「疾病利得」という言葉を、もう一度ていねいに
はじめに
臨床でも産業保健でも、「疾病利得」という言葉を聞くことがあります。この言葉が使われる場合、どのような意味を含むでしょうか。「病気を口実にしている」「得をするために不調が長引いている」といった含みがこめられていることはないでしょうか。
この言葉は、日常的に使われるわりに、意外と手ごわい歴史と中身をもっています。疾病利得とは、もともとは精神力動の専門概念でした。そして概念史をたどっても、実証文献を当たっても、「疾病利得=甘え」という理解を支える根拠は、実はあまり見当たりません。
私自身は産業精神医学を専門としていますが、精神分析そのものが専門というわけではありません。この言葉をなんとなく使ってしまう場面もあり、あらためて気になったので、今回、もとの意味と実証的な位置づけを文献で調べ直してみました。産業保健での扱いでも重要な論点だと感じたからです。確認できたことを共有します。
先に結論だけ書いておくと、こういうことになります。
・疾病利得はもともと無意識の水準を記述する概念であって、道徳判断ではなく、詐病とはカテゴリが違う。
・実証的には確定も測定もむずかしい概念である。
・見るべきは本人ではなく、利得を供給している構造である。
・そして、産業保健の持ち場は、力動の推察ではなく、職場で観察できる事実(事例性)と環境調整である。
・なので、確信が持てないときは、この言葉を無理に使わなくてよい。
「疾病利得」とは本来なにか
疾病利得(Krankheitsgewinn)はフロイトに由来する概念です。まず押さえておきたいのは、フロイトの枠組みでは、その利得が意図的な操作としては位置づけられていない、という点です。
一次疾病利得(primary gain)は、耐えがたい心的葛藤や不安を、症状を形成することで内的に処理することを指します。症状が葛藤の妥協形成として働き、不安を縛るという、内的な意味での「利得」です。
二次疾病利得(secondary gain)は、そうして成立した症状に、事後的に、周囲からの配慮や責任の免除といった外的な利益が付着することを指します。
なお、正確を期しておくと、フロイト自身は二次利得について、できあがった症状を自我があとから利用する、という書き方をしており(『精神分析入門講義』第24講、『制止、症状、不安』など)、完全に無意識のものと言い切っているわけではないようです。ただ、それは症状をあとから利用するという水準の話であって、はじめから病気を装って得をするという話とは違います。
ここが、現場での使われ方との分かれ道になります。実際の会話では、「疾病利得」がしばしば詐病(malingering)や虚偽性障害と重ねて語られ、「意識的に病気を装って得をしている」という含みに変わっていきます。
ちなみに、この変化は現場だけで起きたことではありません。Fishbain(1994)が整理しているように、精神分析の外に出て以降の文献では、二次利得を半意識的・意識的なものまで含める定義も混在してきました。先ほど触れたフロイト自身の書き方の含みが、この揺れの出発点になっている面もあるのだと思います。専門文献の内部ですら、この言葉の指すものは一枚岩ではなかったのです。この点は、あとで触れる多義性の問題につながります。
そのうえで、診断分類との関係を整理しておきます。意識性という軸ではっきり対比できるのは、詐病と虚偽性障害です。詐病は意識的な症状産出で、動機は補償や免責といった外的な利益です。虚偽性障害では、症状の捏造や誇張は意図的に行われますが、その行動は明らかな外的利益によって説明されないものです。古典的には病者役割の獲得が動機として理解されてきましたが、DSM-5は動機の内容そのものを診断基準とはしていません。なお詐病は、DSM-5でも精神疾患ではなく、"Other Conditions That May Be a Focus of Clinical Attention(臨床的関与の対象となることのある他の状態)"として扱われています(分類上はZコード、以前のVコードにあたります)。
では身体症状症や変換症はどうでしょうか。従来の力動的な整理では「無意識的」なものとして対比されてきました。ただ、DSM-5自体は、診断基準のなかで症状が意識的か無意識的かを判定することを求めていません。むしろDSM-5への改訂では「医学的に説明できない」という要件を外し、力動的な含意から距離を取る方向に進んでいます。
