テントが吹っ飛んだから、帰ってきた〜日本一周旅の最終地点、『利尻島』での尊いサバイバル生活〜
「布団が吹っ飛んだ」とはよく聞くダジャレでしかないが、「テントが吹っ飛んだ」のはシャレにならない現実だった。

非日常が日常だった。
これは、私たち家族が3ヶ月かけて旅をした日本一周の最終地点、『利尻島』での25日間。
我らのテントが吹っ飛ぶまでの、尊いサバイバル生活の記録だ。
はじめに〜〈旅に出る〉〜
きっかけは、夫の日本一周宣言だった。
「これは、人生の最期に思い出す旅になるよ」
そう言って食卓テーブルの上に広げたのは日本地図。
広げるタイプの日本地図なんて、それはそれは久しぶりに見た。
天気予報とか、社会の教科書に載ってるようなサイズじゃない。16折りくらいに畳むタイプの、本気の日本地図だ。
「この航路でいこうと思うけど、どうかなぁ」
ボールペンやら蛍光ペンやらでスケジュールが事細かく書き込まれている。
地図からダダ漏れる夫の気合いに、私は痺れた。
結婚する時、「人生には、安定よりも刺激がほしい!」と言った私に、「行かない」という選択肢がないことを夫は知っている。
聞かれているのは、行くか行かないかではない。「行く」のさらに向こう側だ。
目の前にある日本地図は、いわば私たちの航海図。
これから始まる旅の道しるべなのだ。
私は日本列島を舐め回すように見た。
そして夫の「どうかなぁ」という問いに対して、答えたというか、吠えた。
「うぉ、うぉぉおほぉぉ!!!!!」
旅。旅よ。私たち、旅に出るんだよ…!!!!
映画『スタンドバイミー』をこよなく愛する私にとって、「旅」というものは特別で!!憧れで!!!そんでもって……!!!!!!
心の奥底から興奮の湯が湧き出てくるのを感じた。
草津温泉なんてもんじゃない、もっともっと、もっと熱々の湯だ…!!!
沸き立つ私の脳内では、スタンドバイミーの名曲が「ウェンザナイッ、ハズカ〜ム♩」と繰り返し再生されていた。
旅に出るにあたって、役割分担を決めた。
隊長=夫。
助手=私。
癒し=娘(1歳)。
副隊長の座に就けなかった私はかなり無念だったが、実力不足は自覚していた。
ギリギリ間に合ったと思って飛び乗った電車が逆方向だったり、ご機嫌で歩いていたら側溝に落ち膝が紅に染まったり、草刈正雄を正刈草雄と言ってしまったり、とにかく本当に実力不足なのだ。
そうやってドジを踏むたび心を癒してくれるのは、私にとってのミカエルこと娘だ。
隊長以外の戦闘能力があまりに低いのは一目瞭然。ということで、夫の友だち(通称:ピラフ)が参戦することとなり、旅のメンバーは4人になった。
夫とピラフは一口に友だちといっても、ただの友だちではない。
二人は学生時代からの腐れ縁で、お互いの良いところも悪いところも常に目の当たりにしてきた、いわゆる親友だ。
私や娘もしょっちゅう顔を合わせていて、いよいよ沈黙すら気まずくない、互いに緊張の「き」の字もないような間柄。
もやは家族と言っても過言ではない人物なのだ。
利尻島に到着する3ヶ月前、私たちは出発の朝を迎えた。
日が昇る前の薄暗い空の下、夫とピラフは車に荷物を運んでいた。
二人の間に特に会話はないが、それでも何故かピタリと綺麗に積まれていく荷物たちは、まるでテトリスのようだった。
熟年夫婦のような阿吽の呼吸に、ちょっとジェラシーさえ感じる。
全てを積み終わりエンジンをかける頃には、空が明るくなっていた。と同時に、「出発!」と言う全員の浮腫んだ顔も明るみになった。

