【映画日記】ちいかわ人魚の島のひみつ:これで良かったんだよね?正しさとは…
ついに、映画ちいかわを観てきた!
先に書くと、私は熱心なちいかわファンではない。アニメは観たことある…くらいのにわか度です。
周りから映画の内容が怖いとは聞いていたけれど、確かにこれは大人向けの映画だった。
私は観ているあいだ、
「正しさをどう捉えるのか」を
何度も問われているような気がした。
観終わってからもずっと考えているので、noteに言語化を残しておきたい。
※このあと、ネタバレを含みます。※
観終わった後も、ハチワレちゃんの
「これでよかったんだよね」
というセリフを何度も思い出した。
ちいかわちゃんたちが、島に来た理由は、最初から怪物退治して、報酬を得るためだった。
でも、討伐対象と知らずに出会ったセイレーンから「仲間の人魚を村民に殺された」と聞いてしまう。襲う背景を知りながら、ちいかわちゃんたちは、戸惑いながら、村民と共にセイレーンと戦っていく。
私としては、ちいかわちゃんたちに“犯人探し”して欲しい気持ちもあったけど、コナン路線の展開で犯人見つけて、もしセイレーンに犯人が捕まっても、今回のお話は根本的になにも解決しない。
セイレーンは、ちいかわ族の何倍も大きくて、歌で植物も操れるし、とにかく強い。
力の差がありすぎるし、話し合うにも敵認定されちゃう。
ここに関しては、とりあえず、モモンガちゃんが悪い😂
※でも、私は欲望に忠実なモモンガちゃんのことが大好きです。
セイレーンにはセイレーンの悲しみと怒りがある。
そして、終盤に人魚を襲った犯人、ヒトハとフタバにも人魚を襲う理由があり、怒りと弱いながらも守りたいものがあったと明かされる。
ちいかわは、犯人が分かってから、どうするか葛藤する。
そして結果として、言わない。
どちらが正しいとか、そういう話じゃないんだと思った。
ちいかわちゃんは、2人を追及しない。優しい。
きっかけがあって、
結果があって、
そのときにできることをした。
そして、お互いに悲劇が起きた。
でも、この話、それだけじゃない。
ちいかわちゃんたちと村民、セイレーンと島次郎。
なんかスペック違いすぎないか!
ちいかわちゃんたちって、野生的。
セイレーンも野生的。
でも村民と島次郎はなんか文化的なのだ。
ちゃんと調理するし、住んでる家も立派だし。
ここでちいかわ作品への理解の浅さ、にわか度の高さで、理解に及ばないのが悔しい😂
「正しさ」で人を判断し続けると、
関係性はどんどん薄くなって、安心も信頼もなくなっていくんじゃないか。
これは最近の私の興味トピックでもある。
自分自身に対しては、
“こうあるべき”も
“こういうもの”も
ある程度、大事だと思う。
でも、他者に対しては、
その判断や行動に至るまでに、
どんな背景があったんだろう。
私はそこに、もっと目を向けたい。
そして、結婚を目的として、男性と会うよりもよっぽど豊かな時間で心が満たされた。
きっと相手の結婚観やパートナー論に審査される、自分も判断する必要がない時間だからだ。
でも、審査せずに人を選ぶって難しすぎる。
最後はもう、野生の勘だよりかも😂
私は、正しさやあるべきを求めているんじゃないんだな。
多分、制度に入りたいんじゃない。
居心地の良い関係が築きたい。
そこには安心が必要だし、
その人がここに至るまでに何を感じていたのかを、私は知りたいんだなぁ。
その人を自分の生活に入れたいし、
私も、その人の生活に入れてもらいたい。
そんなことを考えながら映画館から帰路についた。