「疾病利得がある」ことは、これらのどのカテゴリとも独立した、力動理論の水準の記述です。ですから「疾病利得=甘え」という理解は、概念のカテゴリを一つ取り違えています。用語の混同にとどまらず、力動概念をいつのまにか道徳評価に置き換えてしまう点に、注意が必要です。
「利得」という語感がまねく誤解
もう一つ、言葉そのものの性質にも触れておきます。「利得」やgainという言葉は、どうしても「得をしている=ずるい」という価値評価を呼び込みやすい語感をもっています。
この曖昧さは、専門的にも指摘されてきました。Van Egmond(2003)は、疾病利得が精神分析の外に出ていく過程でさまざまな意味を獲得し、結果として「話し手がこの言葉で何を指しているのかが、しばしば不明瞭になっている」と整理しています。先ほど見たとおり、意識性の位置づけすら定義によって揺れてきた言葉です。もともと心のなかの機制を指した言葉が、いつのまにか人物評価にも使われるようになったのです。
臨床的には、次の三点を押さえておきたいと思います。
第一に、二次疾病利得が「あらゆる疾病に必ず伴う」とは言い切れません。疾病が何らかの外的な帰結(役割の変化、免除など)を伴うことはほぼ自明ですが、その帰結が本当の利益として症状を強化しているかどうかは、別の話です。ここは案外だいじな区別で、たとえば障害者差別解消法にもとづく合理的配慮は、法律上の義務として提供されるものですから、そもそも利得という概念でとらえる対象ではありません。配慮や免除があることと、それが症状を保つように働いていることとは、別のことです。
第二に、利得は損失とセットで見る必要があります(Fishbainのいう「利得と損失の経済」)。収入や自律、アイデンティティ、周囲からのまなざしなど、失うものは少なくありません。Dershら(2004)はこれを二次損失(secondary loss)と呼んで、利得と並べて整理しています。差し引きすれば、損のほうが大きいことも多いのです。
第三に、利得は本人にだけ生じるものでもありません。Dansak(1973)が三次利得(tertiary gain)と呼んだように、症状が続くことで利益を得る第三者(家族、治療者、雇用者、保険者など)がいることがあります。「誰が得をしているのか」を問うのであれば、本人だけを見ていては足りないことになります。この点は、あとの症例報告のところでもう一度出てきます。
この三点を踏まえると、問うべきことが変わってきます。「この人に疾病利得があるか(責めるべきか)」ではなく、「もし回復を妨げるほど強い随伴構造があるなら、その強さは何を教えてくれるのか」です。損失を上回ってなお手放せないほど利得が強いのだとすれば、それは本人の弱さというより、そこから降りると失うものが大きすぎる環境や事情があることのあらわれと読めます。利得の強さは、断罪の材料ではなく、アセスメントの手がかりです。
エビデンスの確認
では、疾病利得という概念には、どれくらいの実証的な裏づけがあるのでしょうか。
この概念を科学的に検討した基準となる文献は、いまなおFishbainらによる1995年のレビューです。その総括は、支持というより保留に近いものでした。この概念は精神分析文献に由来し、そこで一度も厳密には検証されてこなかったこと。実証研究は数が限られ、結果には矛盾があり、一部は「疾病利得の存在をどう確定したか」に方法論的な弱さを抱えていること。結論は「行動理解にとって重要でありうる。ただし今後の研究が必要」というものでした。
注目したいのは、精神力動的な概念としての二次疾病利得そのものを対象に、この1995年のレビューを置き換えるような系統的再検証が、私の調べた範囲では、その後まとまった形で出ていないことです。
たしかに隣接領域には、無視できない蓄積があります。代表的なのは、補償状態(compensation status)と転帰の関連を扱った文献群です。Rohlingら(1995)は慢性疼痛のメタ解析で、金銭的補償と疼痛体験・治療転帰の関連を示しました。Harrisら(2005)は手術転帰のメタ解析で、補償請求下にある患者では術後転帰が不良であることを報告しています。
しかし、これらが測っているのは「補償という外的インセンティブの存在」であって、「疾病利得」そのものではありません。補償状態は、せいぜい利得の粗い代理指標です。さらに因果関係も不明です。重症で経過の悪い人ほど補償を申請するという逆向きの経路もありえますし、係争そのもののストレスが転帰を悪くする経路も考えられます。「補償と転帰に関連がある」から「利得が症状を維持している」へ進むには、いくつもの推論のステップが必要で、そのステップは未解明です。