利尻島に着くまで、私たちは一つの県に1〜2日程度を目安に全国を転々とした。
乗り物こそラクダではなく車だが、移動しながら暮らすという点で言えば、ほぼ遊牧民だった。
行く先々でテントを立て、火を起こし、星を見ながらその土地の食を楽しんだ。
夜は野生動物たちの遠吠えを子守唄に、朝は鳥の合唱を目覚めのアラームに。
時々、テントのすみっこで寝ていたピラフが恐らくは動物か何かに頭をどつかれるという悲劇もあった。
そこら中に立ててある「クマ注意」の看板を見て、「あれは夢だったことにしよう」と笑うピラフの笑顔は引き攣っていた。
ある時から夕飯を作る時間になると、「ママ、どーじょ!」と言って、娘がその辺に落ちている松ぼっくりや枝なんかを拾ってくるようになった。
娘の「ママ、どーじょ!」には、言わずもがなの「さぁ母よ、これを燃やしたまえ!」というメッセージが込められている。

娘はいつの間にか、松ぼっくりが燃えやすいこと、火種を大きくするための枝や木が必要であることを学んでいた。
わざわざ教えたわけでなく、暮らしの中で勝手に身に付けていたのだ。見て聞いて感じたものを、しっかり吸収していた。
彼女は小さいながら、逞しい遊牧民だった。


利尻島での25日間〜〈非日常が日常だった〉〜
日本地図片手に全国を周り、私たちはこの日、旅の最終地点『利尻島』に足を踏み入れた。
北海道は稚内からフェリーに乗り、遠くて粗かった島の表情が徐々に鮮明になるのを眺めながら、いよいよか…と楽しみな反面、旅の終わりが見え隠れする寂しさで少し複雑な気分だった。
利尻といえば、昆布!ウニ!くらいの知識しかない私は、夫に「どうして旅の最終地点を利尻島に選んだの?」と聞いてみた。
その理由は、幼少期の漠然とした憧れにあった。
「うーん、なんとなく、死ぬまでにどうしても行ってみたかったから。」らしい。
何じゃそりゃ!と言いたくなるが、まぁでも分かる。分かるぞ!
私だって、死ぬまでにどうしてもケニアに行ってみたい!サバンナを全身で浴びてみたい!何で?そう、なんとなくだ!!!!
利尻島上陸は、夫が人生の中で叶えたいことの一つだった。

そして、この島には熊と蛇がいないというのも、夫にとってはかなりの魅力。
夫は、たまに道端に落ちている謎のロープや、ホームセンターの熱帯魚コーナーで売られているクネクネした流木を見かけると、黒ヒゲ危機一髪くらい飛び上がってしまうほど、蛇が大の苦手なのだ。
私は断然、ある日森の中クマさんに出会った方がよっぽど怖いと思っている。
しかし利尻島でそんな心配はご無用。
ここが『鳥の楽園』と呼ばれる所以は、そのような鳥の天敵になるような動物たちがいないからだ。
フェリーの停泊場に着いて、目指すは『沓形岬公園キャンプ場』(以後、略して沓形キャンプ場)。
ここで私たちの新生活がスタートする。
▷東京のワイン < 沓形キャンプ場
利尻島には、キャンプ場が5つある。が、沓形キャンプ場があまりにも居心地が良かったせいで、他には浮気せず結局最後まで沓形キャンプ場のみと添い遂げることになった。
25日もあったのに、あえて同じ場所だけに根を下ろすなんて、一途すぎてちょっと変態にも思えてくる。


