河内王権古市王統はあったか?
古墳時代中期に河内(古市古墳群・百舌鳥古墳群)に皇室の墓域が移り、河内王権があったと言われます。古市を根拠地にした王統が皇室を統べており、百舌鳥王統と交代で倭国を支配していたという訳ですが、本当でしょうか?
私はそうは思いません。記紀にそのように書いていないからです。日本の史書(記紀や延喜式)によれば、古市古墳群や百舌鳥古墳群は単なる皇室の墓域であり、特に王統が二つ(ないし佐紀の三つ)に別れていた訳ではありません。
それでは何故河内の古市を墓域として巨大古墳を築いたのか?以下、有料部分でその謎に迫っていきます。
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