隣接領域では、詐病を見分ける手法そのものの心もとなさも指摘されています。Tuckら(2019)は、慢性疼痛における詐病評価の難しさを検討し、提案されてきた検出手法には理論的根拠も実証的支持も乏しいと整理しています。「利得の有無は、そもそも安定して測りにくい」という点は、複数の方向から確認できます。
例外的に実証の足場があるのは、精神分析版ではなく行動論的な読み替えのほうです。Fordyce(1976)以来の行動医学は、疾病利得を「疾病行動に対する環境随伴性(オペラント強化)」としてとらえ直しました。この系譜はその後、恐怖回避モデル(Vlaeyen & Linton, 2000)へとつながっていきます。痛みや不調への恐れが回避行動を生み、回避が機能低下を固定する、という枠組みで、測定も介入もできる形になっています。環境の随伴性が疾病行動を強めうる、という水準には、一定の支持があります。
ただし、これは精神分析的な「疾病利得」とは別の概念です。「随伴性が強化として働く場合がある」ことを示すもので、普遍性を示すものでもありません。あとで触れますが、この行動論の言葉は、「利得」の代わりに使える、評価の含みが少ない言葉でもあります。
なお、これらの蓄積の多くは慢性疼痛・医療法学の領域のものです。精神科の休職・復職という文脈を対象にした二次疾病利得の直接的な実証は、さらに乏しいのが実情です。「エビデンスがある」と言うより、「良質なエビデンスが不足している」と述べるのが正確だと思います。
ひとつの症例が教えてくれること
この言葉の扱いに慎重さが要ることは、新しい発見ではありません。少し前の症例報告ですが、FreemanとCentenoによる2008年の報告は、いまも示唆に富みます。
32歳の男性は、急性外傷性頸髄症の明らかな徴候がありながら、頸椎MRIに紹介されるまでの8か月間に、10人以上のさまざまな臨床家による評価を受け続けました。最終的に病変の除圧手術は受けたものの、残った中枢性神経障害性疼痛に対する麻薬性鎮痛薬の過量摂取で亡くなっています。
考えさせられるのは、その結論です。著者らは、診断の遅れと不適切なケアを招いた背景に、臨床家の側に働いた構造的な圧力があったと論じます。反復治療を重視するビジネスモデルや、保険会社の指定評価をめぐる立場上の動機です。そして、第三者評価の場で患者に「疾病利得」を申し立てるときには、申し立てる側の動機もあわせて吟味するのが妥当だと述べています。第2節で触れた三次利得の話が、ここで実際の形をとっています。患者に「利得」を見いだす側にも、利得はありうるということです。
一点、公平のために添えておきます。「申し立てる側の動機を吟味せよ」という主張は、当の著者ら自身にもあてはまります。著者の一人Centenoは再生医療クリニックを経営する臨床家で、保険会社側の独立医学評価の制度に批判的な、利害上の立場にあります。だからこの報告の価値がなくなるわけではありませんが、「誰の主張にも立場がある」という本稿の考え方を、この論文自体にも当てはめておくのがいいと思います。
「患者が病気で得をしている」という見立てが、かえって器質的な病態への注意をそらし、重大な帰結を招いたという症例報告です。この一例は、私たちが「疾病利得」という言葉を口にするとき、いちど立ち止まる意味を教えてくれます。単一の症例報告であり、そのまま一般化はできませんが、心に留めておく価値のある事例だと思います。
現場でどう活かすか
以上を踏まえると、産業保健の現場での向き合い方が、わりと具体的に見えてきます。個人ではなく、構造を見ることです。
疾病利得を個人の道徳的な欠陥として扱うと、原因が本人のみに閉じ込められ、介入が「本人の甘えを正す」方向に向かってしまいます。これは、まだ調整されていない環境の問題を本人の資質のせいにしてしまうバイアスと、地続きのものです。
一方で、疾病利得を個人と環境のあいだに生じる構造としてとらえると、道筋が変わります。二次疾病利得が問題になるとすれば、それは環境が供給している随伴性(配慮・免除・関係の変化)が、症状を保つ方向に働いてしまっている場合です。そうであるなら、手を入れる先は本人の意志ではなく、その随伴性を形づくっている構造の側になります。