ここは有料のキャンプ場とは言っても、1泊500円。
「都内で飲むグラスワインより安いんだもんなぁ〜」などと思うと、余計に嬉しくなる。
こうやって自分にとって都合の良い比較をして、一人ケチケチ喜ぶのが趣味だ。
夫とピラフがテントを張っている間、私と娘はキャンプ場内を散策。
熊や蛇の襲来がないと思うと気兼ねなく茂みを進むことができた。
スーパースターを手に入れた、無敵状態のマリオにでもなった気分だった。
キャンプ場には大自然の他に、水道、洗濯機の置いてある小屋、トイレ、ビジターセンターなどがあった。
ビジターセンターに入ってみると、利尻島の歴史や、ここに生息する動物や植物についてのポスターがいくつも貼ってあった。
手を後ろで組み、じっと見て回る娘の後ろ姿は、1歳にして60代の貫禄がある。
中央にあるテーブルには箱が置いてあり、中には数冊のノートとペンが入っていた。
そこには沓形キャンプ場を訪れた旅人たちのメッセージが詰まっていた。
読んでいくと、訪れた理由はそれぞれ違えど、「利尻島に来たくて、わざわざ利尻島を選んでやって来た!」という思いだけはみな一緒だった。ノートをめくる度、見知らぬ誰かにものすごく親近感が湧いた。
テントが立ち、改めて周りを見渡すと『利尻富士&海』の絶景コラボレーションが飛び込んできた。
二つはチャゲ&アスカくらい最高にハモっていて、これを肴に飲むビールは格別だった。
夜の沓形キャンプ場はそれもまた幻想的で…
昼間の景色が「YHA YHA YHA!」だとしたら、夜はしっとり 「SAY YES…」みたいな感じだった。


▷『利尻ふれあい温泉』での日課
沓形キャンプ場の近くには、徒歩で行ける距離に『利尻ふれあい温泉』という温泉施設がある。
受付に行くと、まず「島内ですか、島外ですか」と聞かれる。島内に住む人と島外から来た人では入湯料が違うのだ。
私たちは毎度「島外です」と答えるのだけれど、10日目を過ぎた頃から「島内ですよね?」と聞かれるようになった。

この温泉には、空気に触れると湯が赤褐色に変わるという独特の泉質を持つ『金の湯』がある。
これがとんでもなく気持ちの良い湯で、源泉の温度は熱くもなく冷たくもない。人間にふやけるという現象が起こらなければ、私は永遠に浸かっていたかった。
温泉の常連マダムたちは、みな殻を剥いたゆで卵のようにつるんと綺麗な美肌だった。
4kテレビで顔をどアップに映されても何ら問題なさそうである。
そんなマダムたちが、娘を見て「うんうん、今が一番カワイイよねぇ〜」「お利口さんだねぇ」などと声を掛けてくれるのも、すっかり日常になっていた。
夫とピラフによると、男湯では「ウニトーク」が繰り広げられていたらしい。
ウニ漁は利尻島の人たちにとって切っても切り離せないもの。ウニは利尻の日常だ。
かつて「ウニ漁を体験してみたい」と言っていた夫にとって、湯に浸かりながら聞く現地のウニトークは最高のラジオだった。


湯から上がり、広々とした畳の広間でグルメ漫画を読むのが私の日課だった。
男性陣がサウナで整うのを待つ間、暇つぶしのつもりで読み始めたら面白くてハマってしまった。4枚切りの食パンくらいの厚さの漫画本。これを何日かに分けて読むのがさり気ない楽しみになっていた。
このきっかけがなければ、私はグルメ漫画の素晴らしさに一生気づかなかったと思うし、後にサブスクで『美味しんぼ』を一から見返すこともなかっただろう。
私だけでなく、娘にも新たな日課ができていた。
「ママ、アイシュー!」と言われて指差す方向を見てみると、そこにはセブンティーンアイスの自販機がしれっと立っていた。

私は「こ、こんなところにまで…!?」と思わずギョッとし、後退りしてしまった。
まさか日本の果て、利尻島に来てまでも出会うことになるなんて。
セブンティーンアイスって、なぜいつもつい買いたくなっちゃう絶妙な場所にいるんだろうか。

