終戦の日に寄せて
まず、冒頭でお願い。先に↓こちらをお読みいただき、コメントをされる方は、十分理解された上で投稿してください。
戦争を知る世代の警鐘
ここ日本では、第二次世界大戦が終結した1945年8月15日を「終戦記念日」としています。
まずは、2019年、藤井裕久氏がYahooニュースのインタビューを受けた記事を取り上げます。こちらをしっかりお読みください。藤井氏の戦争体験と、田中角栄元首相にまつわるお話です。この中で、田中元首相は、今の時代につながる、重要なことを発言しています。
「経験者が戦争の悲惨さを教えてやれ」田中角栄の言葉に突き動かされて――藤井裕久の使命感
2019.8.19 Yahooニュース
田中角栄元首相「戦争を知っているやつが世の中の中心である限り、日本は安全だ。戦争を知らないやつが出てきて日本の中核になったとき、怖いなあ」
藤井裕久氏「また戦争をやれっていうことですか」
田中角栄元首相「そうじゃない。絶対戦争なんかダメだ。だから、経験者が戦争の悲惨さを教えてやれ」
そして、藤井氏も、インタビュー当時の世界の状況を元に、次のようなことを発言されています。
Yahooニュース「いまの政治家はきちんとした歴史観を持っていると思いますか」
藤井裕久氏「戦争を美化する風潮が強すぎると感じます。極めて危険だと思います。」
新しい戦前の足音〜「日本人ファースト」の台頭
2022年の年末、終戦後すぐの生まれのタモリさんが、テレビ朝日「徹子の部屋」で、このようなことを仰っていたことをご記憶のかたも多いと思います。
黒柳徹子さん「来年はどんな年になりますかね」
タモリさん(少し間を置いて)「誰も予測できないですよね。でもなんて言うかな、新しい戦前になるんじゃないですかね」
2023年は、そうならずに済みました。しかし、以前から出現していた保守的思想の政党の存在のみならず、今年(2025年)の参院選で「日本人ファースト」を声高に主張し、憲法を改める…その中で、教育勅語を推奨するという政党が躍進したことで、これまで80年間、私達日本国民が巻き込まれることがなかった戦争に、いつ巻き込まれてもおかしくない状態になったと言えます。私達有権者が、そのような判断を選挙によって下したのです。つまり、そういう社会に戻したいという人が多かったということ。田中元首相、藤井氏、タモリさんが恐れていたことが、いよいよ現実味を帯びてきたと言って良いと思います。
みんなで作る社会の責任
以前にも記しましたが、そのような社会に、私達がみんなでしたのです。これ以上、主語は小さくできません。なぜなら、この社会は、私達みんなで作り上げるものだから。誰のせいでもないのです。自分自身のせいなのです。
…そう記してるにも関わらず、そこの部分を読まずして、ただ感情的になり「主語が大きいですね」とか言い放つ輩がいます。実は、私達人間というは、そういうものなのです。皆、本当は他人のことなんかどうでも良くて、自分の主張が世間の常識だと思い込み、自分の考え方に反する人間に対しては、何を言ってもよいと勘違いをして排除する。だから、戦争になるのです。
そういう人ほど、戦争を美化する。戦争が好きだ、戦争に参加したいと言う。しかし、この80年間は、彼等の思い通りになりませんでした。なぜでしょうか…それは、ここに記す間でもないと思います。それを、自らの手で何としてでも崩したいと考えている人が、思った以上に多くなったということなのです。田中角栄元首相が「戦争を知らないやつが出てきて日本の中核になったとき、怖いなあ」と指摘したとおりになっています。
自分の子供には「喧嘩はやめなさい」と注意するのに、夫婦喧嘩は日時茶飯事。別の人は、戦争を美化する…こんな矛盾したことを平気でやる。主張、容姿、住居、学歴、その他諸々を見ただけで差別する。そもそも、言葉を知らない。故に、人が傷ついても、何とも思わない。これらのことを「おかしい」と思える人は、どれだけいるのか…。意外と少ないのかもしれません。
自分自身を「馬鹿」だと認める覚悟
人間は、学習しない動物です。どんな悲惨なことが起きても、全て美化したがる動物です。そういう心を誰もが持っているのです。だから、80年間、ずっと同じ事を叫び続けなければならなかったのではないか、世界から世間、半径数メートルから数百メートルというあらゆる範囲で、幾度となく戦争や衝突が起こったのではないか。
つまり、私達は「馬鹿」だということ。
これからのことを考えるには、まず、自分自身を「馬鹿だ」と認めることです。それを基準に、利己的にならずに考える。それを、命の続く限りやめてはいけません。
そして、全ての他人を認めること。
食料、住まい、娯楽…ありとあらゆるものは「他人」が生み出しているから出来ること。それらのものを自分が作るにしても、それに使う「道具」は誰が作っているものなのか。そうです、「他人」がいなければ、私達は生きていけないのです。あまりにもモノがあふれてしまったために、そのことを私達は忘れていないでしょうか。「戦争」になれば、それらのモノのみならず「自由」も奪われるのです。「自由」は、誰かがいるからこそ生まれるもの。それを忘れてはいけません。
もう一度、しつこく記します。そうしないと分からない人がいるので。
今回記した内容は、「これ以上主語を小さくすることはできません」。それは、私達がみんなで、いまの社会を作っているから。誰のせいでもなく、自分のせい。この社会で生きている一人一人のせいなのです。
「自称・偉い人」が、「馬鹿」な「争い事」を引き起こすのです。その意識を持たない限り、いまの社会が改善することはおろか、きょうだい・夫婦喧嘩から世界的な戦争に至るまで、あらゆる争い事がなくなることはないでしょう。そう思います。
追記(2025.8.15 20:25)
「平和ボケ」と他人を揶揄し、何かしら声高に叫び、自身の思想を他人に無理強いする輩ほど「平和ボケ」していると言わざるを得ず。特に、今日は靖国神社参拝について多くの発言が。「いいことだ」「日本人として参拝」…違和感しかない。戦争が始まったら、そんな自由な発言さえも許されなくなるのだ。
— ずきさん zukisan for radio (@kitakyuzukisan2) August 15, 2025