海外の知見と日本の制度
ここで、日本の制度の話をしておきたいと思います。この言葉が実際に飛び交うのは、傷病手当金、休職中の賃金保障、労災請求、休職期間の満了といった、日本の制度の周辺だからです。
注意したいのは、先ほど見た実証文献の多くが、欧米の、とりわけ訴訟や補償係争を背景にした慢性疼痛の文脈のものだという点です。日本の私傷病休職は、多くの場合期限つきで、期限が近づくほど「回復して復職するか、退職か」という圧力が強まる構造をもっています。傷病手当金も、支給開始から通算で1年6か月という上限があります(2022年の改正で通算方式になりました)。つまり、時間が経つほど「休み続けることの利得」は制度的に目減りし、損失が積み上がる設計です。欧米の補償係争のように、争い続けるほど大きな一時金が視野に入る構造とは、インセンティブの形がかなり違います。
海外文献の知見を日本の休職者にそのまま重ねて「利得が長期化を招いている」と推認するのは、この構造の違いを無視した飛躍になりかねません。
これは実証したものではなく私の臨床的な印象ですが、日本の制度ではむしろ、期限の接近そのものが焦りや抑うつを深めることも多いように感じます。そこで観察される「回復の遅れ」を利得で説明するのは、しばしば的外れです。
まず事例性に注目する
では、産業保健職は何に注目すればよいのでしょうか。ここで役に立つのが、産業保健でなじみのある「疾病性と事例性」の整理です(松崎, 2012)。
疾病性は、症状や診断といった医学的な側面で、主治医や専門医が判断する領域です。事例性は、遅刻や欠勤が続いている、業務に支障が出ているといった、職場で観察できる事実の側面です。産業保健では、疾病性の判断に深入りするのではなく、まず事例性に注目することが重要だとされています。
この整理に照らすと、「疾病利得がある」という推察は、疾病性の、さらに奥にある心の力動にまで踏み込む行為です。産業保健職の持ち場からは、二重に離れています。一方、事例性に立ち返れば、注目すべきは観察できる事実と、それを生んでいる職場環境です。ここなら、自分の目で確かめられますし、自分の権限でアセスメントできます。
明白なルール違反や、詐病が強く疑われる場合も、同じ整理で扱えます。休職中の副業や虚偽の申告といった問題は、事例性として事実を記述し、就業規則にもとづいて人事労務に判断してもらうものです。詐病の疑いは、主治医や専門医に共有するものです。どちらの場合も、産業保健職が本人の心の力動を判定する必要はありません。むしろ、ルール違反という事実の問題と、「疾病利得」という力動の推察とを混ぜないでおくことが、両方をきちんと扱うための前提になると思います。
環境調整を考える
事例性の側から見ると、産業保健は構造の再設計に産業保健の見地から関与できる立場にあります。産業医・産業保健職は、個人のなかの力動そのものというより、職場という環境の側に働きかけられるからです。
環境調整のほうには、実証の裏づけもあります。うつ病で休業している人を対象にしたコクランレビュー(Nieuwenhuijsenら, 2020)では、臨床的な治療に職場に向けた介入(業務調整や職場との連携)を組み合わせると、治療だけの場合より休業日数が短くなることが示されています。私の調べた範囲では、利得を取り上げることの効果を示した研究は見当たりませんでしたが、環境を調整することの効果を示した研究はある、ということになります。
たとえば、休職という状態にだけ「つらい環境からの回避」が集中している構造であれば、復帰後にも続く保護(配置や上司との関わりの再設計、負荷やハラスメント源の是正)ができないか、部門・人事労務とアセスメントすることで、「回復すると保護を失う」という構図をゆるめられます。すると本人は、症状を保たなくても安全を確保できるようになります。これは疾病利得を取り上げるのではなく、病気を経由しなくても同じニーズが満たされる別の道がないか考える、という発想です。
ただし現実には、力動の見立てから背景の構造の読み解きまでを、産業保健職が一人で担うのは、時間の面でも専門性の面でも難しいことが多いと思います。労務上の制約から、環境調整そのものが簡単ではないケースも少なくありません。ですので、ここは抱え込まないことが肝心です。主治医や精神科医、臨床心理職、EAPといった専門家と役割を分けて協働する。あるいは力動的な部分はしかるべき専門家に委ねて、産業保健は環境調整に絞って関与する。それが現実的だと感じます。