▷ 県と県で通じ合う
利尻島には、日々全国各地から旅人たちが訪れていた。
駐車場に停められた車やバイクのナンバープレートは、島根、大分、岡山、鹿児島、京都など…
その顔ぶれは、マダムシンコの紙袋くらい派手だった。
「今日は温泉で岡山と一緒だった」とか、「京都のテント、使いやすそうでいいなぁ」といった具合に、どこの馬の骨とも分からない者同士、ナンバープレートに書いてある地名のみが唯一の情報だった。
ある朝、水道で服をじゃぶじゃぶ手洗いしていると、隣りに"大分"がやってきた。
同じくたくさんの洗濯物を持っている。
大分は3日前くらいにやってきたサーファーの男女4人組で、車にサーフボードを積み、昼間は波に乗るためかテントにはあまりいなかった。
「こんちは〜」と爽やかに声を掛けてくれた大分は、日焼けをしていてココナッツの香りを甘く漂わせながらニコッと笑った。とても感じのいいお兄さんだ。
私「あ、こんにちは!」
大分「あれですよね…千葉ですよね?」
私「あ、そうです!大分ですよね?」
大分「はい、そうです!大分です!」
ここが利尻島でなければ、世にも奇妙な会話である。
大分「いつからいるんすか?」
私「うーん、大体2週間前くらいですかねぇ」
大分「えぇーそんなに?!何してるんすか!?」
何してるんすかね。
そう言われると確かに、私たちって一体何してるんでしょうね。
"なんか生きてる"それだけな気がする。
海とか、山とか、虫とか、天気とか、風とかと一体化して…たんぽぽみたいに、ただそこに生えてるみたいな、そんな感じ。

今まさに何かしてるぞ!という認識がまるでなかった。
私「何でしょうね、よく分からないです!」
大分「ハハハ!まぁ、僕たちもですけど!」
私「ハハッ、ここで何してるんだか!」
大分「いつまでいる予定なんすか?」
私「いやー、それもまだ決めてなくて」
大分「え、マジっすか…!」
大分は若干引いていた。
その後も、徳島からトウモロコシを分けてもらったり、山形から折り畳み自転車を借りたり、娘は4歳くらいの熊本と友だちになったりもした。
熊本のテントは一際デカい豪邸だった。
それを見た娘は熊本の豪邸テントを指差し「あっち!あっちぃぃーーー!!」と泣いて羨ましがった。
彼女は予定よりだいぶ早めに社会的格差を学んだ。
まさに一期一会で出会った皆様、あれからお元気してますか。

▷スーパーラッキーミラクルカー故障事件
日本全国を周り、ここまで無事に私たちを運んできてくれた車が、ついに動かなくなった。
「いやーこれちょっとダメだね…」
「うーん、見てもらうしかないな」
夫とピラフは渋い顔をして、車を見ながら唸っていた。
やっぱりねぇ。そうだよねぇ。
ついにこの時が来てしまったか…。
私たちは誰一人驚かなかった。
というのも、この車は旅に出る前に夫がヤフオクにて23万円で手に入れた、スーパーラッキーミラクルカーなのだ!
車検もしっかり通って問題なく走ってきたが、北の果てまで来てほっとしたのか、利尻島にてうんともすんとも言わなくなった。


あぁ…奇跡というのは続かないから奇跡なんだ、と思った。
ここまで踏ん張ってきたスーパーラッキーミラクルカーにもついに限界がきたのだ。
すぐに島内にある車の整備工場へ連絡をして、見てもらうことになった。
数日は車のない生活を送ることになり、買い物は"山形"から借りた折り畳み自転車を漕ぎなんとかやりくりしていた。
そして今度は夫とピラフのふくらはぎがエンストしかけていた頃、スーパーラッキーミラクルカーは元気になって帰ってきた。
バッテリーが正常に戻ったのに加え、4つのタイヤも新品に履き替えていた。
心なしか凛々しくなったスーパーラッキーミラクルカーを見て、娘は優しく「おかえりしゃい」と声をかけた。癒し。
まさかこんな離島で車の修理まですることになるとは思ってもいなかったが、旅にトラブルはつきものだ。
そして良いか悪いか、むしろトラブル付きの方が思い出深かったりするから人生は不条理である。
かつて沖縄旅行の帰りの飛行機の中で、ホテルに家と車の鍵を忘れたことに気付くという絶望的トラブルが発生した。
その時はあまりのショックで、このままいっそどこか地獄の果てにでも連れて行ってくれ…とまで思った。だが、結局あとから思い出して盛り上がるのはそんなことだったりする。
素敵な南国ホテルのことなんかより、よっぽど覚えてるし、笑える。
だから今回のスーパーラッキーミラクルカー故障事件も、この旅をより色濃いものにしたに違いない。
修理代10万円は、思い出代だと言い聞かせた。
▷ガスコンロという最強の文明
朝起きたらまず、フリーWi-Fiの電波を求めて港まで歩き、ついでに朝ごはんの魚を釣って、水道で洗濯をして、ビニールプールで遊ぶ娘を眺めて、本を読んで、散策して、利尻ふれあい温泉で心身を整えて、水汲みに行って、買い出しに行って、地産地消して、地酒を飲んで語らって…
そんな利尻島での非日常は、徐々に私たちの日常になっていった。
今まで散々やってきた焚き火も、利尻島ではほとんどやらなくなった。
しまいには、火を起こしたら後片付けが面倒だとか、苦労して洗濯した服に匂いがつくのが嫌だとか、そんなことまで言い出した。
旅の途中、私たちの中で浮上していた「ガスコンロ最強説」は、利尻島でついに「説」ではなくなった。

