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東京在住、能登半島地震記 2 「それぞれの夜」

能登、神社で明かす夜。

間一髪、本震が来る前に家から飛び出た家族は、帰省中のM(上の妹)のハイエースに乗り込んで山の上の神社まで避難したそうだ。ハイエースのフロントには大きなヒビが入り、車体には瓦のカケラで無数の傷がついていた。それでも大きな車が動いてくれて助かった。足腰の悪い祖母が山の上まで歩くのは困難だし、慌てて出てきた母は、寒空になぜかビーチサンダルを履いていた。

ちなみに母の車は車庫に入っていたので下敷き、N(下の妹)の車はサイドミラーが取れ、落ちてきた瓦でボコボコに。それでも走れるということでNの夫はいったん、隣町にある実家へと戻った。そちらもまた、心配だった。

神社には、同じ集落の人たちが40〜50人くらい集まったそうだ。夜になると男たちが小さな小屋を壊して薪を作り、燃やしてみんなで暖を取った。ガソリンは貴重だ。エンジンを掛けっぱなしにはできない。持ち寄った飲み物や食べ物を分け合い、みんなで声を掛け合った。

古い小屋を壊して燃やし、暖を取った。
元日の能登は寒かっただろう。

20時30分、大津波警報が津波警報に。それでも海沿いに家の建ち並ぶ小さな集落、津波に襲われたらひとたまりもない。集落のほぼ全員が、その場から動かなかった。

「高い山の上まで逃げてこられたけど、坂の下から波が見えたら終わりやなぁと思いながら一晩中、緊張しとった。地鳴りが凄くて、ああ、神様が怒っとるなぁと思ったよ」とNは振り返る。

東京、テレビから離れられない夜。

一方、東京で私は、テレビの前から離れられなかった。チャンネルはずっとNHK。とにかく一秒も邪魔されずに現地の情報が欲しかった。市役所前の定点カメラの映像が映し出されている。津波は見えない。家も奥の数軒以外は綺麗に建ち並んでいる。それもそのはず、市役所前の一帯は再開発された新しい街並みなのだ。

震度7なのに、具体的な被害状況がなかなか入ってこない。もしかして津波は結局来なかったのか? 来ていても大したことがなかった? それならそれが一番いい。震度7の衝撃と被害報告のギャップにヤキモキする。

大災害が起こったとき、直後の現場は混乱しているし報道陣も到着しておらず、投稿映像などもまだ集まっていない。そのせいで初期の被害報告は大抵、意外なほど少ない。でも報道されていないだけで、テレビやネットで伝わってこないだけで、能登ではたくさんの悲劇が起きていた。

そうとも知らない私は、テレビの前で被害者がなるべく出ないことを祈り続けた。このまま被害が増えませんように。田舎だから助かった、すぐ逃げられる田舎でよかったね!というオチになりますように。

2024年1月1日の夜は、それぞれに更けて行った。



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