだと思った。
いつも偉そうな父が他者によってマヌケにさせられる。こんな愉快なことはない、と。
特に母には効いたのだろう。私も妹も一緒に住んではいないから、父のはけ口は全て母にいく。
母も諦めに近い感じで、父に付き合っている。
今回のパジャマビリビリ事件は、母のストレスを軽減できただろうか。
3人でひとしきり笑ってお店を出た。
「この近くに美味しいドーナツ屋があるから買って帰ろ!」
後日談
看護師「あらっ!オムツのテープ無いけど、どうしたのこれ?」
父 「ヘルパーが引きちぎっていった」
看護師「えっ?どうゆうこと?」
他にパジャマビリビリがもう一回あったとのこと。
どうやらヘルパーさんの中に、力を持て余した優しいマッチョがいるらしい。
【乃添の格言】
偏屈と話す時は、言葉は親身に心は距離を
乃添