キャンプにおいて手間や匂いを気にするなんて御法度中の御法度。
まったく旅人の風上にも置けないのだ。
しかし毎日キャンプを繰り返していると、キャンプはイベントではなく暮らしになる。
どんな間取りよりも日当たり風通し抜群で、家賃一日500円の小さなお家での暮らし。
最初は焚き火こそがロマンだった。だが、暮らしとなると、そのロマンが時に敵になる。
私たちは朝も昼も夜も、ガスコンロで食事をまかなうようになった。
私はガスコンロに愛着が湧きすぎて、まだガスコンロ同好会なるものが存在しなければ、ぜひとも私が立ち上げたい!とさえ思うようになった。
▷Amazonで本を買う
滞在20日目。
Amazonで本を買った。
利尻ふれあい温泉のグルメ漫画もだいぶ読み尽くしてしまったし、この長閑なキャンプ場でどうしても本が読みたくなった。
利尻島にまでちゃんと本は届くのか?と少し内心ドキドキしていたが、天下の『Amazon』にそんな心配はいらなかった。
「あのぉぉー!本のお届けでぇーす!」と言って、草原の向こうで配達員の方が手を挙げていた。
「はぁぁーーーい!」と言ってテントから顔を出し、小走りで受け取りに行く。
玄関は常に全開放なので、鍵を開けるという文化はすっかりない。
私が頼んでおいてなんだが、「本当に届けてくれたんですね…!すごい、わざわざありがとうございます!」と言って、深々と頭を下げた。
ここ最近「本は読みたいけど時間がない…!」と嘆いてた私は、ビニールプールで遊ぶ娘の傍らで久しぶりに優雅な読書タイムを過ごした。
本を読んでいるうちに、必死になって食器を洗うより、何度も掃除機をかけるより、優先すべきは一回の読書だったんだと、つくづく思った。
時間や家事に追われない利尻島での非日常が、固くなっていた私の心を柔らかくほぐしてくれた。
本のチョイスに生活が反映しすぎてることは置いといて…Amazonが届けてくれた本により、私たちはより豊かな生活を手に入れた。


手作りできるものや野外生活の知識を増やし、旅人精神に磨きをかけた。
この数日後、あっけなくテントが吹っ飛んでしまうことも知らずに…
▷テントが吹っ飛んだ
朝起きると、寝ている夫の頭の上に、テントの天井がくっついていた。
最初一体何が起きているのか分からなかったが、外の轟々とした雨風の音と、バッサバッサと激しく乱舞するテントを見てすぐに理解できた。にも関わらず、この旅で嵐への免疫が付きすぎていた夫は、一度目を開けてからちょっとイラついた様子で二度寝した。


