お健康診断のお話。
⚠️この記事はお丁寧な表現を用いることによって、お食事中の方にも配慮しております。
私は数日前からソワソワしていた。いや、もっと前からかもしれない。今日、本格的な人間ドックが控えていた。それも人生初。これまで健康診断はあっても人間ドックはなかった。35歳を越え、少しずつ体にガタが出始めているのには薄々気づいていた。
夕飯の炭水化物を減らす。毎朝の体重計、その数値の微妙な差にも目を光らせる。だが、そんな時に限って飲み会や旅行などが重なる。結果的にうまくいった試しはなく、今年も例年通り当日を迎えた。
そう、何の準備もしないままに。
検診センターから届いた封筒を開けたのは今朝だった。マークシート式の問診票が何枚か。あとは同意書と中身を確認する。瞬間、背骨が冷えた。
緑と茶色のビニール袋にプラスチックのケース。表には採取日と氏名年齢を書く欄がある。
時刻は朝の五時。前日夜からの絶食で喉はカラカラだ。だが、安堵した。寝起きでよかった。そう思いトイレに駆け込んだ。それで爆弾の一つは片付いた。しかし問題は残っている。お検便はどうにもならない。とりあえずお検便容器は二つある。つまり私に残されたチャンスは二回。案内に従ってトイレットペーパーを三重くらいに巻き、流れるシートをセットし、しばし待つ。
何も起こらない。それもそのはず、お便意がいつ来るか、それは神のみぞ知るところだ。額に汗を滴らせて腹に力を込める。途端、腹筋を強烈な激痛が襲った。先日の日焼けのせいで私はお腹に力を入れることができない、そんな肝心なことを忘れていた。上を向いたり、下を向いたり、お尻肉を広げ、お香門を突き出してみたところで意味がない。
あっという間に三十分が経っていた。ティーシャツの背中がびちゃびちゃに濡れている。せっかくの水分を汗に回してしまったことに後悔し、ベランダに出てお運子座りでタバコを吸っていた。
(この感覚....!)
だが焦ってはならない。魚釣りを思い出せ。水底で魚が餌を突いているからといってフッキングを早めた結果、針だけが手元に帰ってきたことが何度あったか。
一口吸って、二口吸って、ただその時をじっと待つ。
──来た、間違いない。
立ち上がり、全速力でトイレに駆け込む。だがここで重大なミスに気づく。お検便の容器とお検便用のシートは封筒の中だ。祈る。
──持ってくれよ...オレの香門...
トイレから出て封筒をガサゴソと漁る。妻が起き出して怪訝な顔でこちらを見ている。
徐々に波が引いていく気配。さっきまでいた何かがそっと消えていく。だがもう後がない。検診は朝八時。家を出る時間を考えるとこれが実質ラストチャンス。
また来た。しかも波がデカい。モタモタとトイレットペーパーをクルクル巻く。そして思う。この感覚、やばい。お検便用シートを敷いている間にお香門が決壊する。ゼロコンマ一秒の世界。時が止まる。迷う。迷えない。どうする。わからない。止まる?止まれない。なら──。
私はお検便用シートをかなぐり捨て、お便器に着座した。瞬間、とめどなく溢るるモノが降り注ぐ音が静かに鳴り響く。一気に血の気が引いていく。チラチラと輝く星がトイレの中に光の粒子を描き踊る。この感覚、知ってる。迷走神経反射だ。体に力が入らない。
─おい。
──おい!
何者かの呼ぶ声。そして戻る意識。前髪から滴った冷たい汗の落ちる音で目が覚めた。
そうだ、ここで終われない。まだやることがある。私は無我夢中でお検便容器のノズルを慎重に回し、お運子に差し込んだ。どのくらいあればいいのだろうか。本来は二日分取らなければならない。だが、今回私は一回量のみ。念のため多めに、いや、それでは容器から漏れる可能性もある。ピックを山から抜き上げる。そして、慎重に、慎重にケースに戻す。万が一にでも漏れたらと考えると震える指先を止めることはできなかった。
かくして私は無事お検便とお検尿を終え、先ほど人間ドックから帰還した。
ほんとうは他にももっと書きたいことはあった。
腹部エコーの担当者が「ケンサハ」と一息ついた後、「カンゾージンゾーヒゾースイゾーダイチョー!ミテイキマスネー!」と言い終わるや否や「ハイスッテーハイテートメテーラクニシテースッテーハイトマッテースッテートマッテーハイラクニシテー」と高速ラップを披露したり、肺活量検査の担当者が松岡修造並みに熱く、私の脆弱な吐息に対し「もっと!!もっと!!!もっと!!!!!もっと吐いて!!!あんたならいけるよ!!!」と鼓舞してくれたり、胃カメラの直後、まだ鎮静剤が効いてフラフラしている時に、「三十分以内にウナギのひつまぶしを食って帰って来い」という無茶振りをくらいつつ、病院とレストランの華麗なる連携プレイによって着座した二分後に料理が提供されたり。だが、今考えるとそれら全ては白昼に見た真夏の夢だったのかもしれない。
人間はどこから来て、どこへ行くのか。
それは誰にも分からない。だが、いや、だからこそ、その答えを探して今日を歩く。
人生とはそういうふうにできている。お健康診断は私が忘れかけていたそんなことを思い出させてくれたのかもしれない。
