自分の人生語るそれは何だろう
初夏のヒカリが
混じり始めてきた

移り変わりのこの時季
1日のなかでも 朝昼夕晩で
氣配が全く変わるから
こういう時に フとした瞬間
意識を周りの自然の漂いに合わせて
今はどんな氣配だろうと感じてみると
色んなものが混じりあっていたり
コントラストがはっきりしていたり
1つに片寄っていたりと
色々感じられて面白いし
感覚澄ます練習にもなる

これが慣れてくると
急な天候の変化が来る少し前に分かったり
直感的なものがキャッチしやすくなったり
意識的に感覚に気付いている というのが
結構ダイジで これ慣れてくると
日常の動作で出来るようになって
そのうち意識しなくても
いつの間にかそういう状態で居たりする
身体の習慣になってしまっているものを
意識的にどんどん上書きしていくという作業

今までのように
頭での理解→行動による習慣化では
もう既に そのもの は変わっているから
物理的な肉体が馴染みを手放し
書き換えるというのが追いつかない
そして何より
頭での理解 は古い捉え方だから
それを経由しないと という
「考え」そのものを外さないとならない
だから
内面的なお掃除は常にやって
身体の習慣書き換えを同時にやれば
少しはマシかしらん

やればやるほど
いったい今までどれだけ無意識的に
動いて生活して生きて来たんだろう
という事がわかって
ちょっとウンザリしてみたり
その 無意識的に生きて来た のを
ニンゲン一度は
称えてみたり誇ってみたり嘆いてみたりして
これが自分の人生だ と
思った事があるのだろうけど
どうやら誰しも 自分の人生とやらは
ホントの意味では生きてきてなかったらしい

誰しもみんなに
少しずつ 時にはドバーっと
気付きが起きてきて
あ 壮大な勘違いだったかも?
という 自我には悲しいお知らせが
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