「なるようになる」は、捉え方次第で天と地の差が出る
こんにちは、トランジションコーチの徳永吉一です。
今日は、日常の会話の中でよく耳にする「なるようになる」というフレーズについて、少しだけ深掘りしてみようと思います。
問題や困難に直面して、あの手この手と策を講じる。
それでもなかなか好転せず、モンモンとしてしまう……。
そんな経験はありませんか?
そんなとき、人はついつい「考えても仕方がない」「なるようになるさ」と口にしたり、逆に誰かからそう言われたりすることがありますよね^^
一見すると、いい意味での開き直りだったり、肩の力が抜けたポジティヴな言葉にも聞こえます。
でも、この言葉は、使い方・捉え方次第で、実は「天と地」ほどの差が出てしまうフレーズだと僕は思っています。
では、その差はいったい何なのでしょうか?

~ 後悔が残るか、残らないか ~
「悩もうが悩むまいが、考えようが考えまいが、未来にどうなっているかなんて誰にもわからない。だから、今悩んでも考えても仕方がない」
結論だけを切り取れば、おっしゃる通り。確かにそうなんです^^
物理的にも科学的にも、1mmも間違っていないと思います(笑)。
ただ、僕が大切だと思うのは、その「なるようになる」に至るまでのプロセスです。
今、目の前にある現実に対して、自分に考えられる範囲で、回避策はないか? 防御策はないか? 突破策はないか?
できる範囲で対策を考え、やれるだけの手を尽くしてみる。
そのうえで、
「ここまでやった。あとは運を天に任せよう!」
そう言えるのであれば、仮に自分が望む結果にならなかったとしても、「後悔」だけは残りにくいと思うのです。
一方で、直面している現実と向き合おうとせずに目を背け、真剣に考えることもなく、尽くせる手を尽くさないまま「望まない結果」が出たとしたら……。
人前では何事もなかったように振る舞うことができたとしても、自分の心には嘘をつけません。
心の奥底には、「あのとき、もっとやれたんじゃないか」という後悔が残ってしまうことがあります。
そして、その後悔を埋めるように、
「たまたま運が悪かっただけ」
「○○のせいだ」
「○○が○○だったら、うまくいったのに」
そんな「言い訳」「他責の念」「たられば論」が出てくることもあります。
友人・知人・クライアントさんの中にも、たまにそういう方がおられます。
僕は、そんな姿を見ると、とても残念に思いますネ(泣)。
なぜなら、現実に向き合って、悩みながらも試行錯誤し、できることをやったのであれば、結果が望んだものでも、望まなかったものでも、そのプロセスには必ず「次に生かせる知恵や学び」が残るからです。
そして、やれるだけのことをやった人には、不思議と「言い訳」や「他責の念」が出にくいものです。
「結果はこうなった。でも、自分はやるだけやった」
そう、自分自身に言えるからです。

~ 「なるようになる」を「なるようになった」へ導く6つのポイント ~
① 直面する現実を、ありのまま受け入れる
② 自分の頭で考える
③ 相談できる人やAIの協力を仰ぐ(あくまで参考として)
④ 自分で決断し、腹を括る(覚悟する)
⑤ 行動に移す
⑥ どんな結果が出ても、最後は自分で責任を取る(自己責任)
この6つのポイント・プロセスを踏んでいれば、どんな結果が出ようとも、最後には、
「なるようになったヨ!!」
と、自分自身が納得できる「未来の現実」に出会えると、僕は信じています^^/
「なるようになる」という言葉は、何もしないための言葉にもなれば、やるだけやった人が最後に手放すための言葉にもなる。
同じ言葉でも、その前に何をしたかで、意味はまったく変わるのです。
さて、あなたが今「なるようになる」と思っていることは、どちらでしょうか?
「もう考えても仕方がない」と諦めるための言葉でしょうか。
それとも、「自分にできることはやった。あとは結果を受け入れよう」と言えるところまで、向き合った上での言葉でしょうか。
