新条アカネの閉じた世界、宝多六花という他者
SSSS.GRIDMAN最終話までのネタバレを含みます。
SSSS.GRIDMAN 第12話のラストにおいて、グリッドマンが他でもない響裕太に宿った理由が明かされる。それは「誰もが新条アカネを好きになる世界で、ただ1人響裕太だけが宝多六花に恋をしたから」というものだ。「響裕太=アカネの世界に生じたほころび」がグリッドマンを招き入れ、アカネは救済された。しかし、本当にそれだけだろうか?いや、物語を通してみればむしろ、響裕太を恋に落とした宝多六花こそ、アカネの救済のカギを握るキャラクターとして浮かび上がってくる。本稿では、宝多六花、そして彼女の持つ「他者性」を軸に、アカネの世界と救済を読み解いていく。
世界のうまくいかなさ=他者性について
アカネの生み出した世界では誰もがアカネのことを好きになる。気に入らない人間は怪獣によって殺され、はじめからいなかったことになる。全てが思うようにいくこの世界に引きこもることで、アカネは、うまくいかないことだらけの現実から目を背けていた。そんなアカネの閉じた世界に対し、グリッドマンという外からの異物が導入されることで、アカネの世界は現実同様に「うまくいかなく」なっていく。つまりグリッドマンとは「世界のうまくいかなさ」と向き合うことをアカネに伝える存在であり、アカネの世界の外部=現実の象徴であり、言うなれば「他者性」そのものである。(これは少し大胆な言い換えだが、新条アカネの怪獣がいつも不愉快な人間を殺すために作られていたことを考えれば納得できるだろう。思春期の少女にとって世界と人間関係は同値であり、世界が思うようにいかないのは物理法則のせいではなく、他者が他者として存在するせいだ。)そしてこの「他者」という概念こそが、アカネの世界を読み解くカギとなる。
「他者」は本当に響裕太=グリッドマンだけなのか?
外からの異物であるグリッドマンが侵入してきたことで、「世界の思い通りにいかなさ」としての他者性が導入され、アカネの心が開かれた。しかし、これだけでは解釈としては不十分だろう。これでは新条アカネがグリッドマンに救われる過程があまりに受動的に思えるからだ。人類補完計画が実行される中で自ら「他者がいる世界」を選び取ったシンジ君と比べると、ただ何もせず救いがくるの待っていただけ、というのはあまりに主体性を欠いている。実は、新条アカネが救われた本当の契機を理解するには、響裕太=グリッドマンとは別のもう1人の他者、宝多六花に注目する必要がある。
「他者」としての宝多六花
宝多六花はアカネの世界の被造物であり、一見すると「他者」とは対極にある。しかし、第8話にこんな一幕がある。

アカネ「じゃあ私を殺したら?そしたら全部解決じゃん。」
六花 「それは解決じゃないから」
アカネ「…やっぱ六花はいいよ。他の子とはちょっと違う。私の近くにいるべき人。」
「他の子」というのは、たとえば教室で自身の作った怪獣を雑に高評価したクラスメイトのことで、つまりはアカネの世界そのもののことだろう。やっぱり退屈してるんじゃん、新条アカネ。考えてみれば教室はいつだって退屈な日常のメタファーだし、その中で形成されるのは狭い人間関係からなる閉じた世界だ。
ともかく、宝多六花は世界の他の有象無象とは明らかに違った存在として描かれている。第9話で六花を自分の家に招いたアカネは心から楽しそうだ。思い返せば、グリッドマン同盟において最もアカネを気にかけていたのも、最もアカネのことを理解していたのも、六花だった。物語全体を通してみれば、「友達」としてアカネと関わっているのは、響裕太よりも宝多六花の方だろう。つまり、「他者のいる世界の苦しさと向き合おう」というのがグリッドマンの伝えたかったことなのに対し、「他者のいる世界の幸福」をアカネに伝えていたのは、誰よりも宝多六花だったのだ。

そう考えると、「宝多六花はアカネの被造物にすぎない」という事実は、「アカネ自身が他者を求めて六花を配置した」という視点から見直されるべきだ。アカネが自分の一番近くにいるべき存在として配置した宝多六花は、その存在理由からしてすでに、「他者」そのものであった。アカネの世界は、その始まりからすでに、他者へと向き合う契機を秘めていたのだ。
グリッドマンは何も与えていない
アカネの心と世界に秘められた「他者へと向き合う契機」は、物語の終盤になってついに実現される。アレクシスに「アカネの心そのもの」と形容された怪獣を倒したのはグリッドナイトだったし、怪獣化したアカネを救い出したのはアンチ君だ。自暴自棄になったアカネを説得しに行ったのは六花だったし、アカネが現実へと踏み出す前に、最後に隣にいたのも宝多六花だ。グリッドマンはただ、アレクシスの生み出した怪獣を倒し、アレクシスの生み出した怪獣によって壊された世界を修復し、アレクシスを封印したにすぎない。グリッドマンが戦っていたのは一貫して新条アカネではなくアレクシス・ケリヴであり、グリッドマンは実のところ、アカネに何も与えてはいない。すべてはアカネとその世界がはじめから内に秘めていた契機だったのだ。

「覚醒」について
以上のことから、最終回のサブタイトル「覚醒」も、「自分のうちに秘められたものが目覚めること」というニュアンスで捉えるのが妥当だろう。すなわち、「アカネが現実で目覚めた」というそれだけのことよりは、むしろ、新条アカネ自身の内に秘められた、他者へと向かう心が開かれたことの表現として捉えるべきなのだ。
おわりに
第9話の、裕太、内海、六花が夢から目覚め、駆け抜けるシーンが好きだ。Triggerらしい粗く力強い作画には、前へと進む意志が込められている。

SSSS.GRIDMANは、他者と向き合うことに億劫で、現実から目を背けてしまう僕らに、世界と向き合う勇気を与えてくれる。
