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エッセイ|梅雨入り宣言に、今年も負けた

憂鬱な六月が今年もやって来た。

窓の外が白く霞んでいる。昨日まであった向こうの建物が、今朝は湿気の中に消えていた。空気が皮膚に貼りつく。息を吸うと、肺の中まで湿っている気がした。

洗濯物を干すと、二時間後に雨が降る。取り込んで、室内に移すと三十分後に晴れる。濡れたシャツが室内干しの竿に並んで、部屋の中がじっとりと重くなった。ベランダの向こうで、青空が広がって、空は何も悪気はない。毎年この喜劇を一人で演じている。

頭の奥が重い。こめかみの少し内側を、誰かが指の腹でゆっくりと押している。丁寧に痛みと痛みの手前の間をずっと行き来する。鎮痛剤を飲むと、それが去った頃に少し楽になる。そして翌日、また押し寄せる。

別の日は、玄関で立ち止まり、少し悩む。折り畳み傘を鞄に入れるか、入れないか。天気予報は「午後から雨の可能性」と言っている。可能性。その言葉の曖昧さを朝八時に引き受けながら、私はただ突っ立っている。入れれば鞄が重くなる。入れなければ濡れる。どちらを選んでも後悔する。結局いつも、鞄は重くなる。

この季節が来ると、決まってあの頃を思い出す。

小学校の帰り道の側溝。蓋のない古いコンクリートの溝で、底には常に水が流れていた。地元は湧き水の豊かな土地で、田んぼのあぜにも道の端にも、生き物の気配がそこかしこにあった。梅雨になると水かさが増して、ザリガニが縁に寄ってくる。誰かが先に見つけて立ち止まると全員が止まる。

ランドセルを背負ったまま二人、三人がしゃがんで、コンクリートの縁から中を覗いた。夕方の光が水面を斜めに照らして、底の砂が金色に光っていた。水が動くたびに光が揺れ、誰も帰ろうとしない。遠くで誰かのお母さんが呼ぶ声がしても、足が動かなかった。

あの頃、時間は今より長かった。

一本の側溝が、どこまでも続く川に見えたあの頃。ザリガニの一匹が、巨大な発見だった。帰らなければいけないことも、宿題があることも、夕飯の時間も、水の中の光の前では全部どこかへ行った。ただその時間だけが至福だった。

ある日、見つけた小さくて丸い、アマガエル。緑よりの黄みがかった体で、側溝の壁にへばりついて、こちらをじっと見ていた。友達の声が遠くなると、私は持っていたものを全部地面に置いて、両手でそっとすくい上げた。

冷たいぬるりとした体は手のひらの上で、小さな鼓動を脈打っていた。親指の付け根のあたりに、それが伝わってくる。速くて、細くて、小さな拍動。

君は手のひらの上で、じっとどこへも行こうとしなかった。その無防備さに、私は完全にやられた。こんなに小さいのに、こんなに冷たいのに、こんなふうに誰かの手のひらに乗ったまま、じっとしていられるのかと。

ランドセルの中に、図工の授業で使った透明なプラスチックのコップがあるのを思い出し、捨てるつもりで持ち帰って来たコップに蛙を入れて、側溝の水を少し足して、草を一本折って入れた。完璧な環境を持って帰宅すると母には顔をしかめられた。

それでも捨てろとは言われなかった。虫籠に移し、縁側の隅に置くと毎日のように君を眺めていた。古い水を庭に捨てて、新しい水を入れるとき、蓋にくっ付いた君の指が透けて見えた。吸盤のついた細い指が、透明な壁に貼りついていた。

ペットショップで買ってきた虫を指でつまんで落とすと、気がつくと無くなっていた。

夜、窓の戸を閉める前に必ず確認した。暗い縁に置かれた虫籠の中で、その黄みがかった体だけが、なぜか白く浮いて見えた。毎日、君を眺めてそこにいて、それだけで何かが満たされていた。

あの小さな体が今日もそこにいてくれるという事実だけが、小学生の私には十分だった。

何日経ったころか記憶にない。

突然のことだった。気づいたら、君の姿がなかった。

虫籠の中に水だけが残って、蓋が開いてたとき跳び出たのだろうか。窓際の周りを探した。庭の隅も、植木鉢の裏も、母に頼んで家中確認した。でもどこにもいなかった。

泣いた。ソファーに顔を押しつけて、息ができなくなるまで泣いた。

何が起きたのかが、しばらく納得がいかなかった。あれほど鮮明に手のひらに残っているのに、どこにもいない。親指の付け根に残っていた細かい拍動の感触だけが、空になった虫籠の隣にまだあった。

母は、自分のおうちに帰ったんだよという。

おうちに帰ったとその日は思った。翌日も。しばらくそう思い続けて、自分を納得させた。

その年の梅雨がいつ明けたか、記憶にない。蛙のことだけ、覚えている。

先日、コンビニに向かう途中の用水路に蛙がいた。

小さくて丸い、アマガエルが一匹。コンクリートにへばりついて、こちらを見ているようにも思えた。

しゃがんでしばらく観察していると雨がまた降り始めて、用水路の水面に細かい波紋が広がる。広がるにつれ、蛙の影が揺れた。背中に雨粒が当たると私の影が目の前に落ち、その体は、コンクリートの上にへばりついたまま。

親指の付け根が、じわりと温かくなる。

玄関を踏み出す背中を見送るように、傘は立てかけられていた。

濡れながら帰るその日も悪くなかった。

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椿 喜介 ありがとうございます😭

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