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東京在住、能登半島地震記 1 「発災」

はじめに。

編集部を辞め、ライターの仕事からも遠ざかり早10年。たまに娘の小学校でボランティアをしながら、のんびりと時間が止まったように生きていた私の人生に突然、文字通りの地殻変動が起きた。令和6年能登半島地震。能登の先端にある実家が被災したのだ。

あれから約9ヶ月。当然、時間が流れるにつれ能登の報道は減り、新たな災害へと人々の関心は移りゆく。しかし私の心は1月1日からモヤモヤしたまま、今日も取りつかれたようにSNSで能登の情報を探している。

このモヤモヤをなんとかしたい。苦しい。夫に話しても、友人に話しても晴れない。だいたい本当の気持ちなんて話せない。それならば文章にしてはどうか。というわけで、2024年1月1日から約9ヶ月間の、極私的記録を綴ってみる。

繋がらない。

2024年1月1日。私は東京の自宅にいた。息子の高校受験を控え、今年は帰省しなかったのだ。

12時30分。妹から家族のグループLINEに写真が届く。みんなで地元の神社に初詣でに行ったそうだ。薄曇りの中、厚着した母と父が、真新しいしめ縄の下で仲良く鈴を鳴らす様子。わたしは「昔話みたいやね」と返信した。

次のメッセージは16時56分。私からの「みんな大丈夫やね⁉︎」。返信はしばらくなかった。何度も電話をかけた。母のケータイ、妹のケータイ、実家の固定電話、また母のケータイ、妹のケータイ、試しに父のケータイ。どれも繋がらない。ぜんぜん繋がらない。固定電話なら地震の時でも繋がるんじゃないの⁉︎  焦りで何度も何度も電話した。固定電話は呼び出し音すら鳴らなかった。

電話に出ようとして逃げ遅れるケースを考えると、絶対やってはいけないことだった…。でもあの時はどうしようもなかった。テレビではアナウンサーが大津波警報を叫んでいる。津波の前に築何十年にもなる実家は潰れなかったのか、みんな無事に逃げられたのか。電話に出ないということはもしかして…。様子がまったくわからず不安が募る。

19時37分。よくやく妹からLINEで「大丈夫!」「命はある!」と返信。よかった…誰も死ななかった…。地区のみんなで、山の上にある神社に避難しているとのことだった。

あの時、何があったのか。

のちに妹から聞いた話。16時頃に別に暮らす祖母を実家へ呼んできて、宴会の準備をしたところだったという。ドンと揺れが来た。ああ今回のはまた大きかったね、とみんなで顔を見合わせた。でも壁から土埃が落ちるのを見て、妹は「これはダメや! みんな出て!」と叫んだ。外へ出た瞬間、とんでもない揺れに襲われた。家が平行四辺形に歪んだ。2階の窓が飛ぶのを見た。M(もう一人の妹)がいたキッチンでは巨大な壁付の食器棚が倒れた。

あと1秒逃げるのが遅れたら、Mは潰されただろう。あと30分呼びにいくのが遅れたら、祖母が生きていたかはわからない。祖母がいつもいる部屋の天井は、落ちていた。

壁付けだったはずの食器棚(右)は見事に倒れた。
壁から線が繋がった物体(真ん中)はおそらく換気扇。

いつ、どこで、何をしている時に大地震が来るのか。私たちはそれを選べない。元日だったから妹たちが帰省していて私の家族は助かり、元日だったから亡くなった命もある。

あの日、あんな地震が来るなんて誰も知らなかった。数千年に一度の地殻変動があの日である理由なんて、なかった。偶然、あの日だったというだけ。そして偶然、私は帰省していなかったというだけ。

自分が立っている世界はひどく不安定なものだったと気づき、心細さに押しつぶされそうになる。

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