夫の頭がS極でテントの天井がN極だとしか思えないほど、何度離れてもしつこく引かれ合っている。
テントがバインッ!と元の形に戻ったと思うと、また夫の頭にくっついて、そしてまた戻るを繰り返した。
「テントの形状記憶ってすげぇ!!!!」と心から感動したのを鮮明に覚えている。
寝袋に包まり少し様子を見ていた私は、ひとまず娘を抱いて洗濯機が置いてある小屋に避難することにした。
「ママー?」と不思議そうな娘に「たぶん今からテントが吹っ飛んじゃうんだよね」と手短に説明し、寝ている夫に「お先に失礼します…」と軽く一礼してテントを出た。
利尻島に着いた時点で、既にテントはボロボロだった。
遠目には平気な顔して立ってるように見えるが、近くで見ると手当てした箇所が痛々しい。
フルマラソンを休まず2往復走った人くらい満身創痍だった。とうに限界は超えていた。よくやったよ。もう無理して笑わなくていい。
恐らく私たちの中の誰もが、旅の終わりについて考えることを避けていた。
「いつ帰る?」が頭に浮かんでは、「帰るってどこへ?ここが家でしょうが!」と言い聞かせていた。
帰るきっかけを完全に失っていた。
そんな私たちを見兼ねた神様が嵐を送り込んだのかもしれない。
にしても神よ、他にもうちょいやり方はなかったのか…と思いながら、撤去作業を虚しく見つめてた。
とにかくもうテントはどうにもならない。
補修でどうにかなるレベルじゃない。

帰るしかない。
さすがあの熊本の豪邸は、雨にも負けず風にも負けず立っていたが、同じく子どもを連れてこちらに避難してきた。
「またいつか会えたらいいね」と言う熊本の友だちに、娘は「バイバイ!バイバイ!」と片手を上げて、ちょっと上から最後の挨拶を交わしていた。
夫とピラフは嵐の中なんとかテントを回収し、その亡骸を車に運び込んだ。
私は儚く散ったテントの姿を見て、切なくてちょっと泣きそうだった。
その日は車中泊をし、翌朝帰る頃にはすっかり嵐は止んでいた。
テントを張っていた場所には、まるで城跡のように、確かに私たちがそこに暮らしていたという軌跡がくっきりと残った。

次に訪れた人が見たら、なんだか意味深で不気味に思うだろう。
嵐で洗車されたスーパーラッキーミラクルカーに乗り、もはやふるさと…沓形キャンプ場に別れを告げた。
おわりに〜〈旅はつづく〉〜
旅に出る前の生活に戻ると、全てのものが便利で、楽で、そして変だった。
水はわざわざ汲みに行かなくても水道をひねればすぐに飲めるし、汗をかいたらその都度シャワーを浴びられる。家の中に1匹でも虫がいると嫌な気持ちになり、洗濯で腕が筋肉痛になることもない。そして布団に入れば静寂だ。
あれからもう数年が経つ。
ふと、あの日テントが吹っ飛ばなければ、私たちはいつまで利尻島にいたんだろうと思うことがある。
もしかすると、利尻ふれあい温泉の受付で「島内です」と答える日が来ていたかもしれない。
旅での暮らしの方が私には合っていた気がする。
でも、両肩に苔が生えるくらいナマケモノな私は、何でもレンジでチンできる文明MAXな暮らしもやっぱり好きだ。
もしもいま日常に疲れきった人がいたら、私はおすすめしたい。
旅という名のブラックペッパーでもいい。
一人映画という名のカルダモンでもいい。
滝行という名のクレイジーソルトでもいい。
とにかく何でもいいから、非日常というスパイスを一度振りかけてみることを!
私たちの旅はこれで終わりではなく、この先も続いていくだろう。やりたいことも増えた。
一度行ったら欲が出て、また利尻島にも行きたいし、まだ見ぬ世界のどこかを転々としてみたい。
ここに書ききれなかった利尻島のことも、それまでの日本一周旅のことも、そのうちまた書き記していこうと思う。
今回の旅が果たして本当に人生の最期に思い出す旅になったのか、その時が来なければ分からない。
が、今のところ、腹痛でトイレに籠り息絶え絶え悶えている時、私の頭の片隅にはうっすらとあの日の利尻富士が浮かび上がってくる。

@利尻島




















