「疾病利得」が頭によぎったときの、実務上の作法(重要)
その前提のうえで、実務上の作法を二つ提案します。
一つめは、迷ったら使わない、です。ここまで見てきたとおり、「疾病利得」は測定がむずかしく、道徳評価にすり替わりやすい言葉です。断罪の材料になりうる言葉は、確信が持てなければ使わないのが安全だと思います。実際のところ、事例性の記述で足りることがほとんどです。面談記録に「疾病利得の可能性」と書かなくても、「欠勤が続いている」「どの業務に、どんな支障が出ているか」といった事実の記述で十分ですし、そのほうが正確です。機序にどうしても触れたいときは、「回避」や「随伴性」といった行動論の言葉のほうが、観察に近く、評価の含みも少ないように思います。
二つめは、それでも使うなら、「どの環境要因が、その利得を支えているのか」「回復後に同じニーズを満たす代替の道は何か」という問いとセットにすることです。その問いに一人で答えを出す必要はありません。むしろ、専門家と協働する(あるいは委ねる)ためのきっかけとして使う。少なくとも、人物評価の言葉として、面談記録や申し送りのなかで独り歩きさせないようにしましょう。
まとめ:五つのポイント
疾病利得は、本来は無意識の水準の記述概念であり、道徳判断ではありません。意識的な詐病とはカテゴリが異なります(ただし、概念史のなかで定義が揺れてきたこと自体が、この言葉を使うときの注意点です)。
見つめるべき対象があるとすれば、それは維持因になるほど強い「構造」であって、本人ではありません。その強さは、環境や事情の切実さを教えるシグナルとして読めます。そして利得は、本人だけでなく周囲の第三者にも生じえます。
実証的には、この概念は確定・測定がむずかしく、憶測による運用が濫用につながりやすいものです。補償と転帰の関連を示す文献はありますが、それは代理指標との相関であって、「利得が症状を維持している」ことの因果関係の証明ではありません。この慎重さの必要は、四半世紀以上くり返し指摘されてきました。
現場がなすべきは、利得を取り上げることではなく、病気を経由しない代替の道を用意することです。職場に向けた介入が休業を短くするという知見はありますが、利得を取り上げることの効果を示した知見は見当たりません。日本の休職制度は欧米の補償係争とはインセンティブ構造が異なることも念頭に置きつつ、専門家との協働や役割分担のなかで進めるのが現実的です。
産業保健の持ち場は、疾病性の奥にある力動ではなく、事例性(職場で観察できる事実)のアセスメントです。ルール違反は事実として人事労務に、詐病の疑いは主治医に、それぞれ委ねればよいことです。「疾病利得」という言葉は、確信が持てなければ使わない。事実の記述にすませたほうが、たいてい正確で安全です。
「疾病利得」は、非難されるものではありません。人が、それだけの事情のなかで生きている、というだけのことです。だからこそ、この言葉を使うときは、それを支えている構造まで視野に入れることが重要です。そして、確信が持てなければ、無理に使わないという選択もあります。
また、精神心理の専門でなければ、それを一人で抱え込む必要はありません。しかるべき専門家と協働し、意見を聴取しながら、産業保健は事例性の解決という持ち場から離れないようにすることが重要です。
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この論考の限界について
本稿で引いた実証の多くは、慢性疼痛・医療法学の領域のものであり、訴訟や補償係争を背景とする欧米の制度文脈で得られたものです。傷病手当金や期限つき休職を骨格とする日本の休職・復職には、そのまま一般化できません。本文で触れたとおり、両者はインセンティブの構造そのものが異なります。日本の制度のもとで期限の接近が心理状態に与える影響についての記述は、私の臨床的な印象であり、実証に基づくものではありません。
またFreemanとCentenoの報告は単一の症例報告であり、著者側にも利害上の立場がありうることを本文で述べました。
本稿の主眼は「概念の実証的な脆弱さと、推認による道徳的運用の危うさ」にあり、「疾病利得は存在しない」と主張するものではありません。行動論的な随伴性強化には一定の実証があること、補償状態と転帰の関連を示すメタ解析があること(ただしそれは利得そのものの実証ではないこと)も、あわせて申し添えます。
